fc2ブログ

広告「御用化粧料の名稱を募集す」(1917)

名称募集1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「御用化粧料の名稱を募集す」(桃谷研究試驗所)です。宮様御用達の化粧品ですが、名前もブランドもないため、読者に対して懸賞付きの募集広告です。ただ昭和になっても化粧品名は機能をそのままつけたそっけないままなので、この募集はうまくいかなかったようです。
スポンサーサイト



広告「美顔洗粉」(1917)

美顔洗粉1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「美顔洗粉」(桃谷研究試驗所)です。さる名前は言えない高貴な方から依頼されて作成した化粧品を市井の者にも売って下さるそうです。

雑誌記事「お悧好振り・川端龍子」(1917)

お利口ぶり1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「お悧好振り」(川端龍子)です。どうやら左下の口髭の紳士が川端龍子さんご本人のようです。娘たちのお利口ぶりが愛おしくてしようがないようです。

雑誌記事「話の種」(1917)

話の種1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「話の種」です。上段に小ネタのコラムがあり、下段がメインの記事です。人形病院の話は山手線の車窓から見える看板という完全に東京在住の人の視点になっております。

雑誌記事「植物畫報・中井猛之進」(1917)

植物画報1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「植物畫報」(中井猛之進)です。「一萬尺の高山に産する黄金薯」と「支那人の食用になる文官果」の二種類が紹介されています。

雑誌記事「動物畫報・飯塚啓」(1917)

動物画報1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「動物畫報」(飯塚啓)です。「水中に巣を造る水蜘蛛」と「水禽に能く似た『かものはし』」の二種類を紹介しています。当時は動物園や水族館が今ほどたくさんない時代ですので、読者は変わった動物に驚いたのではないでしょうか。

寫眞小説「秋祭の宵(上)【その3】」(1917)

秋祭りの宵1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「秋祭の宵(上)」です。一方、こちらの金持ちのお嬢さんはたくさんの晴れ着を取っ替え引っ替えどれを着て行くか悩んでいます。それを見た貧しい母親はつい出来心で一枚失敬してしまいました、というところで次号に続きます。

寫眞小説「秋祭の宵(上)【その2】」(1917)

秋祭の宵1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「秋祭の宵(上)」です。村の秋祭りが近づいてきましたが、娘に着せる晴れ着もないと母親は泣いています。

寫眞小説「秋祭の宵(上)【その1】」(1917)

秋祭りの宵に1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「秋祭の宵(上)」です。旧奈良県田原村でのお話だそうです。日露戦争で一家の働き手を失い、困窮している家族です。村内の様々な作業を請け負って生計を立てているようです。

雑誌記事「日本全國・名所スタンプ」(1917)

名所スタンプ1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「日本全國・名所スタンプ」(第十回發表)です。当時、旅の記念に絵葉書などにご当地スタンプを押すのが流行りました。上から秋田県の十和田湖、千葉県の鋸山、兵庫県の尾上神社、静岡県の小夜の中山です。十和田湖の十湾閣とは、十和田湖でのマスの養殖を成功させた和井内貞行(1858-1922)さんがはじめた旅館で、和井内さんは十和田湖の観光地化にも尽力しました。

新作四季の歌「いなご・慶野志宇子作」(1917)

いなご1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、新作四季の歌「いなご」(慶野志宇子作)です。作者の慶野志宇子さんについては詳しいことはわかりませんでした。栃木県の方のようです。

雑誌記事「狸の樂隊【その2】」(1917)

狸の楽隊1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「狸の樂隊」(里のどんぐり)です。腹鼓を打って興に乗った狸たち、人里に下りていくと花笠祭り(ここは山形のようです)の行列に乱入し、人間たちに追い散らされてしまいます。

雑誌記事「狸の樂隊【その1】」(1917)

里の楽隊1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「狸の樂隊」(里のどんぐり)です。里のどんぐりさんはこのころ少女の友の巻頭に童話を書いています。夏休み中の狸の林間学校も終盤に差し掛かりだれてきています。

雑誌記事「十月の手紙・郊外の友より」(1917)

郊外の友より1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、十月の手紙「郊外の友より」です。郊外在住の友から東京に住む自分への文語調の手紙です。変体仮名で「候」の崩し字が当てられています。

寫眞口繪「白萩」(1917)

白萩1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞口繪「白萩」です。写っているのは編集長の星野水裏さんのお子様二人です。ご存命なら誠さんが109歳、明さんが107歳になります。

寫眞口繪「覗き眼鏡」(1917)

覗き眼鏡1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞口繪「覗き眼鏡・其二−世界奇風俗」です。チベットの風習、インドの雑踏、エスキモーの狩、象の相撲と子供向け雑誌に有り勝ちな記事です。

広告「婦人世界・十一號」(1917)

婦人世界1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「婦人世界・十一號」(實業之日本社)です。「霞亭先生新作小説本號より掲載」と大々的に宣伝しています。渡邊霞亭(1864-1926)さんは尾張藩士の子として名古屋に生まれ、名古屋好正館で学んだ後、岐阜日日新聞を始め、様々な新聞社で新聞記者として働きながら多くの小説を発表しました。

広告「幼年の友・十月號」(1917)

幼年の友1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「幼年の友・十月號」(實業之日本社)です。色々な童話のタイトルが並んでいます。「幽霊の即席製造」というタイトルがとても気になります。「郊外遠足國府の臺」というのは千葉県市川市の国府台のことでしょうか。

広告「日本少年・十月號」(1917)

日本少年1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「日本少年・十月號」(實業之日本社)です。川越中学の学生による「武甲山遭難記」が気になります。学生登山で滑落死した模様です。

広告「帝國習字速成學會」(1917)

悪筆矯正1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「帝國習字速成學會」です。「美人より能筆の少女」ということで悪筆から6カ月で能筆になった「本多みね子嬢」の実例が紹介されています。通信教育の広告にありがちです。

広告「金風蕭颯燈下親しむ可し」(1917)

金風嘯風1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「金風蕭颯燈下親しむ可し」(實業之日本社)です。金風とは秋風のことで、蕭颯とは物寂しい風音のことです。秋の夜長は本を読みましょう、ということのようです。

広告「止善堂・實業之日本社」(1917)

止善堂1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「止善堂・實業之日本社」です。止善堂はなぜか大正期にのみ出版事業をしていた会社です。止善とは「在止於至善」(大学・経一章)という漢籍からの言葉です。住所は現在の本郷通と神田警察通の交わる美土代交差点角のようです。

広告「少女・十月號」(1917)

少女1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「少女・十月號」(時事新報社)です。「秋草に優る美しき装ひ」だそうです。少女雑誌ですが「潜水艇の來襲」という冒険小説が掲載されています。

寫眞口繪「秋の川」(1917)

秋の川1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より寫眞口繪「秋の川」です。子守の少女と船遊びをする少女です。明らかに階級が違います。この当時子供が子供の世話をするのは当然でした。

広告「正式の算術」(1917)

正式の算術1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より中村八郎先生著「笑ひながら覺えられる正式の算術」(實業之日本社)です。楽しく算数が学べそうな本ですが、「算術の低脳児」にも愛読されると大変ひどいことを言っています。

オフセツト刷口繪「後園・篠田十一郎畫」(1917)

後園1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事よりオフセツト刷口繪「後園」(篠田十一郎畫)です。人形を抱えた少女が籐椅子に座っています。青海波のお着物がちょっと変わっています。後園とは家の後ろ側にある庭のことを表しています。

広告「有本芳水先生二大著」(1917)

有本芳水1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「有本芳水先生二大著」(實業之日本社)です。有本芳水(1886-1976)さんは兵庫県生まれ、岡山の関西中學校在学中から詩作を始め、早稲田大學高等師範部を卒業後、實業之日本社に入社し雑誌「日本少年」の主筆となりました。同誌で発表された詩作は多くの若者に影響を与えました。戦中は夫人の実家のある岡山に疎開し、そのまま岡山に定住して戦後も教育者として活躍しました。

広告「少女畫報十月號」(1917)

少女画報1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「少女畫報」(東京社)です。当時は同業他社のライバル雑誌に広告を載せることは普通だったようです。女性の飛行士の話題がトップです。

広告「冨士登山は中學校優等入學の御褒美!!!」

南海書院1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「冨士登山は中學校優等入學の御褒美!!!」(南海書院)です。受験産業はこの頃から盛況のようです。府立一中、現在の都立日比谷高校合格のご褒美の富士登山は馬で運んでもらったようで楽チンです。

原色版口繪「黄菊白菊・笠井彦乃画」(1917)

黄菊白菊1917oct

 1917(大正6)年10月に発行された「少女の友」十月(第十巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より原色版口繪「黄菊白菊」(笠井彦乃画)です。笠井彦乃(1896-1920)さんは山梨県生まれ、日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校在学中にファンであった竹久夢二と出会い、しばらく同棲するが結核を発症して連れ戻され、短い生涯を終えました。この絵の頃はすでに同棲しており、絵のタッチは明らかに夢二のフォロワーです。
プロフィール

nao_koba

Author:nao_koba
昭和モダンの世界へようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
from 2012/2/20
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR