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尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その49】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品49です。「俳句には季題があるやうに寫眞にも季題があるならば,神詣ではまさに正月のものである。これも和服の方が望ましいので,更に言へば神前や鳥居の下域は玉垣の前で,石段で,燈籠のそばで等と色々に背景をとり入れられるが,その中でも幾分動きのある方がおもしろ味がある。『動き』といふものは寫眞の必須條件であるが,ポートレートの場合は無暗矢鱈に動きをつかふのは考へものである。」
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尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その48】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品48です。「押繪の羽子板がデパートに陳列されると正月氣分が湧いて來る。昔も今も變りがない。正月のポートレートを強調するためには門松や七五三飾りもよい,女らしい氣分を出すにはやはり美しい羽子板などがよいと思ふ。しかし,洋装で殊にイヴニングなどで羽子板を持つてゐるのはあまり感心しない。出來れば文金高島田か結綿などの艶やかな日本髪姿が望ましい。お正月のポートレートや記念寫眞には一番氣分が貴ばれるものである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その47】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品47です。「如何に古風な家柄でも娘にこんな風をさせておく家はまづ無いだらう。これは勿論,時代映畫出演中の女優さんを,セットの中でスナップしたものである。映畫といふものは實に魔術である。埃つぽいセットが人工光線の力に依つて金殿玉樓にさへ描き出されるのであるから不思議である。人工光線は有難いもので場合に依つては非常に便利なものであるが,やはり太陽光線には遠く及ばない。人工光線の場合は光線の位置に依つて顔の描寫が非常に變つてくれるものである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その46】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品46です。「日本座敷にていろいろな小道具を使つて日本趣味の寫眞を撮つた一枚である。ショールであつてもいけない,勿論タオルなどは大禁物である。すべてを情緒的に組んでゆかねば,些細なことで氣分をぶち壊してしまふものである。役者の紋所を染めた新しい日本手拭であつてこそよいので,温泉旅館等のものではもういけないと思ふ。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その45】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品45です。「伊豆半島の南端石廊崎の燈臺附近。伊豆東海岸をバスで下田で一泊した翌日,カラリと晴れたよい天氣に急に石廊崎までゆく事にした。バスの中で見られる沿道の南國風なローカルカラーが,都會に住む私達にはよき背景ともなり,また珍しくもある。石廊崎は半島の南端にあつて,洋々たる太平洋に面した絶景。黒潮に向ふ可愛いゝ白堊の姿は油繪そつくりだ。燈臺を見下す草原でその美しさに見惚れてゐた彼女,暗い中に白い燈臺,きつとよい畫になると思つた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その44】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品44です。「バスの終點で降りて南伊豆のある漁村へ入つてゆく途中だつた。あの邊の民家は土藏造りのがつしりしたのが多いのだが,たつた一軒この藁葺屋根ばかりは何故だか堂々とふんぞり返つてゐるやうに見えた。私の眼に強く印象づけられたのはそんな關係からだつたかも知れない。その強い印象はすぐ私の頭の中に構圖の一つとして浮き上るのだ。いつも,そんな風にして私の寫眞を助けてくれる何物かを摑むのである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その43】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品43です。「月並になるが『天高く馬肥ゆ』である。放牧の馬なら滿點だが,荷馬車の馬だつて充分である。この馬にだつて私は感謝したのである。畫を作るのに充分に一役買つてくれたからである。かうしたものを出來るだけ利用して少しでも雰圍氣を強調したり作畫効果を盛りあげるべく努めるのが私の習慣になつてゐる。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その42】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品42です。「颯爽とハイキング……これは鐵道省あたりの標語だが,ハイキングの寫眞もやはり颯爽といふ事が必要である。上高地のホテルがあと數日で閉店するといふ時だつた。秋の山峽の天氣は變り易い。陽が照るかと思ふともう雲が下りて雨が降つてくるのだつた。この日も夜明から一時間位は焼岳や穂高の連峰がクッキリと青空の中に雄姿を現はしてゐたが間もなくどこからともなく雲が下りて來て一瞬にして曇つて了つた。それからは時々晴れ間を見せる程度であつた。上高地ではそれらしい雰圍氣を出すためには,梓川と白樺の林,それから見上げるばかりの山々が重大なワキ役をして呉れる。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その41】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品41です。「撮影しながら思つた事は,支那で劉海(リウハイ)といふ前髪もかうした支那服を着て見るとあの子供つぽい髪の形がピッタリと板について,もう立派な姑娘に見える事である。支那服なら支那服の髪に,和服なら日本髪の方がより似合はしいものになることをつくづく感じたものである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その40】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品40です。「一歩支那へ渡ればこんなモデルはいくらでも得られる譯だが,これはある時局映畫に出演してゐた逢初夢子さんの支那服姿を寫させて貰つたものである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その39】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品39です。「繪日傘の女,これは寧ろ畫家の扱ふ題材であるかも知れぬ。事實,特有の美しい色彩をうつし取れないわれわれ寫眞家にとつては損な題材にちがひない。しかし,生々と動いてゐる微妙な表情を一瞬の間に寫しとるといふ立派な武器を與へられてゐるのだから決して驚かないのである。かうなると,その繪日傘も單なる點景の一つと見るよりも,彼女のすべての表情を助ける一つの道具と見ることが出來て頗る効果的である。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その38】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品38です。「秋の女性を表現せよ − 考へて見れば中々難しい注文である。春の色彩ある女性,秋の感覺を持つ女性などと,さう器用にあるものぢやない。理窟つぽく考へても仕樣がないので,要するに女を秋らしく描寫すればよいわけである。『らしく』となれば途おのづから通ずで,秋らしい道具立を考へればよいのだ。初秋の夕方の斜光線に,名も知らぬ秋草,かうして『秋の女性』は出來上つた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その37】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品37です。「これは撮影所を見學した時の作品である。撮影の休憩時間を利用して撮影用のスポット二個を使はせてもらひ,白ペンキ塗の背景を選び,影をいろいろの位置に利用して得た一枚である。この時顔にはドーラン化粧に口紅は濃紫のやうな色であつた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その36】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品36です。「愁ひ……秋のうれひといふ言葉が當てはまるやうに思ふ。人間の表情と云ふものは無理につくつても出來るものではない。その時その時の心理に支配されることは言ふまでもない。樂しいことを心に描けばひとりでに笑が頬に浮ぶし,悲しいことを思ひ出せばすぐに反映する。その表情があればこそ人物は何時撮つても異つた表情のものが得られるので,他の被寫體と違ふところである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その35】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品35です。「『生の悦びだね』とこの作品を見た一友人はかう言つた。果してこのモデルの心理を言つたのか,見る者としての自分自身を言つたのか,その點はハッキリしないが……。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その34】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品34です。「深味のあるポートレート − 何となしに深い,澁い味を持たせたい,これが私の希望だつた。丸味のある線とキラリと光る鋭い線とを織りまぜて女の顔を描いてみたい。ドイツあたりの作品に見るやうなポートレートを試みたのである。奥深い美! こんな言葉があるなら,それが私の狙つたところと一致するわけである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その33】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品33です。「深みどりの芝生の上に影が長く引いてゆく初秋近いゴルフリンクの朝であつた。谷をへだてて向ひの山が深々と黝んで,どこかでもう蟲の聲がしさうな氣がする。爽やかな空氣の中に彼女たちの姿がクツキリと浮いて,歩く靴の下から芝生が眼を覺してゆくやうだつた。周圍の添景に巧みにマッチしてゆく歩き姿だつた。私は實に氣持のよいスケッチをすることが出來た。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その32】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品32です。「ゴルフリンクを持つてゐる海ぞひの川奈觀光ホテルのバルコニー…… 好々爺らしい外人夫妻をとり巻いて,四人の少女は片言まじりの英語と日本語とで,そこから眺められる夏のフジヤマや,南の島,大島を説明してゐた。時々,この老紳士は大きな兩手をひらいて定り文句の「オヽ,ワンダフル」を連發してゐた。サンパーラーから見たこの風景と眞夏の空や雲は,實にきれいであつた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その31】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品31です。「キャンプ生活は樂しい自然生活である。全く別世界に於ける生活のやうな氣がする。それらの寫眞は,極く自然な,自由なものが望ましく,どこまでもスナップであつて欲しい。巧まないスナップが最もよく,樂しい雰圍氣を充分描寫すればそれでよいのだ。然し,光と構圖はいつでも頭で描いて置くべきである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その30】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品30です。「南國的の情景を思はせる一瞬だつた。伊豆天城山麓の一碧湖にキャンプ生活をしたことがあつた。炊事掛である彼女たちは夕食の支度に湖畔に下りて行つた。米の白水がぱつと湖面ひろがつて小波が起ると,逆光がキラキラと彼女たちの頬をかすめる。……一寸した美しい風景であつた。クッキリと影繪になつて黒々と湖面に浮び上がつた南國風の風景は,きつとよいシルエット寫眞が出來ると思つた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その29】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品29です。「背線美が云々されることが多くなつた。眞夏の太陽に燒けて,ほんのり狐色になつた背の健康的な美しさも,充分に私たちの對象となる。潮風を身體一ぱいに受けて,今度は青空を背景にのび上るやうなポーズを選んだ。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その28】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品28です。「海を背景にしたり,砂丘に於ける水着の寫眞なら先づ常識的である。水着のポートレートを他の背景を使つて撮つて見たかつた。一つは常識的な寫眞に少々倦きてゐたのであるが……。砂濱に立つてぐるりと見渡すと,砂丘のうしろ側のブッシュが眼についたのである。そしてその草むらは背景にとつても大して氣分を毀すものでもないと思つたので,こゝでいろいろと構圖を考へた。顔の表情や,肩の邊の軟かい線を充分生かすべく努めた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その27】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品27です。「二三年前,伊豆の伊東へ遊んだ時である,發動機船で沖へ出てしまつた。海の底が透いて見えるほど水が清らかで,みんなして見惚れてゐる時,誰かゞボートを下さうと言ひだした。一つはボート,一つはカヌーである。青々とした水面,とろりとした波の面をオールがふれる度に,眞夏の太陽がキラキラと輝いた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その26】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品26です。「大型モーターボートの上にて。三人が三樣の姿で立ち上つた。ありのまゝに,些かも氣取つたところもなくお互に肩を組んで立ち上つたのである。全く自然の姿で。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その25】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品25です。「外國の映畫スターが水着でズラリと並んだスチールを見るたびに,これは濱のレビューだなと思つたものである。實際この時も外國のスチールが思ひ出されて自分ながら成程と思つた。お行儀よく並んだのもよいし,隣同志でお喋りしてゐるのもよかつた。水鏡に寫つた影だけでも面白いと思つた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その24】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品24です。「波といふものは見てゐて實に面白い,同じやうな波紋を描いて打寄せてくるやうだが,一つ一つをよく見てゐると皆ちがふのがわかる。朝の波,夕べの波,それぞれ表情を持つてゐて興味はつきない。彼女……いつか海岸に合宿生活をしてゐた時,近所に避暑に來てゐた明朗な娘さんも波を愛する一人だつた。朝の波,夕べの濱に一人で樂んでゐる姿をよく見たものだ。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その23】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品23です。「花といふものは妙なものだ。どんな豪華な装飾であつても花のない部屋は淋しい。たとひ一輪であつても,花が飾つてあれば安下宿の一間でも樂しいものであり,美しいものである。人物寫眞,特に女性のポートレートには花を扱ふ場合が非常に多い。表情をかへるためにもポーズを軟かくするためにも,花などの小道具はよきものであると思ふ。
 花はこよなきてだてではある

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その22】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品22です。「身體にピッタリと,曲線美そのまゝを見せてくれる支那服や滿洲服は實に美しい。それに色彩から言つてもキモノや洋服と異つた味ひ,感覺といふものが撮影慾を唆り立てるのである。あの原色に近い色彩をそのまゝに描けないのが殘念であるが,その代りに服そのものが作つてくれる曲線美を滿喫出來るのが何よりである。美しい色彩から脱けだして生きてゐる腕の美しさに,私のカメラはひかれて行つた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その21】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品21です。「六月上旬午前十一時 快晴 伊豆 川奈ホテルの芝生にて」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その20】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品20です。「力強いポートレート……,女に對してゞなく,男に對して言ふべき言葉だらう,と一應は考へられるのである。しかし,美といふものは色々と考へらるべきであり,事實視覚をかへればさまざまに美は發見されるものである。太い線で描いた女の美といふものを狙つたつもりである。」
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