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雑誌記事「夏の太陽【その22】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「家路」(脇惠一郎)です。当時の典型的な未舗装の田舎道です。止めてあるのが大八車なので荷台が車軸の上にあり、すごく高くなっています。リヤカーがいかに優れた発明かがわかります。
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雑誌記事「夏の太陽【その21】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「寫生」(新藤勝雄)です。静岡県伊東市にある一碧湖の湖畔で写生をする親子です。

雑誌記事「夏の太陽【その20】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「無題」(大塚公)です。徳島市沖洲海岸の伝統的な装束をした漁師です。

雑誌記事「夏の太陽【その19】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「朝の海」(副島一彦)です。漁船が全て帆を何枚も掲げています。

雑誌記事「夏の太陽【その18】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「夏の海」(西山清)です。西山清(1893-1983)さんは18歳で写真館に就職して写真技術を磨いた後独立し、1922年にアマチュア写真家団体「プレザントクラブ」を創立した写真家で、戦前では珍しく個人写真集を出しています。

雑誌記事「夏の太陽【その17】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「渚の夕」(長濱慶三)です。夕暮れの茅ヶ崎海岸です。女性同士が手を繋いで歩いています。

雑誌記事「夏の太陽【その16】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「父歸る」(大澤芳雄)です。知多半島の漁村に帆船の漁船が帰港しています。

雑誌記事「夏の太陽【その15】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「潮風浴びて」(佐藤登)です。場所は稲毛海岸とありますが、戦後埋め立てられてしまい現在の稲毛海岸はここから3キロ程沖合になります。

雑誌記事「夏の太陽【その14】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「横濱山手風景」(福永尊正)です。おしゃれな洋装の二人連れがいかにも横浜の山手らしい感じです。

雑誌記事「夏の太陽【その13】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「富士見台高原にて」(三橋雅次)です。ここは長野県阿智村にある高原地帯です。

雑誌記事「夏の太陽【その12】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「眞夏の午後」(久保田睦夫)です。上半身裸で遊んでいる子供達です。

雑誌記事「夏の太陽【その11】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「園兒」(岡田一次)です。当時の幼稚園の様子ですが、クレヨンでお絵かきをしておりあまり現在と変わり無いように見えます。

雑誌記事「夏の太陽【その10】」(1939)

夏の海1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「夏の海」(中山岩太)です。海岸の背景に水着の女性を合成した中山岩太さんらしい作品です。これはもうコラージュ作品です。

雑誌記事「夏の太陽【その9】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「潮音」(濱谷浩)です。水着の女性が本を読みながら海岸の道を歩いています。場所は鎌倉海濱ホテル周辺とあるので現在の由比ヶ浜付近です。鎌倉海浜ホテルは戦後火事で焼失し、跡地は公園になっています。

雑誌記事「夏の太陽【その8】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「飛行機と少年」(篠田弘)です。ゴム動力の飛行機で遊ぶ子供達です。飛行機についている国籍マークはフランスでしょうか。

雑誌記事「夏の太陽【その7】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「博多山笠」(内田正男)です。最近はコロナでできませんが、戦前から変わらぬお祭り風景です。

雑誌記事「夏の太陽【その6】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「濱のブランコ」(杉原常造)です。場所は阪神香櫨園と書いてあり、現在も兵庫県西宮市に同名の駅があります。

雑誌記事「夏の太陽【その5】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「田園」(植田壽三)です。農作業をする母娘でしょうか。農村とはいえ子供達は洋装しています。

雑誌記事「夏の太陽【その4】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「家庭」(峰岸成光)です。木陰に座る三姉妹ですが、言われなくても姉妹だとわかります。

雑誌記事「夏の太陽【その3】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「夜」(桑原甲子雄)です。東京の隅田川沿いにある隅田公園の納涼船乗り場です。

雑誌記事「夏の太陽【その2】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「湖畔」(諸江一郎)です。背景に富士山が見えるので富士五湖周辺のようです。

雑誌記事「夏の太陽【その1】」(1939)

夏の太陽1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏の太陽」より、「健康」(日暮正次)です。撮影された場所は童謡「月の沙漠」(1923)の舞台で有名な千葉県の御宿海岸です。現代の女性の魅力は健康美だそうです。

雑誌記事「夏山の寫眞集【その3】」(1939)

夏山の写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏山の寫眞集」より、「明神池附近」(澁谷龍吉)です。一気に軽装の女性ハイカー達です。上高地は当時も観光スポットです。

雑誌記事「夏山の寫眞集【その2】」(1939)

夏山の写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏山の寫眞集」より、「劔澤の夕べ」(鈴木滿雄)と「甲斐駒頂上にて」(今井雄二)です。当時のテントの設営は大変そうです。

雑誌記事「夏山の寫眞集【その1】」(1939)

夏山の写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「夏山の寫眞集」より、「主峯」(今泉正路)です。戦前の夏山登山スタイルです。お二人とも同じ帽子に同じスタイルです。

広告「桑田商會」(1939)

桑田商会1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「夏山を撮る!」(桑田商會)です。マルバブランドのカメラを販売しています。これは6x4.5判のセミマルバと6x6判のマルバシックスの広告です。

雑誌記事「海洋寫眞集【その6】」(1939)

海洋写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「海洋寫眞集」より、「舟唄に明くる」(野網利三郎)です。午前5時の風景です。今ではほとんど見ることができない櫓を漕ぐ和船です。

雑誌記事「海洋寫眞集【その5】」(1939)

海洋写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「海洋寫眞集」より、「龍巻」(増田康城)です。船上から珍しい竜巻の瞬間を捉えた写真です。

雑誌記事「海洋寫眞集【その4】」(1939)

海洋写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「海洋寫眞集」より、「四ツ倉海岸」(添田賢三)です。四倉海岸は現在の福島県いわき市にあります。手前に多くの木造漁船が浜に上げられています。

雑誌記事「海洋寫眞集【その3】」(1939)

海洋写真集1939jun

 1939(昭和14)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事「海洋寫眞集」より、「朝もやを突いて」(重良光)です。早朝に出漁する木造漁船です。後ろに曳いている船を使って巻き網漁をするのでしょうか。海が荒れたら大変そうです。
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