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建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【22】」(1932)

寝室次の間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「寝室次の間」です。ここだけでも十分快適そうな空間です。主人はここで寝巻きに着替えるのでしょうか。置時計と電燈だけが近代を示しています。
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建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【21】」(1932)

寝室1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「寝室」です。居間に比べるとかなり落ち着いた雰囲気で、より和風な感じがします。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【20】」(1932)

寝室次の間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「寝室次の間外觀」「寝室次の間戸袋外装」です。敷地に余裕のある平屋建てということがわかります。戸袋の意匠に特徴があるようです。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【19】」(1932)

寝室戸袋外装1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「寝室戸袋外装」です。居間もそうでしたが雨戸用の戸袋をそれとなく隠しています。枚数が多いので分厚いですが。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【18】」(1932)

寝室外観1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「寝室外觀」です。母屋から外庭に向かって大きく飛び出しています。渡り廊下で別館に渡る感じです。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【17】」(1932)

居間及寝室外観の一部1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「居間及寝室外觀の一部」です。意匠は和風なのにどこかモダンな感じがします。また都心に近いはずなのに背景に森が見え、なかなか住み心地もよさそうです。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【16】」(1932)

夫人室次の間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「夫人室次の間」です。襖絵が美しいです。電笠もリアルな生活感が漂っていて良い感じです。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【15】」(1932)

夫人居間棚1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「夫人居間 棚」です。やはり引き戸を斜めにして飾り棚を作る手法があります。壁にすやり霞のような装飾が描かれています。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【14】」(1932)

夫人居間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「夫人居間」です。主人の居間に比べて内装や装飾が女性的な雰囲気になっています。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【13】」(1932)

居間縁側1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「居間縁側」です。畳の外側に板敷の廊下になっています。ガラス戸のサッシがモダンに見えます。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【12】」(1932)

主人居間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「主人居間其二」です。とても明るく気持ちの良い和室区間になっています。雪見障子を開けると庭も見ることができます。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【11】」(1932)

主人居間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「主人居間其一」です。このお屋敷の主人の部屋です。昭和の中頃まで日本人は和室に和服でいた方がくつろげたようです。電灯の傘だけが現代を示しています。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【10】」(1932)

居間外観1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「居間外觀の一部」です。大きなサイズの窓ガラスの平面性がよくわかる画像です。明治のガラスは歪んでいるイメージですがこの頃は大面積の平面ガラスが手に入るようです。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【9】」(1932)

居間戸袋外装1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「居間戸袋外装」です。雨戸がしまってある戸袋のようです。それなりの開口面積なので雨戸もたくさん必要です。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【8】」(1932)

居間外観1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「居間外觀」です。広々とした芝の庭に面した居間で、伝統的な外観ながら近代的な雰囲気も持っています。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【7】」(1932)

食事室次の間1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「食事室次の間 棚」です。食事室の次の間にある棚ですが、大胆に斜めにカットされています。引き戸の幅が違うからでしょうか。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【6】」(1932)

食事室1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「食事室」「食事室水屋」です。床の間や茶室炉や水屋を備えた和室です。天井から下がった電燈の傘のみが近代的です。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【5】」(1932)

食事室外観の一部1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「食事室外觀の一部」です。縁側廊下という伝統的な造作の中にあってどことなくモダンさも感じられる意匠となっています。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【4】」(1932)

日本家前庭と食事室1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「日本家前庭」「食事室外觀」です。広々とした前庭と食事室ですが大型の窓ガラスが非常に平板で当時の最新の板ガラスだと思われます。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【3】」(1932)

洋館日本家取り合い廊下1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「洋館日本家取合ひ廊下」です。母屋の洋館から離れの日本家屋を結ぶ渡り廊下の内観です。非常にシンプルな内装です。フロアの高さが違うようでいくつか階段が付いています。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【2】」(1932)

洋館日本家取合い外観1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「洋館日本家取合ひ外觀」です。鉄筋コンクリートのモダンな洋館横に人工地盤でかさ上げされて日本家屋が建てられているようです。現在の三田台公園周辺のようです。周辺は皇族や華族の大邸宅が並んでいました。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【1】」(1932)

書院1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「書院」です。まさに教科書あるような書院作りです。ここだけを見ると室町時代のようです。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成【工事概要】」(1932)

工事概要1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)より「工事概要」です。場所は東京市芝區伊皿子町の3600坪の土地です。今でいうと港区高輪辺りでしょうか。桃山時代の様式を踏襲しながら最新の電気設備や水洗トイレを備えているモダン住宅であることがわかります。

建築寫眞類聚「現代和風邸宅の構成」(1932)

現代和風邸宅の構成1932feb

 1932(昭和7)年2月に発行された建築寫眞類聚・第八期・第五輯「現代和風邸宅の構成」(洪洋社)の表紙です。この本は1931(昭和6)年秋に竣工した三井元之助氏邸の和風住宅の写真集です。本館は3階建ての洋館ですがそれに続く離れとして建てられた広大な日本建築になります。和風でありながら近代を意識した意匠が特徴だそうです。しばらくご紹介したいと思います。

雑誌記事「編輯だより」(1918)

編集便り1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事より「編輯だより」です。いわゆる編集後記です。風邪をひいた記述がありますがこの年に猛威を振るって死者も多数出たスペイン風邪でないことを祈ります。

雑誌記事「作文」(1918)

作文1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事「讀者くらぶ」より「作文」(谷江風選)です。谷江風さんはこの時期に歌人、編集者として活動しています。読者からの作文はまず「天」「地」「人」の三編が選ばれ、残りは佳作として紹介されています。

挿繪物語「雀の踊(三)【その2】」(1918)

雀の踊1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事「挿繪物語」より「雀の踊(三)」です。作者や挿絵画家のクレジットはありません。さらわれそうになった君江さんを無事救出できました。しかし当時はこの人攫いにさらわれて売り飛ばされるというシチュエーションは普通だったのでしょうか。それにしてこの両親は未成年の女の子を九州から東京まで汽車の一人旅をさせているし。

挿繪物語「雀の踊(三)【その1】」(1918)

雀の踊1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事「挿繪物語」より「雀の踊(三)」です。読者くらぶの記事の欄外にコラムのように付いていた小説をまとめました。九州から上京してくるはずの君江さんと会えなかった花子さん、偶然あるお嬢さんと出会います。

雑誌記事「冠句、ものはづけ、謎々、一口噺」(1918)

読者くらぶ1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事「讀者くらぶ」より「冠句、ものはづけ、謎々、一口噺」です。編集部のつけたお題に読者が回答を寄せるという、百年前にも存在したハガキ職人達の腕の見せ所です。
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