雑誌記事「松竹映畫『子供の四季』(清水宏監督)」(1938)

1938(昭和13)年12月発行の雑誌「サンデー毎日新春の映画號」(大阪毎日新聞社)の記事より「松竹映畫『子供の四季』(清水宏監督)」です。坪田譲治(1890-1982)さん原作の児童文学「善太と三平もの」を清水宏監督が続いて映画化し、現代でも評価の高い作品となっています。清水宏(1903-1966)監督は静岡県浜松市生まれ、浜松の旧制中学を卒業後、浅草で映写技師となった後1922(大正11)年に松竹蒲田に入社、関東大震災で京都に移って21歳の若さで監督デビューし、東京に戻った後も様々な映画を監督し、巨匠の一人となりました。戦後は松竹をやめて伊豆で隠遁生活など映画から離れていましたが、独立映画や大映などで監督を再開しました。没後忘れられた巨匠という感じで知る人ぞ知る名監督でしたが今世紀に入ってから再評価が進んでいます。
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