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雑誌記事「特輯 春とカメラ【その7】」(1939)

春祭り1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「春祭り」(秋山青磁)です。浅草周辺の下町の様子のようです。
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雑誌記事「特輯 春とカメラ【その6】」(1939)

犬と遊ぶ子供1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「犬と遊ぶ子供」(秋山青磁)です。鎌倉の材木座海岸の風景です。子供の服装や犬種からかなり裕福な家庭の子供であると思われます。

雑誌記事「特輯 春とカメラ【その5】」(1939)

撮影会1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「撮影會」(秋山青磁)です。曇天での屋外撮影会となったので秋山さんは文句を言っています。

雑誌記事「特輯 春とカメラ【その4】」(1939)

春雨1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「春雨」(秋山青磁)です。秋山青磁さんは作家の山本周五郎さんの又従兄弟にあたる写真家です。雨の銀座の風景です。

雑誌記事「特輯 春とカメラ【その3】」(1939)

機関車1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「機關車」(塚本閣治)です。横浜の機関区に別の取材で行った時のスナップだそうです。時節柄、石炭の効率的な燃焼が心がけられているそうです。

雑誌記事「特輯 春とカメラ【その2】」(1939)

炉端1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「爐邊」(塚本閣治)です。西那須野での国鉄企画青年徒歩旅行の同行取材です。

雑誌記事「特輯 春とカメラ【その1】」(1939)

春とカメラ1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「特輯 春のカメラ」より「恵美子の像」(塚本閣治)です。塚本閣治(1896-1965)さんは東京生まれ、東京美術學校図案科を卒業後、記録映画作家、写真家となりました。この写真は娘さんの小学校入学式の姿をベビーパールで撮ったものです。

雑誌中表紙「アサヒカメラ4月號」(1939)

中表紙1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の中表紙です。口繪寫眞は「春」(曳地幸次)です。当時はこのような木製の川船がたくさんあったのでしょう。

広告「スーパーフレックス」(1939)

スーパーフレックス1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の広告より「スーパーフレックス」(暿光堂本店)です。カメラの製作は梅本製作所です。梅本製作所は1935(昭和10)年に設立され、カメラの製造販売を行っていました。現在は三脚雲台など撮影機材の会社として存続しています。

広告「京寫の印画紙」(1939)

京都写真工業1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の広告より「京冩の印画紙」(京都寫眞工業株式會社)です。商品名に「祇園」「比叡」とベタな名前を付けています。京都写真工業は1938(昭和13)年に設立された写真印画紙会社ですが、1944(昭和19)年に三菱製紙に国策合併され、現在の三菱製紙京都工場になります。

雑誌記事「四月の露出表」(1939)

露出表1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事より「四月の露出表」です。四月の天候におけるフィルム感度と絞りとシャッタースピードの関係です。写すと言うだけなら結構適当でも撮れます。

雑誌記事「アサヒカメラ・カレンダー」(1939)

アサヒカメラカレンダー1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事より「アサヒカメラ・カレンダー 4月」です。1939年の4月の日本各地の行事が書いてあります。背景は高原に遊ぶ女性達で、作者は女性ポートレートで有名な堀野正雄さんです。

広告「ネオパン」(1939)

ネオパン1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の広告より「ネオパン」(富士寫眞フィルム株式會社)です。「よいチャンスを必ずモノにする富士フィルム」だそうです。

広告「マツダ閃光球」(1939)

マツダ閃光球1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の広告より「マツダ閃光球」(東京電氣株式會社)です。現在川崎駅前にあるラゾーナ川崎の場所は以前東芝の工場が広がっていました。

雑誌記事「富岡弘傑作寫眞集【その3】」(1939)

富岡弘傑作写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「富岡弘傑作寫眞集」(富岡弘)より、「3」です。どこかの夜の天守閣を眺める着物にショール姿の三人の女性です。

雑誌記事「富岡弘傑作寫眞集【その2】」(1939)

富岡弘傑作写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「富岡弘傑作寫眞集」(富岡弘)より、「2」です。早朝の旅館から外を見ています。森から立ち上がる霧と空の雲が見分けつきません。

雑誌記事「富岡弘傑作寫眞集【その1】」(1939)

富岡弘傑作写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「富岡弘傑作寫眞集」(富岡弘)より、「1」です。夕刻、モーターボートに乗る女性を逆光で捉えています

雑誌記事「子供の寫眞集【その6】」(1939)

子供の写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「子供の寫眞集」(山浦翠村)より、「曼珠沙華と少女」です。彼岸花を持った少女がかたい表情でポーズをとっています。

雑誌記事「子供の寫眞集【その5】」(1939)

子供の写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「子供の寫眞集」(山浦翠村)より、「小さき者」です。幼児が大人用の下駄を履き、大人用の傘を持っているアンバランスさが面白いです。

雑誌記事「子供の寫眞集【その4】」(1939)

子供の写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「子供の寫眞集」(山浦翠村)より、「或る表情」です。お人形のような姉妹です。この子たちは和装です。

雑誌記事「子供の寫眞集【その3】」(1939)

子供の写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「子供の寫眞集」(山浦翠村)より、「子守する二人の幼女」です。当時は小さな子供に乳児の世話をさせることは普通に行われていました。

雑誌記事「子供の寫眞集【その2】」(1939)

子供の写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「子供の寫眞集」(山浦翠村)です。上から「小さき集ひ」、「しゃがんだキヨ子」、「小虫に見入る子供」です。この頃の都会の子供は皆洋服です。

雑誌記事「子供の寫眞集【その1】」(1939)

子供の写真集1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「子供の寫眞集」(山浦翠村)より、「子供の國」です。山浦翠村(1896-?)さんは佐賀県生まれ、日本画家を目指して上京しますが挫折し、営業写真を学んで福岡県久留米市で写真館を営みながら写真家として活動しました。

広告「東洋の覇王 カメラはファースト」(1939)

ファースト1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の広告より「東洋の覇王 カメラはファースト」(皆川商店)です。皆川商店は1929年に設立され、ファーストを初め様々なカメラを精密機械メーカーと共同でプロデュースしていましたが、1955年に倒産しました。

広告「ハモンドB」(1939)

ハモンドB1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の広告より「ハモンドB」(丸惣株式會社)です。カメラと双眼鏡を合体させれば売れるのでは、というアイデア商品でしょうか。カメラのレンズと双眼鏡のレンズは全然別になっています。丸惣は戦前戦後にカメラの製造販売を行っていましたが、現在パーティーグッズやパチンコ景品の業者として存続しています。

雑誌記事「春のアルバム【その5】」(1939)

春のアルバム1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「春のアルバム(組寫眞集)」より「春野」(永田二龍)です。モデルさんを使った屋外撮影です。永田二龍(1885?-1968)さんは主に戦前に名古屋で活躍した写真家で医師でもありました。

雑誌記事「春のアルバム【その4】」(1939)

春のアルバム1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「春のアルバム(組寫眞集)」より「春が來た」(間宮精一)です。隅田公園と成田公園の春の様子です。左写真の丸いおでんの看板が面白いです。

雑誌記事「春のアルバム【その3】」(1939)

春のアルバム1939apr

 1939(昭和14)年4月発行の雑誌「アサヒカメラ4月號」(朝日新聞社)内の記事「春のアルバム(組寫眞集)」より「靖國神社大祭」(桑原甲子雄)です。桑原甲子雄(1913-2007)さんは東京の下谷に生まれ、東京市立第二中學を卒業後アマチュア写真家として活動を始めます。戦後はカメラ雑誌の編集長を歴任して新人育成や写真評論に努めました。最近は戦前のアマチュア時代の写真が再評価され、写真集がいくつも出版されています。
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