輝やく大東京「大東京の交通」(1933)

大東京の交通

 1933(昭和8)年7月発行の「大東京寫眞案内」(博文館:編)より、「輝やく大東京『大東京の交通』」です。写真は上右から東京駅の省線(現JR東日本)電車、市営電車、市営バス、無軌条電車(トロリーバス)です。左手に各駅の発車番線、行き先表示板、下に市電とバスの料金表があります。山手線の環状運転開始が1925(大正14)年、総武線の両国-お茶の水間の開通が1932(昭和7)年、お茶の水-中野間の複々線運転開始が1933(昭和8)年と、この頃にはだいたい現在の線形が完成しています。

広告「砂川へ(阪和電鉄)」(1936)

阪和電鐵1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「砂川へ」(阪和電鉄)です。阪和電気鉄道は現在のJR西日本の阪和線です。1926(大正15)年に開通し、既存の南海電鉄と熾烈な競争をしましたが、1940(昭和15)年に経済統制によって南海と統合、その後1944(昭和19)年に戦時買収によって鉄道省に買い上げられ、国鉄を経て現在に至っています。和泉砂川は関西私鉄各社にな倣い阪和電鉄も沿線に遊園地などテーマパークを展開した場所でした。

絵葉書「(横濱名所)静々と海の女王出帆の光景」(1941)

横浜出港風景

 1941(昭和16)年発行の横浜名所絵葉書より「静々と海の女王出帆の光景」です。3本煙突のレトロな客船が出航するのを眺める人々です。ちなみに1940(昭和15)年に要塞地帯が横浜市内まで拡大され、このような絵葉書にも、一々検閲許可が必要になり、横浜港で船をバックに記念写真を撮ろう物なら憲兵に拘引されても文句は言えませんでした。

京濱電鐵直営羽田穴守海の家「海へ」(1935)

海へ京浜電鉄

 1935(昭和10)年発行の京濱電鐵直営東京朝日新聞社後援、羽田穴守海の家や他の海水浴場のパンフレットです。大きな子供を片手に一人ずつ両脇に抱えた逞しいお母さん?のイラストです。現在の羽田空港近くの穴守稲荷は戦後に強制移転させられたもので、当時は現在の空港敷地内にありました。京浜電鉄は穴守稲荷に隣接する敷地に海水浄化プールやレジャー施設を建設して都内のレジャースポットとして開発したのです。内部の写真を見るとかなり繁盛していたようです。

米坂線開通記念「全国産業振興共進會」チラシ(1936)

米坂線開通記念

 1936(昭和11)年に全線開通した米坂線を記念して山形県米沢市主催で開催された「全国産業振興共進會」のチラシです。米坂線は山形県の米沢駅と新潟県の坂町駅を繋ぐ、奥羽線と羽越線を短絡する路線です。1926(大正15)年から部分開業を続け10年後に全線開通にこぎ着けました。昔は仙台と新潟を直接結ぶ急行列車なども通っていたようですが、奥羽線が新幹線開通に伴い改軌されてしまったので現在は不可能です。チラシのデザインは、高層建築の間を高速列車が走る現実とはかけ離れたイメージです。
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