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堀野正雄著「女性美の寫し方【その89】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版89です。「スキーの下手なうちは、こんなに雪の中へ埋まるのが、反つて嬉しいのだ。女性美の寫し方、とは少し遠縁い作品であるが、このモデルが男だつたら、案外つまらない。スキー場で、知らぬ女の子ばかりカメラで追ひまはしてゐると「この野郎!」と、カメラでも深い雪の中へ投げ込まれたら、とんだ傑作も南無阿彌陀佛です。」
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堀野正雄著「女性美の寫し方【その88】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版88です。「低い場所に、こんなに見事な樹氷が出來ることは珍らしいと云ふ。三月上旬の、菅平スキー場でのスナップである。スキーをはくことが、やつとな彼女達は、初めてハイヒールをはいた女のやうだつた。その實、撮影者自身も、この時、二囘目のスキー行だつたのである。さう云つた意味で、この程度の作品が、その環境に生れた最大の傑作?だつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その87】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版87です。「赤い椿咲く、三月上旬に、大島で撮影したもの。純白のスヱーターが、この場合には、極めて重要な効果を見せてゐる。撮影旅行に出掛ける時には、モデルが幾種類かの着物を持参するやうに、豫め打合せをして置くことが必要である。スポーティな洋服なら、幾らも嵩ばらないのだから、鞄につめて撮影中携帶しても、程度が知れてゐる。私は、天氣の良い日には、慾ばつて、背景との釣合ひを考へながら、適當に着物を變へ、新鮮な氣分を畫面に表現するやうにしてゐる。私自身、氣が向けば、ライカに別々のレンズをつけて三臺、それに、ローライか、スーパーシックスを携帶して、力闘することも稀れではない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その86】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版86です。「身體の線をその儘活かした大島の風俗を、私は非常に好きだ。九月の霽れ亙つた日だつた。今日は何時もより風が強い。モデルの配置を考へたり、細かいゼスチュアーをなほしたり、表情を指圖したりしてゐると、時間の經つことなど忘れてしまふ。「お前の作品を……」と云はれたら、默つて出したいものの一つである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その85】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版85です。「この寫眞も、作品83,84と同一系統のものである。テーマとしては、何等新鮮味はないのだが、扱はうとした意圖に於ては、やはり新らしいカメラの對象となり得る。前の二作と同じく、かうした場合には、つくづく天然色フィルムが使へたらと思ふのだが、果して何年後にそれが實現出來るだらうか?」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その84】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版84です。「作品83と同じく、實際の場面のスナップである。彼女達の前方には、酒盃を傾けつゝ、にやにやした御客さんが坐つてゐる。この寫眞を、こゝに一枚切り離して取上げると、所謂、作品としての内容が、かなり空虚に感じられる。然し、レポルタージュ・フォトとしての一役を買ふ場合には、仲々に立派な舞臺効果を舉げるのである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その83】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版83です。「ある料亭でのスナップである。今まで、藝者を主題にした寫眞は、その殆んどが、カメラの爲めに特別にポーズをしたものが多く、彼女達の生活の片鱗を傳へると云ふ程度を出てゐない。私は、さう云ふことに物足りなさを感じ、藝者の生活の全般をカメラに依つて表現しようと意圖し、私達に許された色々の角度から撮影を續けた。この作品は、その中の一枚であつて、彼女達の自然な動作を、小型カメラと閃光電球の同時發火と云ふ準備に依つて把握した。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その82】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版82です。「これは、正月でなければ撮れない寫眞であらう。積み重ねた菰被りが、しつくりした背景になつてゐる。銀座通りをスナップしてゐたら、京橋を渡つたある街角で、一人のアマチュアーが寫眞をとつてゐた。仕事の上で、かうした寫眞が必要だつたので、傍からお願ひしたら、快よく希望した背景の前に立つてくれた。わざわざ不便な島田に結つて、七草までを暮す娘さん。この紙上で、更めて感謝します。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その81】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版81です。「ライカカメラに135mmの長焦點レンズをつけて三米の距離から撮影すると、畫面一杯にこれだけの大きさに人物が入る。目や鼻の釣合が、肉眼で見た美しさを表はすだけでなく、モデル自身も、カメラとの距離が三米も離れると、寫眞を撮られてゐる感じが薄らいで、自由な表情が出來るらしい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その80】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版80です。「二三年前、大島の三原山へ登つた人達は、薄暗い御神火茶屋の中に、潤んだ眼差しの、島の娘がゐたことを御存知であらう。この寫眞を撮影してから、一年位經つて、又、この茶屋に行つたとき、あの妖しげな美しさを思ひ浮べて、今度こそ良い作品を撮らうとしたのだが、その時は、もう見當らなかつた。村の人達の話では、餘程以前に死んでしまつたと云ふことである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その79】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版79です。「能の仕舞ひは、私達の心に餘裕のある時には、非常に美しい。逆に云へば、人に落ちつきを與へると云ふ意味で、戰國時代の武將が、進んでその藝術に精進したのであらう。この寫眞は修練された、女性美の一つの型である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その78】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版78です。「着物の娘さんを撮影する場合には、椅子に淺く掛けてもらふのがよろしい。寫眞屋さんのやうな、型に嵌つたものにしたくなかつたので、羽子板を配(あし)らつて、構圖を纏めた。ちやんとした客間のあるお宅では、使ひ慣れた場所で撮影すると、人慣れないモデルの氣持が落ちついて、自然作品にも餘裕が表はれる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その77】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版77です。「荒模様の佐渡で撮影したものである。幾年振りかの大時化が、日本海一帶を襲つた年の、十一月であつた。來る日も、來る日も、金山で有名な相川の町の海岸には、眞白い波浪が、水平線の彼方へまで續いてゐた。けれども、この入江には、ほんの僅かな小波が、磯を洗つてゐる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その76】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版76です。「大島のアンコを、新らしい角度から扱つた作品である。對手が人間ならば、作者の氣持も通じるのだが、蒙古から遙々やつて來たと云ふ駱駝さん、自由に動かばこそだ。飼ひ主に、駱駝を適當な位置に配置してもらつてから、娘達が手綱を握ると云ふ、常習的な撮影方法を執つたのだが、娘二人、駱駝二頭、氣持の一致する瞬間を見出すことがえらく困難であつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その75】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版75です。「空の白らつちやけた薄日の野外撮影は、出來ればカメラをしまひたい位である。けれども、さう云つた日は、暗い背景を選ぶと、女の顔が殊更に美しく見えるのだ。従つて、そんな日は、空を背景に選ばないで、暗いバックの中に、女の顔を白く浮き立たせるやうにすると良い。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その74】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版74です。「單調なオフィス建築が、こんな風に扱はれると、寫眞の目的の如何によつては、仲々利用出來る背景となつてくれる。けれども、小型カメラを使用すると、すぐ畫面全體にピントが合つてしまふから、豫め撮影のアングルを考へて、焦點ボケに依らぬ遠近感を出すことを工夫しなくてはならない。この作品が、さうした心遣ひを持ちながら、撮影したことは、すぐ理解していたゞけると思ふ。そして、又同時に、ネッカーチーフ(首に巻いた飾り布)を、何故、風に動いた儘を表現したか、と云ふ意味も了解して下さるに違ひない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その73】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版73です。「外人達の住居は、その儘寫眞の背景に利用出來るので、ライトだけを十分に携帶すれば、反つて貧弱なアトリヱで仕事するよりも遙かに良い作品が出來る。けれども、大抵の場合、所謂「濱もの」を並べた調度品なので私達日本人の趣味に合はないものもあるが、彼等がその中で立振舞ふと、不調和な調和が、妖しげな美的効果を醸し出す。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その72】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版72です。「説明するだけ野暮であるが、これは、宮中に参内する時などに着用する正式のドレス。夫人でも、勳章のある人は佩用する。薄絹のカーテンを通した柔かい陽が、そのまゝ撮影にちようど良い條件を作つてくれたのだが、もう少し裂地の艶と、胸の邉りの圓味を表現したかつたので、寫眞電球二個を使用した。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その71】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版71です。「假装舞踏會の華やかさは、私達日本人にはそれ程ぴんと來ないであらう。社交界と沒交渉な人達は、僅かにX'mas Eveに、帝國ホテルや、横濱のニューグランドで、それに近い雰圍氣を味ふことが出來た位なのだから。それも、昨年からは禁止されてしまつた。けれども、日本在留の外人達は、冬が近づいて、一ヶ月以上も前に假装舞踏會の招待状(インビテーション)を受取ると、もうすぐに、フアンシードレスに浮身をやつす、と云つた有樣である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その70】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版70です。「日中は暑かつたが、静かな夕暮だつた。もう、すぐ秋だ。私は、砂丘の下の方から、カメラを見上げるやうに撮影した。赤いワンピースを着た彼女に、すつと足を組んでもらつたら、赤い太陽が、彼女の片足に美しい影の贈り物(プレゼント)をしてくれた。明日も亦、天氣だ!」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その69】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版69です。「この作品は、夏の終りの暑い日に撮影したもので、當日は、アトリヱでライトを照らすことが非常におつくうだし、モデルが氣の毒だつたので、背景を夕方の涼しい屋外に持ち出し、スポットライトを補助光線に利用して纏めたものである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その68】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版68です。「風の吹く毎に、黄色くなつたプラタナスの枯葉が、かさかさと音を立てゝ、ペーブメントの片隅に押しやられて行く。鐡の塀に當つた光線の美しさや、そして歩道の上に印された晩秋の力の弱い影が、たまらなく私の撮影慾をそゝるのであつた。モデルに當たる光線を適當に加減してから、遠近感を強調してモデルを浮き立たせる爲めに、私は焦點距離の短かいレンズを使用して構圖を纏めた。組立暗箱特有の、レンズの焦點ボケの効果を利用しながら……」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その67】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版67です。「洗ひ髪の似合ふモデルを見出すことが豫想外に困難であつた。目鼻立ちの整つた顔であることは勿論だが、その上に尚ほ髪のはえ際が美しく、髪の量の多いことが必要な條件として舉げられるからである。夕暮のほのかなる光りの中に、黄楊の櫛を髪にさして、何かを凝視する顔は魅惑的である。大理石のやうなこめかみに、柔かいうぶ毛がふるへてゐた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その66】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版66です。「この朗らかな北京の娘は、日支親善を強調した映畫に出演する爲めに來朝した。彼女の顔は、決して所謂線の細い美人型ではないけれども、藝に熱心なねばり強さは、關係者達に好感を持たれてゐたらしい。北支建設の明日にそなへて、かうした、がつちりした女性たちが、東洋平和への途を開拓すべきなのだ。この寫眞を撮影した、肌をさす寒い冬の日にも、この朗らかな笑ひを笑へる餘裕を持つて……。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その65】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版65です。「四君子は、妓生たちにとつて、大切な、教養の一つであると云ふ。平壌の妓生學校の授業中にスナップした寫眞である。かうした寫眞を撮影する場合には、出來るだけ自然光線のまゝで、事を大げさにしないやうに、手早くスナップすることが必要である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その64】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版64です。「ゆるやかな、大同江に浮べた畫舫の船ベリに若い妓生は坐りながら、朗らかな日本語の流行歌を歌ふのであつた。アリランの哀調は、職業人としての、妓生たちの聲なのであらう。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その63】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版63です。「十二月の末であつた。枯草の間に、眞黄色の濱蕗の花を見つけた島の娘は、浪の音を聽きながら、その花たばに見入るのであつた。黒潮にとりまかれた、御神火の島は、私達に南國と云ふ詞を思ひ出させる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その62】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版62です。「太陽光線のみが作り得る、見事な採光が考へられると同時に、人工光線でなければ出來ないやうなライティングもある。この作品を、後者の代表的な一例とすることは、私の欲する所ではないが、さう云つた考へ方をこゝに述べて見たいと思つてゐる。大部分のアマチュアー寫眞家は、アトリヱに於ける訓練を經てゐない爲めに、用意されたアトリヱで仕事をすることは出來るのだが、夜間照明器具の配置してないアトリヱへ伴はれ、モデルを撮影するとなると、何處から手をつけて良いのか、大家を氣どつてゐる作家でも、大抵は兜を抜いてしまふ。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その61】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版61です。「この作品は、日光中禪寺湖畔のヨットクラブで撮影したものである。右は前佛大使夫人、左は、前ポーランド公使夫人。この作品とは別問題に、良いモデルさへ得られゝば、日本でも國際的水準以上の寫眞はいくらでも製作出來るのである。殊に、日本と云ふローカルカラーが、その有利な背景となつてくれるのだから、作家の審美眼さへしつかりしてゐれば、、私達の寫眞はその儘堂々と世界の檜舞臺へ押し出せる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その60】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版60です。「丁抹體操の上手な女性達をモデルに、健康な女性美を表現した作品である。この單調なポーズを纏めるために、私は特に一人を前に置き、他の二人をずつと後方に配置して構圖を纏めた。カメラは出來るだけ低く、芝生の上に寐ころんで見上げるやうにした。私の好きな斜光線が、潑剌とした肉體を立體的に照らしながら柔かい不二絹の運動着に見事な影を示してゐる。」
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