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木村伊兵衛著「小型カメラの写し方・使ひ方【その3】」(1937)

小型カメラの写し方・使い方1937may

 1937(昭和12)年5月に玄光社から発行された「寫眞實技大講座」第一回配本「小型カメラの写し方・使ひ方」(木村伊兵衛著)の別刷口繪より「金魚屋」です。ライカにエルマア50mm/f3.5の絞り6.3、1/20秒でフィルムはスーペリアーです。
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木村伊兵衛著「小型カメラの写し方・使ひ方【その2】」(1937)

小型カメラの写し方・使い方1937may

 1937(昭和12)年5月に玄光社から発行された「寫眞實技大講座」第一回配本「小型カメラの写し方・使ひ方」(木村伊兵衛著)の別刷口繪より「あねさま」です。ライカIIIaにレンズはヘクトオル73mmf:1.9開放、1/20秒、フィルムはスーパーXです。

木村伊兵衛著「小型カメラの写し方・使ひ方【その1】」(1937)

小型カメラの写し方・使い方1937may

 1937(昭和12)年5月に玄光社から発行された「寫眞實技大講座」第一回配本「小型カメラの写し方・使ひ方」(木村伊兵衛著)の外箱です。装丁は恩地孝四郎さんです。第2巻ですが第一回配本です。

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その135】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「露店」です。「而しこの情景はまたゝく間の夏に限られてゐる。冬の雪道の上には、眞赤な提灯の日の出焼屋が、おやき屋が、淋しい姿をとゞめるのみで其他は總て冬眠へ!冬眠へ!である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その134】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「露店」です。「最後に加へて、最初の町の構成の追加になる性質のものを現しておく。『花園町露店地指定 從是西百三十五間』とかゝれた木標が立てられてゐるところから圖の列がはじまるのである。總計一〇二だが、夜の人手の高潮が、これと緣結びしてゐるのだ。露店の中には西瓜や果物が多い。その他とりどり十錢の雜貨店に、ゆできびに、お花にそれぞれの引力に吸はれて、町の人々が一日の休養を樂しむのである。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その133】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 からだの型と歩き方」です。「だが圖はもつと確實性がある。こんな内股、眞直、及外股の歩き方の年齡關係である。内股は壯年者以上に多く、外股は青年者に比較的に多い。これで婦人の服装紹介を終る。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その132】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 からだの型と歩き方」です。「からだのタイプのしらべは主觀的な調査である。多數の體格檢査票から出して來ないとものにならないのであるが半ば余興のつもりで添えて置く。やせた人、頃合ひの人、肥つた人、丈高い人、中丈の人、及低い人とがどんな割合かの觀測である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その131】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 日傘と雨傘」です。「圖は雨傘である。男よりも女の方が和傘の率が約倍多數出てゐる。そして印入りの番傘は女にもいやなものと見えて著しく少ない。(勿論男のうちには丁稚級が多數混入してゐる)そして、蛇の目が七〇パーセントである。長袖の着物と和傘とは密接な交渉があるものと見られる。色は男物と比べると、多少グリーンの如きが多い。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その130】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 日傘と雨傘」です。「次ぎに動態に屬する一つを挿むと、圖で、これはパラソルの持ち方の統計である。大多數は少し斜めにして肩にかるく支へさすやうな方式である。次に多いのは眞直に行儀を構えて持つ式である。くるくる空を切りながら歩く人もいつも出る數字である。持ち方は容姿の構成に關係する事なのであるが、その間に多少共パラソルを持つ人の性格が現はれるとみられる。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その129】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 日傘と雨傘」です。「そして一寸不審に思はれるのは、舊式の長柄のものには絹張りのが多く、新式の短柄のものには人絹級のが多いことである。地質と色とは圖の通りである。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その128】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 日傘と雨傘」です。「パラソルの柄は圖である。概して中年の奥樣は長い柄のものを持つてゐる。そして若い人達は短い柄のハイカラ型のを持つてゐるのである。しかし東京にみられるやうな飛び切りハイカラな短柄のものはない。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その127】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 携帶品」です。「圖は風呂敷の分析である。前に述べたやうに男持ちのと大體同樣である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その126】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 携帶品」です。「圖は持物の一覽圖である。婦人は男子に比べると手ぶらの人が極めて少ない。或は男のやうにのん氣に歩いてゐられないせいかも知れない。婦人は持物のうちで一番多いのは日傘である。そして東京に比して著しく少いのはハンドバツグで、手下げと合しても二パーセントにならない。風呂敷包或は買物(?)の新聞包みも東京と比べると著しく少ない。手籠とは地方的な竹籠で、大抵の勝手用買物にはこれを下げて行く習しである。男の持物と比すると、扇子も極めて少ない。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その125】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 履物」です。「さうして圖は高下駄の䑓である。これは生地のもの約半數で、その他は塗りである。男のは總て生地であつたに對して。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その124】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 履物」です。「雨降時の高下駄は、冬の一般の履物なるを持ち出してはくのである。圖はその爪革と鼻緒の色である。男の物は黑が主だつたに對して、女のは赤と茶が多い。爪革の縁に装飾的に毛が付いてゐるものがある。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その123】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 履物」です。「圖は鼻緒の色である。これには赤系統が最高で、黑、鼠、紫の順位が見られる。勿論中には水色が汚れて鼠色化してゐるものもあつたのだ。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その122】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 履物」です。「圖は履物の一般統計圖表である。日和下駄が最高級であるが、これは町の道路の關係からも來ると思へる。小樽の町は大通はアスフアルトだが、一般の道路は砂利道が多く、しかも坂道に富むのである。圖表に高下駄の現はれてゐるのは、午後ポツポツ雨が一寸降つたから用心にはいて出た人々の數を物語る。これらの履物のうち、すり減つたり汚れたりしてゐるものが七十人あつたと云ふ認定になつてゐる。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その121】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 足袋」です。「黑足袋ゼロ、白足袋對素足は一三〇對一〇六と出た。外の土地に於ける夏の統計をもたぬ爲に適當に比較出來ないのが殘念である。白足袋のうちに汚れてきたないのが約一割程あるとは調査者の認定である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その120】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 顔の表情」です。「この題目は靜態風俗事象をはなれて、動態風俗に屬する部類であるが、御參考までに挿入する事にする。上圖に泣きながら通る二人とは子供である。横向きと云ふのは道端で調査してゐる調査者の方を振り向いた數で、何かに還元して判讀しなければならぬものである。また下向きとあるのは恥かしがつてうつむいた數である。(調査者の前を通るのに際して)で、この二つは本當は除外した方がよかつたかも知れないのである。下圖は口だけの表情である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その119】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 化粧」です。「圖は頸の化粧状態である。これも前と同時刻のしらべだから、婦人一三〇人中三〇人あつたわけである。これも二十代と三十代とではほゞ同比率である。そして頸の化粧と顔の化粧の比率は圖表中のかき入れにある。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その118】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 化粧」です。「化粧状態は東京の大正十四年のと比べていくらか少ないやうである。だが化粧の年次的增加は驚くべき勢にあるから、はつきりした比較はとれない。現にこの表で見ると、特殊化粧たる口紅、頬紅、及ひき眉の數の大きい事は注目に値する。」「圖からは更に化粧の年齡關係を讀みとつてもらはねばならない。これによれば一番化粧能力の熾烈なのは二十代で、次に三十代である。そして一般化粧に於ては二十代と三十代とはほゞ同率だが、尖端的な粧ひに於て斷然二十代がトツプを切つてゐる状態が現はれてゐる。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その117】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 眼鏡」です。「婦人の眼鏡をかけてゐる率は八パーセントである。これは東京の婦人とほぼ同率である。細目で見ると、東京と比して金縁が少い傾向が見える。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その116】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 頭飾品」です。「右圖は大人のもので、左圖は少女のものである。これは何れも結髪と同時刻のものであるが、Bの十六日の方が概して装飾具の率が多い状態を示してゐるのを見る。何が增してゐるかと云ふと、大人の方は飾櫛と玉かんざしが著しく增し、少女の方は大型のお下げ止と玉付結紐が增加してゐる。少女のリボンはどこでもめつきり下火である。斷髪、オカツパサンの增加に伴れてリボンは取り付く術なく滅んで行く。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その115】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 結髪」です。「少女の結髪は上圖であるが、總體から云ふと三つ編みのお下げが多い。そしてオカツパは小學生程度の子供で女學生には見受けられない。オカツパは小學生のみのせいか東京と比べると著しく小さく、また二本お下げ合計四四に對して、一本お下げ合計五五の率である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その114】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 結髪」です。「圖は中央わけと七三わけとの比率はどうかをみた圖表である。これでは兩者はほゞ同率に出てゐる。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その113】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 結髪」です。「くせのない束髪及無造作なぐるぐるまきは、特に和洋何れとも區分出來ないから中立とした、丸髷、島田以下の日本樣式と、オールバツク、七三以下の所謂洋髪とも夫々の部類に分けて集計して對比せしめると、日本髪五四パーセントである、この關係はその地方の文化がどれだけ舊式なるを離れてゐるかの一つの尺度となる事項だと考へられやう。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その112】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 かぶりもの」です。「女子のかぶりものは洋装を數へない爲に、都會的でない場合にしか得られなかつた。圖は地方的な現はれの斷片的採集であるが、まんぢゆう笠とあみ笠の比、及婦人の頰かむりの形式の種々の紹介として掲げておく。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その111】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 エプロン」です。「圖の前掛の統計では、前掛なしとある人との比率は七〇對二五に出た。そして地質、色合、及柄合から、實用的なものと装飾的なるものとを分けると、婦人の前掛けに於ても實用的のものの方が多い。(但し夕方の街上に於てゞある)」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その110】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 エプロン」です。「圖はエプロン及割烹着の細部の手法であるが、衿の形は着物の合せ方と同じくV字形のものは最高、裾は丸めたのが最高である。裾をV形にして縁飾を付けたのは女給のエプロンである。地質はキヤラコが最高である。」

今和次郎・吉田謙吉著「考現學採集【その109】」(1931)

モデルノロヂオ1931dec

 1931(昭和6)年12月に建設社から発行された「考現学採集:モデルノロヂオ」(今和次郎・吉田謙吉著)より、「小樽市大通(花園町)服装調査」(大町敏子/名取まつ子調査、今和次郎整理)の中から「女の服装 帶と帶止」です。「帶止の種類は網紐が一番多い。色彩は帶止にも帶にも赤が多い。そして帶と帶止とを比べると、帶止の方が一層鮮かな色である。」
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