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雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その11】」(1937)

春風1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より特選「春風」(森山繁)です。熊本市内の古戦場で撮られています。着物に桜とまさに日本紹介写真です。
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雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その10】」(1937)

提灯を売る店1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「提灯を賣る店」(長谷川哲朗)です。京都の提灯屋さんですが、柄にオリンピックの五輪マークがあります。1940年東京大会返上前のようです。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その9】」(1937)

凧上げ1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「凧揚げ」(加納朝次郎)です。学習院風の制服を着た小学生が凧上げをしています。

広告「ライラ・シックス」(1937)

ライラシックス1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ライラ・シックス」(富士光學器械製作所)です。6x6版のスプリングカメラです。レンズやシャッターも日本製というのは珍しいです。当時のカメラメーカーの多くはドイツの部品メーカーから供給をうけて組み立てるだけのものが多かったようです。

広告「懸賞寫眞募集」(1937)

懸賞写真募集1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「懸賞寫眞募集」(スーパーオリンピック)です。スーパーオリンピックはリコーのカメラブランドです。リコーは戦前からのカメラメーカーですが、現在はPENTAXブランドも傘下に収めています。ライカ判フィルムは現在普通に普及している35mmフィルムのことですが、当時は35mm映画フィルムを買ってきて暗室で自らパトローネに巻き込まなけれいけませんでした。

広告「ライカカメラ」(1937)

ライカカメラ1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ライカカメラ」(小西六)です。前回のコンタックスと同じ小西六が代理店です。この時代にライカとコンタックスのどちらが優れているかという不毛な論争が日本であったそうです。

広告「クロームコンタックス」(1937)

クロームコンタックス1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ZEISS IKON THREE CONTAX」(小西六)です。ツァイスイコン製のレンジファインダーカメラです。クロームコンタックスは黒いボディーの初代コンタックスに対してクロームメッキボディーなので付けられた日本独自の商標です。現在ではコンタックスII型と呼ばれています。

広告「KHRノ特製豪華版アルバム」(1937)

KHR1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「KHRノ特製豪華版アルバム」(デユポンフヰルムサービス部)です。ドイツの有名カメラメーカーやブランドのロゴが入ったアルバムです。商標権の許諾を取っているのか心配です。

広告「ローライフレックス・ローライコードII型」(1937)

ローライフレックス1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ローライフレックス・ローライコードII型」(フオツトニユース社)です。二眼レフの元祖、ドイツのカメラメーカーであるローライの広告です。6x6という正方形の画角が特徴です。

広告「ホクトレンデル」(1937)

フォークトレンダー1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ホクトレンデル」(小西六)です。フォクトレンダーはドイツのカメラメーカーで小西六が輸入販売していたようです。現在は日本のメーカーであるコシナのレンズのブランド名として存続しています。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その8】」(1937)

日本ライン1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「日本ライン」(伊藤忠雄)です。日本ラインとは岐阜県から愛知県にかけての木曽川流域のことです。ライン川に似ているのだそうです。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その7】」(1937)

国立公園の春1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「國立公園の春」(吉田久雄)です。桜の後景にボケ味の富士山という構図です。カラーで見たらより綺麗そうです。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その6】」(1937)

結婚式1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「結婚式場へ向ふ花嫁」(陸門正作)です。京都の平安神宮でのスナップです。神社で結婚式が行われるようになったのは意外と最近で、大正天皇のご成婚がきっかけになって、1901(明治34)年以降のことになります。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その5】」(1937)

田舎の春1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「田舎の春」(正木清三)です。熊本の農村の風景です。梅が咲いています。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その4】」(1937)

清流1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「清流」(佐藤信男)です。京都嵐山の春、材木筏を操る船頭さんです。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その3】」(1937)

浜の乙女達1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「濱の乙女等」(勝見正雄)です。涼げな少女等の夏の海のスナップです。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その2】」(1937)

農婦1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準特選「農婦」(今村祥五)です。スイカを収穫して満面の笑みです。日避けの編笠が特徴的です。

雑誌記事「日本紹介懸賞写真入選作品集【その1】」(1937)

日本紹介懸賞写真入選作品集1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事「日本紹介懸賞写真入選作品集」より準入選「春」(藤本霞亭)です。有馬温泉でお花見を楽しむ夫婦でしょうか。

広告「最新型カメラとフイルター」(1937)

双美商会1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「最新型カメラとフイルター」(双美商会)です。広告で勧めている最新小型精密カメラとは、乾板を利用する大判カメラに対する小型カメラの意味で、広告にあるイコンタスーパーシックスは120フィルムを6x6で使ったいわゆる中判カメラです。

広告「寫眞實技大講座」(1937)

木村伊兵衛1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「寫眞實技大講座」(玄光社)です。第一回配本「小型カメラの寫し方・使ひ方」(木村伊兵衛先生著)、第二回配本「人物寫眞の狙ひ方・寫し方」(眞繼不二夫先生著)の広告で、ライカのスナップでトップカメラマンとなった木村伊兵衛さんの伝説の名著です。作例の生写真が付録でついているのですが、これが残っている古本は大変高価です。眞繼不二夫(1903-1984)さんは京都府生まれ、同志社大学中退後フリーのカメラマンとなり、戦前戦後を通じて人物写真の大家として活躍しました。

雑誌記事「祇園まつり【その4】」(1937)

祇園祭1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事より「祇園まつり」(金丸重嶺、文:富岡ふゆの)です。丸髷の御婦人の浴衣姿です。

雑誌記事「祇園まつり【その3】」(1937)

祇園祭1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事より「祇園まつり」(金丸重嶺、文:富岡ふゆの)です。祇園祭の賑やかさをフォトコラージュで表現しています。

雑誌記事「祇園まつり【その2】」(1937)

祇園祭1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事より「祇園まつり」(金丸重嶺、文:富岡ふゆの)です。現在とほとんど変わることのない船鉾の写真です。

雑誌記事「祇園まつり【その1】」(1937)

祇園祭1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の記事より「祇園まつり」(金丸重嶺、文:富岡ふゆの)です。文は歌人の富岡ふゆの(1904-1940)さんです。富岡さんは富岡鉄斎の孫として生まれ、京都第一高等女学校在学中に和歌を佐佐木信綱氏に師事して歌人となりました。

広告「ベビーミノルタ」(1937)

ベビーミノルタ1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ベビーミノルタ」(淺沼商會本店)です。ベビーミノルタはヴェスト判の小型カメラでライカの1/70の価格です。

広告「ツァイスイコン スリーコンタツクス」(1937)

コンタックス1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ZEISS IKON THREE CONTAX」(淺沼商會本店)です。ツァイスイコン製のレンジファインダーカメラである三種類のコンタックスです。それぞれコンタックス、クロームコンタックス、ユニバーサルコンタックスと名付けられていますが、現在ではそれぞれコンタックスI, II, IIIと呼ばれています。

広告「ツァイスイコンボデーレリーズ」(1937)

ツァイスイコン1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ツァイスイコンボデーレリーズ」(カールツァイス株式會社)です。ツァイスイコン製の蛇腹式スプリングカメラにはボディーにシャッターボタンがあることを宣伝しています。これまでのスプリングカメラは通常レンズシャッターなのでレンズ先端にシャッターボタンがあり、シャッターチャンスを逃したり手振れの原因となっていました。

広告「LEICA」(1937)

leica1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「ライカの價格に就いて」(シユミツト商店)です。ライカのドイツ国内の定価を為替レートと関税を加えると日本国内では900円を超えるのに660円で販売しているのは営業努力だと言っています。レンズ付きライカIIIaの定価が330マルクで為替が1マルク=1円40銭で輸入関税が100%であることがわかります。

雑誌記事「七月の簡易露出表」(1937)

七月の簡易露出表1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の折り込み記事より、「七月の簡易露出表」です。当時はカメラに連動露出計はついておらず、露出計を持たない場合は自分で考えてシャッター速度と絞りを決めなければいけません。各撮影シチュエーションにおける大体の組み合わせを示しています。フィルムの規格がDINです。

広告「オリエンタルのフィルム陣!!」(1937)

オリエンタルフィルム1937jul

 1937(昭和12)年発行の雑誌「アサヒカメラ7月號」(朝日新聞社)内の広告より「オリエンタルのフィルム陣!!」(オリエンタル寫眞工業株式會社)です。写真コンテストの作品募集広告です。賞金1000円は現在の数百万円に相当します。かなり奮発していますが、当時のライカと交換レンズ分くらいです。
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