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雑誌記事「少女模範讀物【その13】」(1923)

発表の日1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女對話「發表の日」(迫田周吾)です。挿絵は岡田なみぢさんです。結局皆さん合格でした。お母さんの髪型が耳隠しで当時感があります。
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雑誌記事「少女模範讀物【その12】」(1923)

発表の日1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女對話「發表の日」(迫田周吾)です。挿絵は岡田なみぢさんです。試験の日に親切にした小使いさんから合格の電話が来ましたが、証拠もなく不安です。大正時代に自宅に電話があるということは相当裕福なご家庭です。まだ電話が自動化されていないのでダイヤルがなく、交換手を呼び出して口頭で番号を伝える方式です。

雑誌記事「少女模範讀物【その11】」(1923)

発表の日1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女對話「發表の日」(迫田周吾)です。迫田周吾さんは京都府師範學校訓導です。挿絵はサインから岡田なみぢさんだと思われます。合格発表を心待ちにする少女の戯曲です。

雑誌記事「少女模範讀物【その10】」(1923)

眼鏡1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より滑稽小説「眼鏡」(柳田與生)です。ハンモックで昼寝をするお兄さんや爺やの存在からかなり良いお宅の娘さんたちのようです。

雑誌記事「少女模範讀物【その9】」(1923)

眼鏡1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より滑稽小説「眼鏡」(柳田與生)です。作者の柳田與生さんは愛知縣一宮市第四小學校訓導です。

雑誌記事「少女模範讀物【その8】」(1923)

海に行く道1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女小曲「海に行く道」(土田哲夫)です。土田(上田?)哲夫さんは大分市第二小學校訓導です。挿絵はサインから岡田なみぢさんだと思われます。

雑誌記事「少女模範讀物【その7】」(1923)

盗人を退治した少女1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女事實美談「盗人を退治した少女」(野田秋生)です。少女の通報により、盗人は取り押さえられ、街の人々は少女を褒めそやしました、というお話でした。

雑誌記事「少女模範讀物【その6】」(1923)

盗人を退治した少女1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女事實美談「盗人を退治した少女」(野田秋生)です。泥棒を見つけましたが、病弱の父親、意気地のない兄は役に立ちません。少女自ら街の人に助けを求めに行きます。

雑誌記事「少女模範讀物【その5】」(1923)

盗人を退治した少女1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女事實美談「盗人を退治した少女」(野田秋生)です。作者の野田秋生さんは愛知縣一宮市第二小學校訓導です。13歳の少女が眠りにつこうとすると、家に泥棒が進入してきました。大正8年の出来事ということですが、挿絵の泥棒は江戸時代のようです。

雑誌記事「少女模範讀物【その4】」(1923)

行く雁を追うて1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女小説「行く雁を追ふて」(中村武)の挿絵です。サインから作者は林唯一さんだと思われます。芳江さんの名前は補欠の1番にありました。せっかくトップ合格した壽子さんは家庭の事情で進学を諦め芳江さんにその枠を譲るという後味の悪い結末でした。

雑誌記事「少女模範讀物【その3】」(1923)

行く雁を追うて1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女小説「行く雁を追ふて」(中村武)です。不幸な境遇の壽子さんは難関の県立女学校の受験を断念しようとしますが、先生の勧めで受けるだけ受けたところトップ合格でした。でもお友達の芳江さんの番号がありません。

雑誌記事「少女模範讀物【その2】」(1923)

行く雁を追うて1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女小説「行く雁を追ふて」(中村武)です。学校の応接室で壽子さんの可哀想な身の上を聞いて同情する先生の図です。

雑誌記事「少女模範讀物【その1】」(1923)

行く雁を追うて1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の「少女模範讀物當選」作品より少女小説「行く雁を追ふて」(中村武)です。作者の中村武さんは名古屋市熱田高蔵小學校の訓導です。

雑誌記事「少女模範讀物當選發表」(1923)

少女模範読み物1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より「少女模範讀物當選發表」です。これは学生ではなく、教師に対する作品募集の当選発表です。選者に佐々木吉三郎(1872-1924)さん、小山内薫さん、野口雨情さんと豪華な面々を揃えています。

お伽滑稽「森に出た鬼」【その3】(1923)

森に出た鬼1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事よりお伽滑稽「森に出た鬼」(淺原鏡村)です。陸軍大将になった気分で堂々と歩くポン吉君です。

お伽滑稽「森に出た鬼」【その2】(1923)

森に出た鬼1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事よりお伽滑稽「森に出た鬼」(淺原鏡村)です。いつも騙しているポン吉くんはテン子さんから仕返しを受けました。

お伽滑稽「森に出た鬼」【その1】(1923)

森に出た鬼1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事よりお伽滑稽「森に出た鬼」(淺原鏡村)です。淺原鏡村(六朗)(1895-1977)さんは長野県生まれ、早稲田大學英文科を卒業後、實業之日本社に就職、その後1928(昭和3)年より作家に専念します。童謡「てるてる坊主」の作者として有名です。また日本大学芸術学部教授、帝京大学文学部教授などを歴任しました。

広告「少女画報・四月少女運動號」(1923)

少女画報1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の広告より「少女画報・四月少女運動號」(東京社)です。女学生の運動特集号の中に、宝塚少女歌劇場全焼涙物語という記事が気になります。

少女スケツチ「かくれんぼ」(1923)

かくれんぼ

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より少女スケツチ「かくれんぼ」(なみぢ)です。7歳くらいの少女が可愛いので思わず肩に手をかけるなど、現代なら通報案件のようなエッセイです。

繪ものがたり「空しき願ひ・須藤しげる」【その6】(1923)

空しき願い1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より繪ものがたり「空しき願ひ」(須藤しげる)です。何も事態が改善しないまま、母親は死に至ってしまいます。なんとも救いのないお話でした。

繪ものがたり「空しき願ひ・須藤しげる」【その5】(1923)

空しき願い1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より繪ものがたり「空しき願ひ」(須藤しげる)です。母親の容態はますます悪化し、それに伴って困窮度も増していきます。祖父は頑なに許そうとはしません。

繪ものがたり「空しき願ひ・須藤しげる」【その4】(1923)

空しき願い1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より繪ものがたり「空しき願ひ」(須藤しげる)です。手紙を届けにきた麗子を邪険に扱った祖父ですが、別の機会で見かけた時に見窄らしい身形を不憫に思ったようです。

繪ものがたり「空しき願ひ・須藤しげる」【その3】(1923)

空しき願い1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より繪ものがたり「空しき願ひ」(須藤しげる)です。病気の母に代わり、祖父に手紙を届ける麗子ですが、冷たくあしらわれます。

繪ものがたり「空しき願ひ・須藤しげる」【その2】(1923)

空しき願い1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より繪ものがたり「空しき願ひ」(須藤しげる)です。「大へん悲しい事情のために」実家を捨て東京に逃げた母親は絶縁されてしまったようです。

繪ものがたり「空しき願ひ・須藤しげる」【その1】(1923)

空しき願い1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より繪ものがたり「空しき願ひ」(須藤しげる)です。ただならぬ雰囲気の母娘が祖父に冷たくされています。

広告「少女倶樂部・四月號」(1923)

少女倶楽部1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の広告より「少女倶樂部・四月號」(大日本雄辯會)です。現在の講談社の雑誌です。ライバル雑誌の広告も平気で載せています。

口繪「春の小曲」(1923)

春の小曲1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より「春の小曲」(鏡村生)です。詩の作者の鏡村生さんは大正時代の少女の友誌に度々書いていますが、詳細はわかりませんでした。

口繪「バツク開脚跳」(1923)

バック開脚跳び1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の記事より寫眞版口繪「バツク開脚跳」です。モデルは廣島縣立忠海高等女學校本科二年の富中ツルヨさんです。綺麗なフォームで跳馬をしています。

広告「濟生堂製藥所」(1923)

済生堂製薬所1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の広告より「化學的に色白く美しくする法」(濟生堂製藥所)です。ハルナーという化粧品の広告ですが、いわばニキビそばかす対策の薬です。

広告「帝國習字速成學會」(1923)

帝国習字速成学会1923apr

 1923(大正12)年4月に発行された「少女の友」四月(第十六巻第四號)特別増大少女模範讀物號(實業之日本社刊)内の広告より「書き方がスグ甲ノ上」(帝國習字速成學會)です。大正初めからの定番広告ですがまだ続いています。
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