女優「原節子」

日本映画の歴史において、おそらく最高の人気を誇る女優の原節子(1920-)さんです。原節子さんと言えば戦後日本映画を代表する女優さんですが、戦前戦中も人気スターでした。原さんは1935(昭和10)年、私立横浜高等女学校在学中、家庭の事情と義兄の熊谷久虎監督の勧めもあって中退して日活に入社、田口哲監督「ためらうこと勿れ若人よ」でデビューしました。1936(昭和11)年、山中貞雄監督「河内山宗俊」撮影中に、ドイツのアーノルド・ファング監督に認められ、1937(昭和12)年公開の日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜擢されました。同年東宝に移籍し多くの映画に出演、戦後フリーになってからは押しも押されもせぬ大女優となりました。しかし1963(昭和38)年の小津安二郎監督の死以降、公の場所には一切出ない隠遁生活を送り、今に至っています。
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