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現代獵奇尖端圖鑑「エロチツク【その2】」(1931)

堀口大学1931apr

 1931(昭和6)年4月に発行された「現代獵奇尖端圖鑑」(新潮社)内の「エロチツク」章より「裸の女 二篇」(堀口大學)です。堀口大學(1892-1981)さんは東京生まれ、慶應義塾大學を中退後、外交官である父について外遊し、外交官を目指すために帰国しますが断念、通訳をしながら作詩、作歌、翻訳、エッセイなど多数出版し、詩の翻訳などで活躍しました。
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現代獵奇尖端圖鑑「エロチツク【その1】」(1931)

エロティック1931apr

 1931(昭和6)年4月に発行された「現代獵奇尖端圖鑑」(新潮社)の「エロチツク」章の表紙です。イラストは佐野繁次郎さんです。濃厚な社交ダンスです。

表紙「現代獵奇尖端圖鑑」(1931)

現代猟奇尖端図鑑1931apr

 1931(昭和6)年4月に発行された「現代獵奇尖端圖鑑」(新潮社)の表紙です。金銀箔押しの絵と題字は装幀も手掛けている佐野繁次郎さんの作品です。当時の流行最先端のモダンガールをデザイン化しています。

外箱「現代獵奇尖端圖鑑」(1931)

現代猟奇尖端図鑑1931apr

 1931(昭和6)年4月に発行された「現代獵奇尖端圖鑑」(新潮社)の外箱表紙です。外箱はフルカラー、中は天金ハードカバーの定価2円80銭(現在の感覚では5000円くらい)の豪華本です。当時流行していたエロ・グロ・ナンセンスの代表的な図版や記事を世界から集めた図鑑になっています。内容はエロに関して言えば女性のトップレスが普通に掲載されていて、当時でもこの程度なら市販可能だったようです。グロは所謂発展途上国の風俗を面白おかしく捉えたものが多く、現代感覚からすると差別的な表現が多いです。ナンセンスは今も昔もバカバカしいことをやる人はいるという感じです。装幀は佐野繁次郎さんなので、表紙イラストの作者もそうであると思われます。佐野繁次郎(1900-1987)さんは大阪市生まれ、小出楢重さんに師事した後、洋画家として活躍し、本の装幀や挿絵も数多く手掛けました。

雑誌記事「夏の山旅の準備と注意」(1939)

夏の山旅の準備と注意1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の山旅の準備と注意」(菅沼達太郎)です。菅沼達太郎(1902-1976)さんは法政大学山岳部出身で住友別邸に勤務しながら登山、ハイキング、サイクリングなどの普及に努めました。すでに贅沢品の購入が制限される中、古背広を登山服に改造する方法を載せています。

雑誌記事「眞夏の露出【その2】」(1939)

真夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「眞夏の露出」(池谷慶太郎)より「第1圖」です。夏の強い日差しが感じられる子供達のショットです。

雑誌記事「眞夏の露出【その1】」(1939)

真夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「眞夏の露出」(池谷慶太郎)より「第2圖」です。池谷慶太郎(1890-1968)さんは東京寫眞研究会などで活動した写真家です。

広告「グツチー」(1939)

グッチー1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「グツチー」(三和商會)です。マッチ箱より小さいカメラということで、持ち運び用に加え、スパイや探偵の御用達カメラです。

広告「コンドル」(1939)

コンドル1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「夏は樂し!傑作を生むコンドル」(日産光學工業社)です。日産光學は「ビクター」ブランドのカメラも販売しています。

雑誌記事「夏の日の思ひ出」(1939)

夏の日の思い出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の日の思ひ出」(房宗儀幸)です。波打ち際を散歩する親子をシルエットで描いています。何気ない平和な風景ですが数年後は散歩どころではなくなるのでしょうか。

雑誌記事「海の朝夕を寫す」(1939)

海の朝夕を写す1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「海の朝夕を寫す」(加藤恭平)より「渚を行く」です。海岸を行く女性二人ですが、加藤さんの以前の作品と同じシチュエーションです。水泳帽で髪を完全にガードしています。

広告「京寫の印画紙」(1939)

京都写真工業1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「京寫の印画紙」(京都寫眞工業株式會社)です。「祇園」は人物用高級紙で「比叡」は一般向けの印画紙です。京都と名乗っていますが本社の住所は大阪になっています。

雑誌記事「夏の海辺風景」(1939)

夏の海辺風景1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の海辺風景」(土居雄一郎)です。当時の沿岸漁船は木造の和船であることがよくわかります。

雑誌記事「ロッククライミングの寫し方」(1939)

ロッククライミング1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「ロッククライミングの寫し方」より「岩登り」(福岡孝行)です。福岡孝行(1913-1981)さんは東京生まれ、東京帝國大學在学中からスキーに親しみ卒業後は多くのスキー教則本の翻訳を行っています。戦後は法政大学の教員として働きながらスキーの教育普及に努めました。

雑誌記事「夏の山旅」(1939)

夏の山旅1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の山旅」(秋山青磁)より、「日光金精峠にて」です。ルートの確認や計画をしているのでしょうか。パイプでタバコを吸っているのが当時らしいです。

広告「ボルタックス」(1939)

ボルタックス1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「ボルタックス」(山下友治郎商店)です。とうとうベビィ「ライカ」を名乗ってしまっていますが商標的に大丈夫なのでしょうか。

広告「クロバーディレクトセルフタィマー」(1939)

セルフタイマー1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「クロバーディレクトセルフタィマー」(萩工業貿易株式會社寫眞部)です。カメラのレリーズ孔に挿して使うタイプのセルフタイマーです。レリーズ孔の規格によりローライ用とライカ用とその他のカメラメーカー用があります。

雑誌記事「山小屋を写す【その2】」(1939)

山小屋を写す1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「山小屋を写す」(丸茂慎一)より、「山小屋」です。大きな窓が洒落ている高原の山小屋です。

雑誌記事「山小屋を写す【その1】」(1939)

山小屋を写す1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「山小屋を写す」(丸茂慎一)より、「高原涼風」です。いかにも気持ち良さそうな高原のウッドデッキです。

広告「クラウン万年筆・ムッソリーニペン」(1939)

ムッソリーニペン1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「クラウン万年筆・ムッソリーニペン」(澤井商店)です。王冠の名を持つ万年筆と独裁者の名を冠するペン先です。

雑誌記事「夏の露出【その5】」(1939)

夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の露出」より、「近冩」(F9, 1/5)です。近景のトンボに焦点を合わせて後景をボカシています。

雑誌記事「夏の露出【その4】」(1939)

夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の露出」より、「軒下」(F9, 1/10)です。いつの時代でもみんな大好きな猫写真です。昔はたくさんあった中二階のある農家のようです。

雑誌記事「夏の露出【その3】」(1939)

夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の露出」より、「狭い街路」(F9, 1/50)です。日傘の和服夫人の影が長く伸びており、そこにカンカン帽の自転車紳士が通りかかっています。狭い街路とありますが、路面電車の石畳も見えており、相当広い都会の車道です。

雑誌記事「夏の露出【その2】」(1939)

夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の露出」より、「日向人物」(F9, 1/100)です。真夏の工事現場です。裸足で作業している人がいて大変危険です。

雑誌記事「夏の露出【その1】」(1939)

夏の露出1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の露出」より、「普通風景」(F9, 1/200)です。小学校高学年くらいの男の子達が屋外で写生をしています。

雑誌記事「夏の太陽【その28】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「夏」(島村紫陽)です。新和歌浦は現在の和歌山市にある大正時代に開発されたリゾート地です。島村紫陽(1903-1974)さんは和歌山県で活動した写真家です。

雑誌記事「夏の太陽【その27】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「聳ゆ」(原緑)です。このビルは数寄屋橋にあった1934(昭和9)年竣工のマツダビルディング(のちの銀座東芝ビル)です。2012年に解体され、跡地には現在東急プラザ銀座が開業しています。

雑誌記事「夏の太陽【その26】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「蜻蛉」(並木正次郎)です。池袋の原っぱでトンボとりに夢中な子供たちです。竿の先にとりもちがついているのでしょうか。

雑誌記事「夏の太陽【その25】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「街のユーモア」(木下廣二)です。看板の真似をする口髭メガネのおじさんです。

雑誌記事「夏の太陽【その24】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「無題」(合田高信)です。夕暮れの波打ち際を走る水着の女性です。
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