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尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その18】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品18です。「堀切の菖蒲園で見つけた下町娘。花が咲くにはまだ少し早かつた。しかし,眼もあやな碁盤縞の着物が,ゆらりと飜るたびにあたりがパツと明るくなるのだ。彼女の歩むところに,花が咲いてゐるやうだつた。そしてつくづく花の咲いてないのを喜んだのである,……彼女のためにも,菖蒲のためにも……。」
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尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その17】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品17です。「新しい帽子にキラリと太陽が反射した。ブリムを通して額にまでしみ透るやうな初夏の強い光に,顔の上半分が紫色に美しく輝くやうだつた。新しい帽子の感觸とその新鮮な匂に彼女の顔はひとりでに綻ぶのだつた。この光の面白さを強調するために背景や洋服も黒つぽくした。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その16】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品16です。「ぐるりとあたりを見廻した。兩側に聳える松の木も雲を掃くやうに高かつた。見渡す限りどの木も背が高くノッポだつた。みんな青空めがけて背伸びごつこをしてゐるやうだ。東海道のおもかげもこゝには幾分か殘つて居るやうに感じた。背廣の上衣をぬいだ彼女は空を仰いでウント背伸びをしてみた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その15】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品15です。「五月の薫風にのつて音もなく肩先にふれた柳の小枝を,誘はれるやうに何氣なく手に持つた女の姿もよい,彼女のつくるポーズの單調さを破つて呉れるのだ。簾のやうに幾本も幾本も下つた柳の枝も立派な背景になる。中々味なものである。日本趣味にも西洋趣味にも何れにもよくマッチしてくれて,五月の背景の一つとして見逃せないものだと思ふ。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その14】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品14です。「艶やかな島田髷に,ぶらりとかゝる枝垂柳の色の青さ,この美しさはどうしても日本畫の畑だつた。色調は貧しくとも柳の青さは表現出來る。そして日本髪でなくとも,また和服でなくとも柳の美しさは描く事が出來る。三宅坂から日比谷へかけてのお濠端の柳の青さを見ては,ムラムラと制作慾が起きてならなかつた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その13】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品13です。「百日紅だつたか,白つぽくてすべすべした木肌のある面白い木だつた。まはりの樹々が忙しく春の装ひに夢中になつてゐる中で,ケロリとして,それでゐて何か物欲しさうなのが頗るユーモラスに見えた。このひねくれた木の曲線を,何とかし使つて見ようと考へた。彼女を輕く腰掛けさせた。膝のあたりを擽られて困つたやうな,嬉しいやうな老木の姿が面白かつた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その12】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品12です。「しつかりと陽の光を吸ひ込んだ芝草を通して地熱が傳つてくる。ふくよかな胸にも,肘にも,頬にも……そして長々とのばした全身に春の女神の息吹きを感じた彼女たちの顔には,やがてほのかな,霧のやうな笑ひがさし上つて來る。春の歡び,私はその刹那の表情をつかむべく努めた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その11】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品11です。「フジヤマに櫻,そして日本の少女……この構圖に向つた時,これは觀光外人に誂へ向きのものだわいと,苦笑に似た笑ひが頬にこみ上げて來るのを感じた。風がない,湖水の面にも,小波さへ見えない,たゞ少女の呼吸する毎に花びらが微かに動くだけだ。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その10】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品10です。「けふ一日で若葉が出てしまふのではないかと思はれるやうな暖かい早春の午後だつた。オーバー・コートをいつの間にか脱ぎすてた彼女は(ひらひらと)美しいドレスの曲線美を見せてゐた。輕く針金の上に腰かけた彼女の全身を支へて,すんなりと伸びた兩脚が絹靴下の中からとび出してくるやうな美しさだつた。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その9】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品9です。「キモノの女の朗かな笑顔を,カメラを上から下からと,空抜きにしたり,ビル街をのぞかしてチョッピリ近代感を盛つたりして描寫することに努めたのである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その8】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品8です。「初春の装ひを凝らした女− 見た眼には實に絢爛,眼覺めるばかりの美しさである。これをどんな風に表現したらよいか。春近い晝,しかもビルディングの屋上である。ビル街を見下しながら,私は何だか太陽に近よつたやうな,取つ組み易い氣持になつたのである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その7】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品7です。「大自然の偉大なる風景……澄みきつた青空に浮んだ白雪の靈峰富士と,朝陽に輝く湖面,こんな美しい,立派な風景での人物寫眞はどんなところでも引立つて寫るものである。たゞ背景たる富士の大きさと,人物の大きさ,等の調和には充分の注意が必要である。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その6】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品6です。「早春……多摩川の清い流れの音が聞える堤防だつた。葉ざくらになつた梢から散り殘りのひとひらふたひらが,未練氣に舞ひ落ちてくる午後。歩き疲れた三人の娘たちは,たうとう若草の上に陣を布いてしまつた。朗かな笑ひを發射しようといふのだ。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その5】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品5です。「たとひ日歸りの旅にしろ,旅行に出た時の心のときめき,ひとりでに躍り上つて來る喜び……これはどうしても押さへ切れず身體中に溢れてくるのである。殊に若い娘などは,汽車に乗つた時からもうはしやぎきつてゐる。この娘にも,こんな嬉しい朗かな表情があつたのかしらと,疑ふのである。旅といふものは實によいものである。これは伊豆へ日歸りの旅をした時の収穫である。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その4】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品4です。「どうしてこんなに笑へるのだらう。澄ましてゐるところが見たいものである。一體,何がそんなに可笑しいのだと怒鳴りたくなる位だ,さう思ひながら私もついつり込まれて笑つてしまふ。實に朗かな笑ひである。ファインダーを覗いてゐて,刻々に變つてゆく彼女の笑ひ顔を見てゐると知らぬ間に樂しくなつてゆく。そしてこの笑ひ顔も一枚,あの笑ひ顔も一枚……といふ風に手の方が先にシャッターを切つて了ふのである。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その3】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品3です。「何といふ服地か知らないが,美しい色調を持つた彼女の黒いドレスが春の陽をうけて柔かい光を放つたのだつた。時には銀色に輝くかと思はれる位だつた。鍔の廣い帽子,その下に朗かに笑ふ彼女の顔はすき通るやうに白い。青みがゝつた白と黒との上品な調和に私の制作慾はひとりでに動いて行つた。しかして又こんな事を考へながら……花模樣のある洋服を着せたらきつと可愛いゝ花賣娘が出來るだらう,と。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その2】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品2です。「天氣もよし,モデルもよし,全てがO.Kだ。しかし,人物の味を毀さないで,寧ろ,引立たせる程度の何か氣の利いたものはないか,私はいつもこんな事を考へるのだ。背景や添景についても同樣だが…… 如何に優れたモデルでも,それ自體では寫眞になつて中々引立たない場合が多い。やはり適當な背景や添へ物の力に依つて,その美しさが完全に描寫されることは事實である。」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【その1】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月にアルス社から出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」より作品1です。「光と影,白と黑 −寫眞といふ手品師の使へるのはこれだけだ。人間は,といふより女はその持つてゐる感情によつて,笑つてみたり,怒つてみたり,或は美しくなつたり,醜くみえたりする。そこで,手品師の僅かな道具を使つて,相手の感情のもえ上つて,パツと咲き開いたところを巧みに摑むのが,われわれの狙つてゐるところだ。どんな風に狙ふか? 撮り方は?」

尾崎三吉著「ポートレートの写し方【表紙】」(1939)

ポートレートの写し方1939sept

 1939(昭和14)年9月に出版された尾崎三吉著「ポートレートの写し方」(アルス社刊)の箱表紙です。尾崎三吉(1912-1994)さんは愛知県生まれ、東京寫眞専門學校を卒業後、人物写真で有名な写真家となり、日本写真家協会の創立メンバーの一人でした。

堀野正雄著「女性美の寫し方【その98】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版98です。「この作品の良さは、造型的な問題に始終してゐる。アトリヱの中で、じつくりと、この作品を參考に採光(ライテイング)の勉強をしていたゞきたい。女の顔を立體的に表現して、爽やかな笑ひを把握することが、この作品の全部である。白い齒の光澤(つや)や、赤い唇や、彈力のある皮膚の物質感を表現することが、如何に困難なことであるか! カメラと正面から取組んで見なくては解らない、カメラの巡禮のみが知る苦惱であらう。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その97】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版97です。「作品96と同じに撮影した。この云はゞ、消費的な美を意圖した作品は、一般には用のない寫眞である。けれども、寫眞の仕事の中には、モードばかりを取扱ふものがあつて、日本のことは扨て置き、歐米では、この種の仕事の中に世紀の巨匠が輩出してゐる。その數は、十指に充たないかも知れない。けれども、これ等の寫眞家が、人物寫眞の、いや女の寫眞の一つの典型を殘しつゝ、進歩しつゝ、寫眞の正統的な一方の途を切り開いてゐると云ふことを注目しなければならない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その96】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版96です。「アトリヱの單調な背景で仕事することに飽きて來たら、實際の建築の一部分を利用して、そこをアトリヱとして勉強すると自分の技術が又一段と進歩する。然し、最初のうちは、今までとは違つて、ライトの効果が甚だ心もとないものに感じられ、ほんの僅かの照明器具類では、どうしたら良いのか迷つてしまふ。この種の制作を試みて見ると、歐米の巨匠の仕事が、私共の遠く及ばないことが解つて、自惚心も、實に簡單に吹き飛んでしまふ。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その95】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版95です。「黒ビロードの背景は、完全に光りを吸収してくれるので、この作品のやうな効果を出したい時には利用すると良い。モデルの左右兩側から、思ひ切りライトを當て、中央に明るい陰を作り、立體感を強調した。舞踊の寫眞は、シヤッターを切る瞬間を把握することが非常に困難で、それが以心傳心の境地に到達するまで勉強しなければならない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その94】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版94です。「アトリヱの中で、動きのある寫眞を撮ることはむづかしい。さう云つた意味では、この作品は、たくましい迫力が出てゐて私はすきだ。思ひ切つて、これだけ大膽に齒を出しても、少しも不自然に見えない所が、この人のカメラフェースの良さなのであらう。永い間の訓練に依つて、かうした表情が自由に出來るだけの藝を會得したに違ひない。シヤッターを切りながら、ひよつとそんなことを思ひ浮べた。」さすが高杉早苗さんですね。

堀野正雄著「女性美の寫し方【その93】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版93です。「一度は使用して見ようと、前から選んで置いた背景を、こんな形で表現して見た。近い内に、また違つた着物で撮影して見たいと思つてゐる。洋装の女性を撮るときに、このパンプシューズの時は、餘程氣をつけなければならない。日本人でほとんど似合ふ人は、幾人もない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その92】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版92です。「『涼しい木蔭』を選んで撮影した作品である。レフレクターで、モデルを適當に照らしながら、畫面全體の調子を整へた。この作品もまた、出來るだけ明るいレンズを使用して、蔭の部分を表はすやうに心掛けねばならぬものの一つである。手染めの浴衣を着た女の美しさは、夏の風物詩の一篇である。けれども、この寫眞は、冬の最中、二月の寒さの中に震へながらスナップしたのである。こゝにも亦、カメラの眞實性を考へる爲めの、一つの問題が藏されてゐる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その91】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版91です。「女子のグライダー訓練を撮影に行つたとき、ある映畫のロケーションにぶつかつた。グライダー關係の人達が、この作品を見たら、こんな服装では練習出來ない、と云ふであらう。カメラのロマンティシズム。− さう思つて、看過していただきたい。或は又、その爲めに、反つてこの寫眞集には相適はしいのだとも云へるのです。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その90】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版90です。「女の顔を極端にクローズアップする場合には、採光を十分に注意することが緊要であるが、餘り克明に描冩しない方が良い。大型カメラで、テッサーのやうな、鮮鋭なレンズで撮影すると皮膚の感じは出ても、時には毛穴まで寫つて、始末に困ることがある。」
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