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雑誌記事「みつ子さんはおばあさん?」(1918)

みつこさんはおばあさん1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事より「みつ子さんはおばあさん?」(ひさし)です。作者のひさしさんの詳細はわかりません。おばあさんから西洋人形をいただいたみつ子さん、さらに赤ちゃんのキューピー人形ももらっておばあさんになってしまったというお話。
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雑誌記事「めひこゐもり」(1918)

メキシコイモリ1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事より「めひこゐもり」(竹島茂郎)です。著者の竹島茂郎さんは明治末から昭和にかけて東京女子高等師範學校で理科の教鞭を執っていました。多くの教科書や参考書に名前が見られる教育者です。めひこゐもりこと「メキシコサンショウウオ」と幼生「アホロートル」が紹介されていますが、かの有名なウーパールーパーの本名です。大正初期にすでにこのような一般雑誌に紹介されていたとは驚きです。

雑誌記事「クリスマスを飾るやどりぎ」(1918)

やどり木1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事より「クリスマスを飾る『やどりぎ』」(伊藤篤太郎)です。伊藤篤太郎(1866-1941)さんは尾張の本草学者の息子として生まれ、上京して植物学を学んでケンブリッジ大学に留学し、帰国後は中学教師などを勤めながら植物学の研究に励みました。やはり大正初期にあってすでに女学生がクリスマスを祝うのは当然のことのような言質です。クリスマスを飾る西洋ヒイラギの由来が北欧神話だとは初めて知りました。

雑誌記事「全國各女學校の徽章(其十二)」(1918)

全国女学校の徽章1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事より「全國各女學校の徽章」です。徽章なので校章などをあしらった服などにつけるバッジです。当時は制服はなく着物に袴なので飾りベルトのバックルだったり、ペンダントのようにぶら下げたりしていました。右上から京都府の何鹿郡立女子實業學校で、現在の京都府立綾部高校の前身の一つです。右下は福岡縣立大牟田高等女學校で、現在の福岡県立大牟田北高校の前身です。左上は神戸市立女子商業學校で現在の神戸市立神港高校の前身の一つです。左中の神田高等女學校は現在の神田女学園です。左下は熊本県の菊池郡立實科高等女學校で現在の熊本県立菊池高校の前身です。

雑誌讀物「お母樣きどり」(1918)

お母様きどり1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の記事より讀物「お母樣きどり」(ふみ子)です。作者の渡邉ふみ子さんは大正から昭和にかけて多くの少女雑誌に挿絵を描いていましたが、詳細はわかりませんでした。

雑誌中表紙「少女画報・第七年第十二號」(1918)

少女画報1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の中表紙です。橋の上に佇む少女たちの口絵です。ここの「画」は略字体が使われています。

広告「クラブ歯磨」(1918)

クラブ歯磨1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「クラブ歯磨」(中山太陽堂)です。当時のトラックのデザインがなかなか興味深いです。工場から製品を出荷しているイメージなのでしょうか。

広告「お化粧の仕方【その3】」(1918)

お化粧の仕方1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「お化粧の仕方」(中山太陽堂)です。頬紅をさした後は粉白粉で仕上げます。なかなか手間がかかります。

広告「お化粧の仕方【その2】」(1918)

お化粧の仕方1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「お化粧の仕方」(中山太陽堂)です。紹介されている化粧品や用具は西洋風ですが、イラストの事例の女性は丸髷に振袖という完全な和装です。

広告「お化粧の仕方【その1】」(1918)

お化粧の仕方1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「お化粧の仕方」(中山太陽堂)です。お化粧の仕方の絵解きですが、もちろん使用化粧品はクラブです。

広告「一日一善【その3】」(1918)

一日一善1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「一日一善」(蝶二)(中山太陽堂)です。一日一善七日間のご褒美は当然クラブ化粧品のセットです。

広告「一日一善【その2】」(1918)

一日一善1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「一日一善」(蝶二)(中山太陽堂)です。作者の蝶二さんはおそらく小説家、劇作家の中内蝶二(1875-1937)さんだと思われます。蝶二さんは高知県生まれで東京帝國大學を卒業後、博文館に記者として就職し、その後作家となりました。

広告「一日一善【その1】」(1918)

一日一善1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「一日一善」(蝶二)です。目次にない謎の綴じ込み付録ですが、読み進んでいくとこれがクラブ化粧品を販売する中山太陽堂の広告であることがわかります。

寫眞口繪「婦人少女講話會」(1918)

婦人少女講話会1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「婦人少女講話會」です。東京社本社で行われた巖谷小波氏の講演会と余興の様子です。

寫眞小説「秋の夜の物語(白耳義の娘)(二)」(1918)

白耳義の娘1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞小説より「秋の夜の物語」(白耳義の娘)です。酒場に踏み込んできたドイツ兵は匿われたフランス兵を銃殺し、妹の命乞いの甲斐も無く匿った父娘も銃殺し、残った妹は看護婦になって戦場に行ったという救いのない話です。

寫眞小説「秋の夜の物語(白耳義の娘)(一)」(1918)

秋の夜の物語1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞小説より「秋の夜の物語」(白耳義の娘)です。第一次世界大戦中、ベルギーの片田舎の酒場に負傷したフランス兵がやってきて匿いますが、そこに悪者のドイツ兵が踏み込んできます。

寫眞口繪「途上所見」(1918)

途上所見1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「途上所見」です。公園で遊ぶ子供たちのスナップショットですが、時代背景から考えて相当裕福な良い家柄の子供たちではないかと想像されます。そもそも大正前半に遊具を揃えた公園が存在していることにも驚きです。

広告「日本幼年十二月號」(1918)

日本幼年1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「日本幼年」(東京社)です。「美シイヱザツシ」だそうです。

広告「婦人界十二月號」(1918)

婦人界1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「婦人界十二月號」(東京社)です。婦人界は1917(大正6)年に創刊され関東大震災の頃まで存在した婦人雑誌です。

寫眞口繪「鳩ぽつぽ」(1918)

鳩ぽっぽ

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「鳩ぽつぽ」です。女学生二人がお寺の境内で鳩と戯れています。袴の丈はロングスカートほどで、革の編上げブーツが見えています。

寫眞口繪「割烹と裁縫」(1918)

割烹と裁縫1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「割烹と裁縫」です。北海道札幌の私立北海高等女學校における料理と裁縫の授業風景です。料理は当時の土間式を模して床に台をおいて作業しています。

広告「婦人畫報十二月號」(1918)

婦人画報1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「婦人畫報十二月號」(東京社)です。著者に新渡戸稲造氏や大山捨松「子」さんなど錚々たるメンバーです。

広告「ハルナー」(1918)

ハルナー1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の広告より「ハルナー」(濟生堂製藥所)です。大量の文字が錯綜してどう読んで良いのかわからない広告です。美白は女学生の現代に至る悩みのようです。

寫眞口繪「運動會の賑ひ」(1918)

運動会の賑わい1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「運動會の賑ひ」です。右二つは静岡縣立高等女學校で上が「半輪體操」下は遊戲「秋の月」、左上は富山縣立高岡高等女學校の遊戲「花毬」で、左下はお茶の水高等女學校の「フツトボール」遊戲とあります。着物に袴で動きずらいとは思いますが頑張っています。

寫眞口繪「一日の行樂」(1918)

一日の行楽1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「一日の行樂」です。各女学校の秋の遠足のスナップです。右上が跡見女學校の川越における芋掘り、右下は山脇高等女學校の玉川遊園地、左上は淑徳高等女學校の箱根底倉の高山園、左下は成女高等女學校の鴻ノ臺、中央は京華高等女學校の成田山不動尊です。まだ女学生は袴姿なので遠くからでは学校が認識できません。

寫眞口繪「臨池會と同窓會」(1918)

臨池会と同窓会1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「臨池會と同窓會」です。上の臨池會とは書道の手習いの会のことです。何人かカメラ目線の女の子がいます。下は横浜市の鶴見花月園にて同窓会を行っている麹町高等女學校出身の奥様方です。

寫眞口繪「大連高等女學校」(1918)

大連高等女学校1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「大連高等女學校」です。広い花壇の奥にテニスコートが見えます。土いじりをしている女学生は藁の笠をかぶって日焼けを気にしています。奥ではたすきがけの着物に裾を絞った袴でテニスをしています。

寫眞口繪「神もうで」(1918)

神もうで1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「神もうで」です。雨の中、女学生二人がお参りしています。

寫眞口繪「年の暮」(1918)

年の暮1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内の寫眞口繪より「年の暮」です。大掃除を手伝う少女の作業着に注目です。「内も外もよくお掃除をして、何も彼も清潔にして、氣持ちよく新年を迎へませう!」

口繪「日記の終り」(1918)

日記の終り1918dec

 1918(大正7)年12月に発行された「少女畫報」(第七年第十二號)(東京社刊)内のオフセット版口絵より「日記の終り」(細木原青起筆)です。大きなリボンをつけた女学生が日記を読んでいます。窓の外の鳥が何か不穏な空気を醸し出しています。
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