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堀野正雄著「女性美の寫し方【その27】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版27です。「夕方の斜光線が、女達のよく發育した肉體を浮き立たせてくれた。土用波のたち初めた頃の海岸である。この作品に就ての難を云へば、人物の配置や、ビーチパラソルの建てかたなどを、餘りにも纏めすぎた結果、生氣に乏しい畫面になつてしまつた。」
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堀野正雄著「女性美の寫し方【その26】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版26です。「田舎の色街の雰囲氣を狙つた作品である。かう云ふ環境をカメラで表現する場合には、度強い太陽の直射光線を避けた方が賢明である。街燈が點つてからの黄昏時や、或は寧ろ夜間撮影するのも、情緒を狙ふ場合には成功するけれども、どうしても、作意的なわざとらしさが目立つてしまふ。白粉を濃く塗つた藝者の顔は、晝間の明るい所では見られたものではない。日本には藝者はつきものだから、地方の花柳界の雰囲氣を、出來るだけローカルカラーを出すやうに狙つたら、面白い、女の寫眞が出來るのではないだらうか?」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その25】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版25です。「傳統的な日本趣味の世界に住んでゐる人達の間では、色々無意味な約束が徒らに過重視されて、良く云へば、曲つたことは極端に嫌ふと云ふ風習がある。殊に、花柳界と云ふ別な世界では、その感が一入深いやうである。それで、例へば、顔の表情を出來るだけ動かさないで、つんとした技巧の中に美人を思はせることや、顔だけで表情してアトラクティブな美を計畫するのとの、二つの流儀があるやうだが、實際には後者の方が輕蔑されてゐるやうである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その24】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版24です。「婦人雑誌の仕事をしてゐた頃、時折、日本髪の寫眞を撮りに、髪結ひの所へ行つた。所が、髪結ひの世界には、寫眞に對する一つの既成概念があつて、その型にはまらない寫眞は、決して認めないのであつた。彼等(結髪師)は、寫眞を撮ると云ふので、自分の腕をふるひ所とばかり、自信の程を見せるのだが、モデルの髪の毛が、さう思ふやうには行かないし、何處から見ても、一點のすきもないと云ふやうに結ひ上がるものではないから、自分の缺點をかくすやうに、カメラの角度を指定して、それ以外の角度からは撮らせないやうに頑強に主張する。そして、髪の毛の不揃ひな所は、その輪廓を修正してくれと、必ず強請するのには、その都度あきれてしまつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その23】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版23です。「下町の商家に育つた私は、身に沁み込んだ日本趣味の桎梏から抜け出さうとして、どれ位もがいたことであらう。殊に大正十二年の關東大震災で、一切のものを失つた反動的な生活の中に、或る時期は、全く和服の女に美を感じないまでに褊狹な氣持を持ち續けてゐた。けれども、それは、意識的に歪めた、不自然な觀念でしかないのである。日本人である私達こそ、最もよく日本の女の良さを感じ、その美しさをカメラに依つて表現し得るのだと思つてゐる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その22】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版22です。「時折、外國から訪れる舞踊家達は、その大部分が世界的に一流の人達な所以(ゆゑ)でもあらうが、彼等は舞臺衣裳に對して非常な注意を拂つてゐる。デザインや、色彩のことは勿論のこと、毎日彼等のコスチュームは必ずアイロンを掛けることを忘れない。布地の細かい皺など、ステーヂの上では氣にならないであらうと云へばそれ迄だが、コスチュームのデリケートな効果を注意するところに、彼等の舞踊藝術に處する心構へが窺はれる。まして、寫眞を撮る時は、特に神經質であつて良いのだが、日本の西洋舞踊の踊り手など、その無頓着さに呆れることが多い。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その21】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版21です。「本格的な舞踊には、顔の表情はそれ程重要ではない。と云ふ主張は、一應は尤もだと思ふ。けれども、踊る人の心が愉しければ、ほゝ笑もまた、自然に顔に表はれて來なければならない。私達は持つと色々な拘束から解放されて良いと思つてゐる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その20】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版20です。「舞踊の寫眞と云ふものはむづかしい。單に『動き』だけを狙ふのであれば、小型カメラの發達した今日では、それ程苦心する必要はないのだが、調和のとれた美的効果を求めながら、舞踊のもつ動勢を表現することは仲々容易なことではない。シヤッターを切れば何か冩つてゐるのは當然のことで、モデルが醸し出す舞踊の美しい線を鋭く捕へることが必要なのである。この地味な作品は、一般受けがしないかも知れない。けれども、かうした境地をマスターし得た後に、激しい動的効果の表現を意圖すべきであらう。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その19】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版19です。「この作品は、意識的に組立てられたものであるけれども、云はば日常生活の一斷面なのである。動きの少ない動作を救ふ方法として、女の柔かい科(シグサ)を狙ふやうにしたい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その18】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版18です。「カンナの花が咲いてゐる頃だつた。早朝餘りにも晴れ亙つた空は、期待してゐた午後の斜光線を與へてくれなかつた。雲のすき間から、軟らげられた光線が僅かに洩れて、背景とのバランスをとつてくれた。モデルのポーズや、表情など、あゝでもない、かうでもない、と天候を氣にしながら仕事してゐる間の氣苦勞は、寫眞家だけが感ずるものであらうか!」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その17】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版17です。「例へば、又、私はかう云つた情景に魅せられる。撮影上のむづかしい技巧はない。ただ、レンズフードと、フヰルターを使用するだけで良い。午後の太陽が、彼女たちのアウトラインに美しいハイライトを見せて、見渡す限り、芝生の岡が、雲の彼方へ續いてゐた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その16】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版16です。「私は時折、自動車にやつとしがみついてゐる女、飛行機に負けてしまつて、空虚(うつろ)なポーズをしてゐる女、−さう云つた、寫眞を見受ける。それ等の一番大きな原因は、寫眞を撮る人の生活の中に、自動車や、飛行機……が、必然性を持つてゐないのだと、私は考へる。藝術寫眞の老大家の作品に、そのやうな矛盾が出てゐて、思はず苦笑しないではゐられない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その15】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版15です。「花の香!乙女は無心に花辯に顔を寄せる。自然にふせた眼、鼻、勞働しない手。この現實の中に、その瞬間、美の無終を感じた。それは夢なのであらうか?」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その14】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版14です。「花と女とは、いつもしつくりする。白いバラの生垣に魅せられて、モデルがその花の中に溶け込んだ氣分を表現したかつた。ただ、太陽が殆んど眞上にあつたので、モデルの顔の位置や、方向を、自由に扱へなかつたことは、残念でならない。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その13】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版13です。「色々のポーズに疲れたモデル達が、小舟の陰に身を寄せて、ゆつくりと足をなげ出して、憩ひの一ときを樂しまうとしたとき、ちやうど太陽が美しく娘達の身體を照らしてゐた。殊に、腰から上肢にかけての光線が、美しかつたので、モデル達には氣の毒ではあつたが、創作慾にかられて撮つたものの一枚である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その12】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版12です。「ある汽船會社の宣傳寫眞を撮影に行つたときである。モデル達を飽きさせないやうにとの心遣ひから、村の漁師たちが、岩の間に蠑螺(サザエ)をまいて置いてくれたのを、都會に育つた娘達は、自分が探した獲物、とばかり、喜こんで見せびらかすのであつた。初夏の陽を受けた、美しい皮膚を輝かせながら……」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その11】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版11です。「海水着の女達の寫眞をとる場合に、私は好んで、朝早くか、夕方の斜光線の時間を選ぶ。人物を浮び上らせる爲めには、さう云ふ光線の状態が一番効果的だと考へてゐる。殊に、この作品のやうに、沖の方が黒い雲に覆はれてゐるやうな時は、人物に直射する光線が、畫面を一入活々とさせる。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その10】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版10です。「この作品は、若い人達にだけ解つていただけるのではないかと思ふ。理解に苦しむ−と云つた讀者には、この作品を私は強請しようとは思はない。けれども、若い人達の世界にも亦、新らしい美が存在することを、私は主張して良いと考へる。若い人達の藝術は、やはり若い者達の手で育てゝ行きたい。ただ、この作品が、私の氣持−の全般でないことは勿論であるけれども…」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その9】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版9です。「チカチカと輝く海面に、私は殊更に魅惑を感ずる。然し、その状景を、女の寫眞の背景として選ぶことは、寫眞的常識よりすれば、寧ろ反則でさへある。繪畫に於ける構圖上の黄金率や、畫面の三分の一を水平線とする法則や、黒白の對比の釣合(バランス)は、我々の寫眞にも亦通用するものであるけれども、それにも増して寫眞の初期に打立てられた色々の法則から、我々は解放されて良い筈である。例へば、私が寫眞を始めた頃は、逆光線の撮影は嚴禁されてゐた。けれども、私達は、新らしい體驗に依つて、この反則であるべき撮影態度が、新らしい美的効果を示すと云ふことに着眼し始めたのである。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その8】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版8です。「四人のモデルをつれて、海岸に撮影に行つた時である。何時ものやうに、交代に一人づつ撮影してゐた折、休んでゐたモデルの一人が、岩の上で海を眺めてゐた。その自然なポーズを撮つたのが、この作品である。従つて、これは無技巧なスナップと云つても良いであらう。けれども、私は、白い波が打寄せるのを待つて、スナップすることを忘れなかつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その7】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版7です。「この作品のやうな場合の、理想的な條件を云へば、モデルが近代的な、明るい性格であること。運動神經があること。成るべく、午前早くか、夕刻時の斜光線の状態であること。勿論、晴天であること。雲は出來ればあつた方が良い。− 等であろう。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その6】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版6です。「このモデルは、舞踊の素養があつたので、かうしたポーズが樂に出來たのだと思ふ。女の美しさは、顔ばかりでなく、身體全體の表情を活かすことが、かうした場合には必要である。カメラマンは、低い位置から人物を見上げるやうにして、背丈を誇張するやうにしたい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その5】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版5です。「心地良い初夏の海風に女達は嬉々としてゐる。この頃の若い娘達は、のびのびと明るい振舞をして、朗らかな空氣を醸し出す。グループの寫眞を撮る場合には、自然なポーズの一瞬間を捉へることが、一番魅力ある作品が出來るのだが、一枚の寫眞の中に全體の構圖を纏めながら、人物を巧みにアレンヂすることは、かなりの苦心が入用である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その4】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版4です。「樂しい船旅の寫眞を撮影しようとして、その計畫を實行に移してみたのだが、曇天の爲めに豫期した効果が得られなかつたことが幾度かある。太平洋の強い浪のうねりが、モデル達を、船室に閉ぢこめて、入道雲の出た、活々とした海を目前に眺めながら、齒をくひしばつて、制作慾をおさへなければならなかつたこともあつた。その日の汽船が、舊式で、すつきりした感じを與へてくれなかつたこともあつた。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その3】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版3です。「私は、幾度か、船を女の寫眞の背景として扱つた。この作品は、岸壁に横づけされた汽船を利用したものである。かうした場合は、必ず晴天でなければならない。フヰルターを使用して、空の調子を落とし、白い鐵の構成をくつきりと表現するやうにしたい。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その2】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版2です。「浪風に洗はれた海岸の岩が、造化の妙を示してゐるのを時折見受ける。良い作品を作らうとする努力は、並大抵なことではない−と云ふことは、既に御承知の事實に違ひない。殊に、それが、女の寫眞の場合には、先づ第一に、モデルを見出すことが最初の創作的行為である。」

堀野正雄著「女性美の寫し方【その1】」(1938)

女性美の写し方1938oct

 1938(昭和13)年10月に新潮社から発行された「女性美の寫し方」(堀野正雄)より、図版1です。「早春の風が、ほつれた髪の毛に、云ひ知れぬ乙女の憂へを見せて通りすぎる。私は、この人の面ざしのうちに、久遠の哀愁を思ふ。眞晝近い、朝の陽は、うなじから美しい頬をかすめて、左の肩にゆつたりと消えてゐた。そして手に持つた鞣革のハンドバッグに、細やかなアクセントをつけてゐた。」

アマチュア寫眞講座5「人物撮影法【その111】」(1937)

ひとり1937jan

 1937(昭和12)年1月にアルス社から発行されたアマチュア寫眞講座5「人物撮影法」(佐和九郎)より、「ひとり」(新藤勝雄)です。茨城県日立市の河原子海水浴場でのスナップです。

アマチュア寫眞講座5「人物撮影法【その110】」(1937)

浴後1937jan

 1937(昭和12)年1月にアルス社から発行されたアマチュア寫眞講座5「人物撮影法」(佐和九郎)より、「浴後」(猪野喜三郎)です。神奈川県鎌倉市の海岸で撮影された海水浴から上がった女性です。

アマチュア寫眞講座5「人物撮影法【その109】」(1937)

泳ぎ疲れて1937jan

 1937(昭和12)年1月にアルス社から発行されたアマチュア寫眞講座5「人物撮影法」(佐和九郎)より、「泳ぎつかれて」(杉浦文子)です。愛知県豊橋市の豊川で遊び疲れた子供を撮影したものです。
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