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堀野正雄著「女性美の寫し方【その58】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版58です。「緑の草が、逆光線に透きとほるやうな美しさを見せて、彼女達に柔かいしとねを作つてゐた。パンクロに、緑色のフヰルターを使用すると、こんなに美しい姿を見せてくれるのである。」
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堀野正雄著「女性美の寫し方【その57】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版57です。「風の強い日だつた。カメラのファインダーの中を通り過ぎた、風の一瞬間である。技術的な注意を一言述べて置きたい。彼女の位置は、ちようど飛行機の翼の陰になつて、畫面の右には、明るい白雲の流れてゐる青空がある。これは仲々むづかしい被寫體であつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その56】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版56です。「初秋の遷り易い天候が、落ちつかない雲を見せては、すぐ消えてしまふのであつた。このアメリカの映畫女優ばりのメークアップをした彼女は、眉毛をすつかり剃り込んでゐた。ある有名なスターに似てゐると云はれ、自分でもその氣になつて、何事につけ、御本家の女優と同じやうに動作しようとしてゐたある女性は、遂には、その間違つたプライドが、彼女を徒らに疲らせるのに過ぎないと云ふことを自覺した、と云つて居つた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その55】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版55です。「彼女の顔は、何時も艶々として健康な生氣がみなぎつてゐた。風のある秋霽れの午後である。この作品は、モデルの一番美しい朗らかな時であつた。私は、今迄、随分澤山の女の顔を撮影して來た。その經驗が、結局、どの女達も、漠然とした形ではあるが、必ずある型に分類出來ると云ふこと、そして、又、彼女達の美が、或る頂點に達する期間を持つてゐることを感じるやうになつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その54】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版54です。「かう云ふしぐさも、若い妓だから、嫌味がないと思ふ。女になりきつてない中途半端な美しさとでも云はうか、年齢から見れば、ほんの小娘なのに、花柳界の雰囲氣は、彼女達を何となくなまめかしくするのであらう。大型カメラで撮影すると、背景がづつとぼけて、人物が浮び上がつて見えるのだが、小型カメラだけに、すぐ一樣にピントが合つて、焦點ボケに依る遠近感が表はれない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その53】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版53です。「夕暮時の庭で撮影した作品である。中年の夫人の美しさは、柔かい光線の下に於て一番魅惑的に感じられる。南米の都、ヴェノザイレスの社交雑誌に送るために撮影した時の一枚である。モデルの左の木の葉に當たつた夕方の弱い陽が、足もとの蘭の葉に生きた表情を與へて、作品の奥行を見せてゐる。かうした場合にパンクロを使用すると、緑が極端に感じないので、肉眼と餘程かけ離れた調子に表はれるから、豫め十分の注意を拂ひながら、畫面を纏めることが必要である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その52】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版52です。「太陽光線を適當にコントロールしながら、女の顔を立體的に表現した作品である。これだけの採光を、アトリヱですることを考へたら、非常に豊富なライトが必要であらう。けれども、春の柔かい太陽は、一枚の小さなレフレクターを利用することに依つて、この見事なモーデリングをしてくれるのである。製版の際に、この力強い光の効果が消されないやうに、それが氣に掛かる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その51】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版51です。「良い背景を探しながら、峠道をドライブした時に、黄色いカンナの群落が、私達の車を停めさせた。道行く人の心を樂しませながら、この花もやがては、枯れなければならないのだ。彼女達よ! 貴方がたも亦、人生の花。美しかつたこの瞬間を、カメラに依つて、永遠に記念して置きませう。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その50】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版50です。「この日本髪は鬘である。モデルの顔だちにもよるのであらうが、かうした非實用的な日本髪は、鬘で十分だと考へてゐる。今まで、幾度も、鬘の花嫁や、藝者の顔を撮影したことがあるが、どれも不自然な寫眞にはならなかつた。傳統的な日本髪の美しさは、こんな形で保存すると、御婦人達もつかれなくて濟むであらう。この寫眞を見てゐると、動物的な迫力を感ずるのだが、それがこの人の魅力なのであらうか?」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その49】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版49です。「舞臺裏でスナップして居たら、この娘達、どうしても寫眞を撮つてくれと、すぐこんなポーズをして待つてゐるのだ。劇場人のエチケットだ。閃光電球の同時發火で、手早く一枚スナップした。それが、その著書の一頁を飾る結果になつたのだ。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その48】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版48です。「この作品は、レヴューの開演中、オーケストラボックスに入り込んでスナップしたものである。永い間一個所からカメラを狙つてゐると、必ず邪魔者扱ひされて、折角のスナップも物にならないことが多いから、小型カメラで手際よく神出鬼没の態よろしく、カメラマンは、その所在を適當にカモフラーヂするやうに心懸けなければならない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その47】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版47です。「アトリヱで撮影した作品である。この程度の制作が、讀者の自宅で出來るやうに、この著書の終りに詳説して置いたから参照されたい。こゝには、實質的に、讀者の参考になるやうに、撮影から仕上げまでの報告を記さう。半調色の無地のバックの前に、モデルを腰かけさせて、モデルの背後、バックとの中間に、低い位置からバックライトを一個點燈、無地の背景を明るくすると同時に、モデルの髪の毛にハイライトをつける。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その46】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版46です。「これは日本の眞珠を外國に紹介する爲に撮影した寫眞である。さう云つた意味で、某令夫人が特にモデルになつて下さつたのだが、かんづつた美容師が、目下ホリウッドで流行の髪で御座いとばかり、日中の銀座通りは歩けないやうな髪に結ひ上げてしまつた。讀者にも、その美容師の氣持は了解出來るであらうけれども、モデルのすなほな美を削ぐやうな粉飾は、撮影者の希望しない所であつて、私達が、日常やつてゐるその儘が、一番美しいカメラの對象となり得ると云ふことを、讀者も既に御承知であらう。従つて、美容師の折角の苦心も、撮られた寫眞には、この程度に無殘にカットされてしまふのである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その45】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版45です。「この作品は、舞臺稽古の日に撮つたので、モデルは寫眞撮影の爲めのメークアップをしてゐる。引伸してから、カツラの部分に多少修正を施したけれども、大體に於て舞臺化粧のあくどさはないので、撮影してからの仕上げが樂であつた。云ふ迄もなく、この寫眞の狙ひは、伊達な若衆を表現することにあるのだが、最近の舞臺照明は非常に明るいので、小型カメラならば自由にスナップ出來るし、レヴュー・スターのポーズを好きな所から撮れるので、別に苦心はいらない。反つて、薄暗い黄昏時のスナップより樂な位である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その44】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版44です。「これは、劇場の樂屋でのスナップである。舞臺化粧の顔は、その儘だと、どぎつすぎて、撮影には不適當な場合が多い。然し、この程度の目張りの入れ方ならば、多少の不自然さはあるけれども、この作品を少し離れて見た時に、反つて迫力が出て効果的である。この作品は、閃光電球を同時發火して撮影した。採光上の特別な心遣ひがないので、その點、非常に平凡な印象を受ける。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その43】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版43です。「女の寫眞を撮る時の注意は、先づ第一に記念撮影をしないことであらう。モデルにカメラを意識させないと云ふことは、事實上不可能なのであるから、寫眞を撮る側で、モデルが表情を硬ばらせてカメラを見つめたり、目のやり場に困つて、落ちつかない、てれくささうな雰圍氣を作らないやうに、彼女が自由に振舞へるやうに仕向けてやるやうに心掛けたい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その42】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版42です。「この作品は、カビネの組立で撮影したものである。當時の私は、全紙四倍大の引伸には、どうしてもカビネ判の原板が必要であると思ひ込んでゐたのである。けれども、現在では、1/2ブローニー判(41/2cm×6cm)の大きさのネガティブならば、素人目に荒びない立派な引伸が出來るし、ブローニー判(6cm×9cm)のネガならば、それ以上は不必要な位である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その41】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版41です。「かうした作品を、撮りたかつた氣持を、實現し得た喜びは、實に作家にのみ許された三昧境であらう。思へば、この時まで、一度も山に經驗のない彼女は、前穂、奥穂、北穂の連峰を究めたばかりでなく、殘雪期のジヤンダルムの峻險も征服したのであつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その40】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版40です。「初夏の高原は、一年中で一番美しい潤ひを見せて私達を喜ばせる。殊に、新綠の萌え出でた木々の間に、白い梨の花が一段と強く私達の心を打つ。この美しい花を手折りたいのは、やまやまなのであるが、この一帶は國立公園になつてゐて、高山植物に限らず、一つの草木も採集することは出來ない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その39】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版39です。「女の敬虔な氣持を表現した積りである。かうした、テーマの撮影には、出來得る限り十分のライトを使用したい。自分のアトリエで撮るのであれば、どうにでもなるのだが、僅かの照明器具を携帶して行つて、光りの不十分さを意識しながら仕事する時の辛さは、何と云ふいらだたしさであらう。斷るまでもなく、この作品の生命は、光りの美しさでなければならぬ。太陽の直射下で、小型カメラだけで撮影してゐると、何時の間にか頭が杜撰になつて、光りを創作することが、もどかしくなる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その38】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版38です。「白樺の大きな幹の分れ目に、見事な膝を出して、彼女は雨雲で烟つた焼岳を見上げるのであつた。霽れた、明るい日であつたら、私は素晴らしいテーマを持つてゐたのだが……。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その37】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版37です。「別に賴みもしないのに、彼女は枯木に守宮のやうにとまつてゐる。その樣が餘りに面白いので、そのまゝに、と聲をかけながら、もう一人の彼女を前方にあしらつて構圖を纏めた。小雨降る、上高地、田代池の畔である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その36】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版36です。「上高地の宿屋でのスナップである。この寫眞から、四日間雨に振り込められた、憂鬱な雰囲氣は感じられないであらう。そこが、カメラの良さであり、同時に缺點でもあるのだ。結局、寫眞に於ける作品の價値は、カメラの背後に潜む人の問題に歸着するのである。心愉しければ、作品も亦愉し、と云ふことは、一應眞理であるが、苦勞の中に、愉しさを見出して、それを表現することも、作家としての義務である信ずる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その35】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版35です。「一點の雲もない、晴れ亙った青空は、女の寫眞の背景としては淋しい。さうした時は、止むを得ないから、フヰルターで空の調子を落とし、人物をくつきりと浮び上がらせることが必要である。この作品に就いて云へば、大膽な構圖が畫面全體をひきしめ、力の入つたモデルのポーズが、その微笑に柔らげられて、動きを表現してゐる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その34】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版34です。「これは、どう解説したら良いのであらう? 私は、かうした場合が、日常の茶飯事としてカメラに映ずるのである。日本の女の肉體は貧弱だと云ふことを、よく聞くが、この小型自動車ならば、彼女達は、立派に、新らしい型の水着や、ビーチパラソルや、サンダルシューズのやうに、身の周りの品物として扱へるのだ。小型自動車の廣告寫眞ではないのだから、自動車に餘りこだはらないやうに、大膽に、必要な部分だけを、畫面に取り入れるやうに、心懸けていただきたい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その33】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版33です。「三脚を立てゝ撮影するカメラでは、かう云つた寫眞を撮影することが、豫想外に困難である。けれども、小型カメラであれば、極めて容易にスナップ出來るのであるから、作家は、時と場合とに應じて、適切な撮影の準備をすることが、新らしい、女の寫眞を作る上には必要である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その32】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版32です。「時には、こんな場面を撮影することも、ピチピチとした若さが出て愉しい。のび切つた女の肢の美しさは、私たちのカメラの良き對象となるであらう。若しも、かうした素材が讀者に與へられたら、どうします? 私も今となつて見れば、もつと違つた扱ひ方があつたのに、と……。それをこゝに述べて見ようと、思はないでもないが、諸君の自信あり氣な顔色に期待をかけて、私の考へは割愛した方がよい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その31】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版31です。「乾いた砂丘の上は、かけ難いのであらう。期待した美しいフォームが仲々出ない。タンタンタンと行かないのだ。私は仕方なく、モデルの一人にタオルを片手に持たせて、動的効果を表現するやうにしたのだが、まだ心殘りがある。それかと云つて、薄い絹の布地でも持たせてたら、凡そこのモデル達とは、調和しないであらうし……」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その30】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版30です。「箱根、富士屋ホテルの温泉プールで撮影した作品である。このウヰン生れの伯爵夫人は、自分の日本での生活を、巴里やウヰンの社交界のサロン雑誌へ送つて、誌上に掲載されることを愉しんでゐた。この作品を御覧になれば解ることであるが、太陽の直射した場所で、大きな帽子をかぶつた女の顔は、仲々撮影困難で、單玉の安カメラでも撮れるけれども、かう云ふ無理な場合は、明るいレンズのカメラを使用した方が、作品の出來榮えが違ふのである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その29】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版29です。「砂丘の上に立つた娘達を、下からカメラを見上げて撮影した。太股や、腰が立派に畫面に表はれることを期待しながら…… こゝでも亦、白雲の浮んだ青空が、何と効果的な背景であることよ! 大空に浮ぶ雲が、畫面に動的効果を添へてくれることを會得し、それを製作に活用して頂きたい。」
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