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雑誌記事「霧ヶ峰グライダー懸賞入選作品集【その2】」(1938)

快翔1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「霧ヶ峰グライダー懸賞入選作品集」より、「快翔」(三橋雅次)です。これはより簡素なプライマリー機かもしれません。グライダー操縦技能の上達に従って、機体もプライマリー→セカンダリー→ソアラーと大きくなっていきます。
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雑誌記事「霧ヶ峰グライダー懸賞入選作品集【その1】」(1938)

セコンダリー機1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「霧ヶ峰グライダー懸賞入選作品集」より、「セコンダリー機」(小松園治)です。セコンダリー機はグライダー初級者向けのクラスです。

広告「戰時經濟の實相」(1938)

戦時経済の実相1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の広告より「戰時經濟の實相」(朝日新聞社)です。東京朝日新聞に連載された記事の単行本化です。戦時ということで統制経済に移行していく時期ですが、この頃作られた法律がいまだに有効だったりして、現在の経済はまだ1940年体制のままだという人もいます。

広告「滿洲移民の全貌」(1938)

満洲移民の全貌1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の広告より「アサヒグラフ臨時増刊 國策滿洲移民の全貌」(朝日新聞社)です。当時は年100万人の人口増加が問題でした。「農村窮乏打開の唯一の活路として開かれた滿洲移民こそ正に天恵だ!」とのことです。

雑誌記事「十月の寫眞メモ【その2】」(1938)

第4コーナー1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「十月の寫眞メモ」(大内三千)より、「第4コーナー」です。小学校の運動会の様子を流し撮りでダイナミックに写しています。

雑誌記事「十月の寫眞メモ【その1】」(1938)

二年生のスタート1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「十月の寫眞メモ」(大内三千)より、「二年生のスタート」です。当時の小学生はきちんとした体操着があるようです。右端の子は胸に校章までつけています。二人目の子はランニングシャツです。運動には不向きだと思いますが学帽をかぶっている子もいます。大内三千さんは栃木県真岡市の大内写真館の二代目で東京寫眞専門學校を卒業後、益子焼の写真などで多くの賞を受賞した写真家です。

雑誌記事「我が國報道寫眞の萌芽【その4】」(1938)

帝大生1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「我が國報道寫眞の萌芽」(山村鷹生)です。例は上から昭和9年11月28日付の「帝大新聞」より「帝大生は何をしてゐるか」(中央工房)、昭和10年4月発行の「改造」より「南洋・島民と日本人と」(松崎啓次)、昭和10年4月発行の「中央公論」より「ナチス・獨逸は躍る!」です。中央工房は木村伊兵衛氏らによるプロダクションです。

雑誌記事「我が國報道寫眞の萌芽【その3】」(1938)

人だかりの採集1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「我が國報道寫眞の萌芽」(山村鷹生)です。例は昭和7年1月発行の「中央公論」誌より「人だかりの採集」(吉田謙吉)です。今和次郎さんが提唱した考現学「モデルノロヂオ」の一環としてのライカカメラによる人だかりのある路上風景スナップです。

雑誌記事「我が國報道寫眞の萌芽【その2】」(1938)

報道写真1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「我が國報道寫眞の萌芽」(山村鷹生)です。第4図は昭和7年3月のアサヒグラフより「都會の陰影 - これでもよいのか - 」(新井格)、第5図は昭和8年4月のアサヒグラフより「解放から組織への彼女等」(日本女子大櫻風會)、第6図は昭和8年5月のアサヒグラフより「夢は鐵路を - 眠れ海老のごとく - 三等客よ」です。

雑誌記事「我が國報道寫眞の萌芽【その1】」(1938)

報道写真1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「我が國報道寫眞の萌芽」(山村鷹生)です。第1図は「改造」昭和6年4月号に掲載された「躍動する勞農ロシア總觀」です。第2図は「中央公論」昭和6年10月号に掲載された「大東京の性格」(板垣鷹穂編、堀野正雄写真)です。これらは日本のグラフジャーナリズムの画期となったものです。

雑誌記事「ニュース・フラッシュ【その2】」(1938)

ニュースフラッシュ1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「ニュース・フラッシュ」(朝日世界ニュースより)です。左上のニュースはニューヨークからロサンゼルスに行くつもりがアイルランドに着いたという訳の分からない冒険飛行です。

雑誌記事「ニュース・フラッシュ【その1】」(1938)

ニュースフラッシュ1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「ニュース・フラッシュ」(朝日世界ニュースより)です。中国軍を指導していたドイツ軍事顧問団の撤退とヒトラーユーゲントの来日といった時代の変わり目を写しています。左上の羽田空港で民間機同士が空中衝突した大惨事のニュースも気になります。

雑誌記事「六大都市職員寫眞展作品集【その3】」(1938)

躍動1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「六大都市職員寫眞展作品集」より「躍動」(外岡輝馬・大阪)です。多分大阪のどこかで、映画館などが隣接する噴水のある広場です。

雑誌記事「六大都市職員寫眞展作品集【その2】」(1938)

夜の三ノ宮駅1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「六大都市職員寫眞展作品集」より「夜の三の宮驛」(佐藤頼東・神戸)です。暗いホームを長時間露光で写しているようです。

雑誌記事「六大都市職員寫眞展作品集【その1】」(1938)

眺望1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「六大都市職員寫眞展作品集」より「眺望」(三上惣次郎・横濱)です。六大都市とは東京市、横濱市、大阪市、京都市、神戸市、福岡市です。

雑誌記事「初等寫眞術百講」(1938)

記念写真1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「初等寫眞術百講」より「記念寫眞の上手な撮り方」(水平譲)です。様々なシチュエーションの記念写真を上手に撮るためのテクニックを教えています。

雑誌記事「月例懸賞第1部密着入選作品集【その4】」(1938)

朝1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「月例懸賞第1部密着入選作品集」より「朝」(塚口浩造)です。高原の朝日の中で体操をする女学生達です。上高地の早朝です。これから登山に出かけるのでしょうか。

雑誌記事「月例懸賞第1部密着入選作品集【その3】」(1938)

雨上がり1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「月例懸賞第1部密着入選作品集」より「雨上がり」(加藤清一郎)です。都会の一角を切り取っています。中央のダストボックスは東京オリンピック前の街中に普通にあったものです。ここにゴミを入れておくと収集してくれます。ただ収集日など決まっていなかったので周囲がゴミだらけになります。

雑誌記事「月例懸賞第1部密着入選作品集【その2】」(1938)

午後の風景1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「月例懸賞第1部密着入選作品集」より「午後の風景」(三室正典)です。農村の畦道でしょうか。前景に花、後景に日傘の婦人をボカシた構図です。

雑誌記事「月例懸賞第1部密着入選作品集【その1】」(1938)

午後三時1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の「月例懸賞第1部密着入選作品集」より「午後三時」(竹内敏夫)です。腕木式信号機のアナログなメカニックがクローズアップされています。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その9】」(1938)

秋の車窓人物1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の車窓人物」(寺岡徳二)です。車内で寝ている女性を無断で撮影すると現代では盗撮になってしまいますが、寺岡さんの文章でも「寝姿の盗人はいさゝかコソ泥的で氣がひける」とあります。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その8】」(1938)

秋の空1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の空」(渡邊定男)です。渡邊定男さんは戦前に写真技法関係の書籍や寄稿が多々あります。写真は奈良の鹿です。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その7】」(1938)

秋の街1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の街」(濱谷浩)です。都会のビル内のカフェで寛ぐ女性達です。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その6】」(1938)

秋の人1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の人」(鈴木正紀)です。観光等を担当とする鉄道省業務局の鈴木正紀氏撮影の写真です。干し柿が吊された島根県松江近郊の農家の縁側です。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その5】」(1938)

秋の湖畔1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の湖畔」(金原三省)です。場所は佐渡島にある加茂湖です。背景は金北山だそうです。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その4】」(1938)

秋の田園1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の田園」(間宮精一)です。この田園風景の場所は東京の立石付近だそうです。現在は下町のイメージですが、当時はまだ郊外でした。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その3】」(1938)

秋の山1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の山」(冠松次郎)です。秋の霞澤岳の風景です。冠松次郎(1883-1970)さんは東京生まれの登山家で、山岳紀行文の作家としても有名です。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その2】」(1938)

秋の河畔1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「秋の河畔」(下島勝信)です。下島勝信(1888-?)さんは戦前戦後に活躍した写真家です。写真の川の場所は不明です。

雑誌記事「特輯 爽秋の撮影・作画【その1】」(1938)

ススキ1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の特輯「爽秋の撮影・作画」より「芒」(福原路草)です。福島県の裏磐梯川上温泉からの磐梯山です。福原路草(1892-1946)さんは東京生まれ、慶應義塾大學を卒業後、写真家となりました。資生堂初代社長の福原信三さんの弟です。

雑誌記事「歐洲旅行アルバム【その9】」(1938)

コロンボ、シンガポール1938oct

 1938(昭和13)年10月に発行された「アサヒカメラ」十月號(第二十六巻第四號)(朝日新聞社發行)内の記事「歐洲旅行アルバム」(相馬正男)より「コロンボ、シンガポール」です。欧州旅行と言いつつ船旅なので帰りはインドとシンガポールに寄港します。ヨーロッパ植民地のアジアの絵葉書に対しての批評は辛辣です。
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