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少女小説「山茶花の咲く頃【その2】」(1917)

山茶花の咲くころ1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「山茶花の咲く頃」(菅野菊枝)です。臨終の床にある叔父さんは著名な作曲家だった様です。しきりと曲を書きつけようとしています。
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少女小説「山茶花の咲く頃【その1】」(1917)

山茶花の咲くころ1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「山茶花の咲く頃」(菅野菊枝)です。主人公の叔父はもう長くはなさそうです。当時は自宅で臨終を迎える方も多かったのでしょう。

広告「嬉しいと思召す事四つ」(1917)

白色美顔水1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の広告より「嬉しいと思召す事四つ・白色美顔水を召して…」(桃谷順天館)です記事の体裁をとった全面文字広告です。企業名もありません。

広告「美顔白粉」(1917)

美顔白粉1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の広告より「純無鉛・美顔白粉」(桃谷順天館)です。お得意先として名だたる皇族華族家の名前を載せています。

広告「白粉のはなし」(1917)

白粉1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の広告より「白粉のはなし」(桃谷順天館)です。広告なのですが企業名はなく、有鉛白粉の有害性を説き、無鉛白粉を進めています。唯一、著者の肩書のみで広告元がわかる仕組みです。

歴史物語「吹雪の海行く父乞船【その2】」(1917)

歴史物語1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より歴史物語「吹雪の海行く父乞船」(今西吉雄)です。帰国命令が出ても帰国しない仲麻呂に日本政府から間者が送られてきます。

歴史物語「吹雪の海行く父乞船【その1】」(1917)

歴史物語1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より歴史物語「吹雪の海行く父乞船」(今西吉雄)です。唐に留学してそのまま役人となって現地で亡くなった阿倍仲麻呂を題材とした小編です。

雑誌記事「お悧好振り・川端龍子【その2】」(1917)

お利口ぶり1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「お悧好振り」(川端龍子)です。カイロが白熱してお父さん危うく電車の中で火事になりそうでした。

雑誌記事「お悧好振り・川端龍子【その1】」(1917)

お利口ぶり1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「お悧好振り」(川端龍子)です。次女さん、寒い中出掛けていくお父さんのために大量の灰をカイロに仕込んでいます。

新作四季の歌「山茶花」(1917)

山茶花1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より新作四季の歌「山茶花」(松邉しげの)です。七五調の詩です。作者については全くわかりません。奈良県とあることから読者でしょうか。

雑誌記事「話の種」(1917)

話の種1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「話の種/女の指の働き」です。上段はどこからか持ってきた埋め草記事、下段は上野で行われた化学工業博覧会のルポです。工場で包装を担当する女工の指の動きにいたく感心しています。

雑誌記事「植物畫報・中井猛之進【その2】」(1917)

植物画報1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「植物畫報・阿弗利加の名木アダンソニア」(中井猛之進)です。いわゆるバオバブの木だそうです。ミイラを作る棺にするそうです。

雑誌記事「植物畫報・中井猛之進【その1】」(1917)

植物画報1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「植物畫報・墨西哥の神木チランソデンドロン」(中井猛之進)です。メキシコの人たちが神木と崇める木だそうです。

寫眞小説「暴風の教【その6】」(1917)

暴風の教え1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞小説「暴風の教」です。結局、ハザードマップの確認による自分が住んでいる所の危険性の認知や、早めの避難の決断など現在に通じる教訓を述べています。

寫眞小説「暴風の教【その5】」(1917)

暴風の教え1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞小説「暴風の教」です。嵐が去った後、自宅に戻るとやはり高潮に襲われていました。逃げ遅れた人の死体が転がる酷いありさまです。

寫眞小説「暴風の教【その4】」(1917)

暴風の教え1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞小説「暴風の教」です。大風の中、なんとか安全な家に避難することができました。何と長男は京都で大学生をしている様です。この時代の大学生はエリートです。

寫眞小説「暴風の教【その3】」(1917)

暴風の教え1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞小説「暴風の教」です。風雨が強まっていくなか、この家族は避難する事を決めます。津波とあるのは高潮のことでしょう。

寫眞小説「暴風の教【その2】」(1917)

暴風の教え1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞小説「暴風の教」です。夜半に風が強まってきました。写真は大正初期の典型的な東京の居間です。電燈が普及していることがわかります。母親は丸髷です。

寫眞小説「暴風の教【その1】」(1917)

暴風の教え1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞小説「暴風の教」です。当時の天気予報は観測装置も少なくあまり当たりませんでした。写真は震災前の東京の典型的な住宅街の様子です。低層の木造住宅が密集していますが、遠くにビル群が見えます。

雑誌記事「動物畫報・飯塚啓」(1917)

動物画報1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「動物畫報」(飯塚啓)です。東南アジアに多く飼われている水牛と北米やヨーロッパの野牛、いわゆるバッファローの紹介です。

雑誌記事「犬の子から初まつた話【その2】」(1917)

犬の子から始まった話1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「犬の子から初まつた話」(池田みすゞ)です。犬の子はふさわしい人のところにもらわれていき、めでたしめでたしです。

雑誌記事「犬の子から初まつた話【その1】」(1917)

犬の子から始まった話1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「犬の子から初まつた話」(池田みすゞ)です。いわゆる少女小説でしょうか。生まれたばかりの犬の子が他人にもらわれていきそうです。

雑誌記事「日本全國・名所スタンプ」(1917)

日本全国名所スタンプ1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「日本全國・名所スタンプ」(第十二回發表)です。当時旅のお土産に絵葉書などにご当地スタンプを押すことが流行っていました。今回は読者からの投稿を集めて掲載している様です。

雑誌記事「金掘りニヤン太郎【その2】」(1917)

金堀ニャン太郎1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「金掘りニヤン太郎」(里のどんぐり)です。まんまとニャン太郎たちはネズミたちに騙されて大いに囃し立てられます。

雑誌記事「金掘りニヤン太郎【その1】」(1917)

金堀ニャン太郎1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より「金掘りニヤン太郎」(里のどんぐり)です。花咲爺さんの話を途中まで聞いて飛び出した猫たちの儲け話をネズミが聞いていました。里のどんぐりさんはこの頃の「少女の友」に童話をたくさん掲載しています。

雑誌記事「十二月の手紙」(1917)

十二月の手紙1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より十二月の手紙「海外の友より」です。文語体で格調高く望郷の念を述べています。イラストの街路樹は銀座の柳でしょうか。

寫眞口繪「鹽原の風光」(1917)

塩原の風光1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞口繪「鹽原の風光」です。栃木県塩原の観光地を写真に納めています。写真を撮ってきた記者の事を「カチリ君」と言っています。当時は一眼レフがまだないため、カシャリというミラー音ではなくレンズシャッターの音を当てている様です。

寫眞口繪「覗き眼鏡」(1917)

覗き眼鏡1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞口繪「覗き眼鏡・其四−奇妙なお墓」です。ボルネオ、シエラレオネ、暹羅(タイ)の(日本から見ると)奇妙な埋葬方法の紹介です。

広告「幼年の友・十二月號」(1917)

幼年の友1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の広告より「幼年の友・十二月」(實業之日本社)です。「特別おみやげ」と書いてありますが、これは付録のことでしょうか。

寫眞口繪「音樂會の休憩時間」(1917)

音楽会の休憩時間1917dec

 1917(大正6)年12月に発行された「少女の友」十二月(第十巻第十四號)(實業之日本社刊)内の寫眞口繪「音樂會の休憩時間」です。洋館のホールのテラスに女学生たちが並んでいます。スリッパを履いていることから館内は土足禁止の様です。
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