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雑誌記事「二人が問答した運動の話」(1917)

運動の話1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「二人で問答する運動の話」(磯の松風)です。女学生二人が最近のスポーツについて議論しています。観戦者もまた運動家であると主張しています。現在の高校野球がすでに人気となっていることがわかります。また世界初の駅伝競技として有名な東海道駅伝大会も話題にしています。ただ最後の方の会話で女子スポーツという観点が全く欠如していることがわかります。百年前の常識なのでしょうか。
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少女小説「二つの死骸・池田みすゞ」【その3】(1917)

二つの死骸1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「二つの死骸」(池田みすゞ)です。子守のおげんと背中の子は増水した川に落下し「二つの死骸」となります。自殺なのか事故なのか、鍛冶屋のおかみさんはおげんにつらく当たったことを後悔します。彼女は瞼の母に会えたのでしょうか。

少女小説「二つの死骸・池田みすゞ」【その2】(1917)

二つの死骸1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「二つの死骸」(池田みすゞ)です。両親のわからない12歳の孤児のおげんは鍛冶屋に住み込みで子守として雇われています。なかなか辛い境遇です。

少女小説「二つの死骸・池田みすゞ」【その1】(1917)

二つの死骸1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「二つの死骸」(池田みすゞ)です。池田みすずさんは大正前期に少女小説を「少女の友」誌上に発表していますが、詳しい経歴はわかりません。少女小説に似つかわしくないタイトルはなかなか不穏な雰囲気を出しています。

雑誌記事「苗」(1917)

苗1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「苗」(明石精一)です。お爺さんが何かの苗を植えていましたが飼い犬に台無しにされてしまったのにまだ気づいていません。周りにいた子供たちのせいにされなければ良いのですが、、、

雑誌記事「常識的大懸賞」(1917)

大懸賞1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「常識的大懸賞」です。この曲がり角に新たに瓦斯燈を設置すルナら、どちらの角が良いか理由も述べよとのことです。賞品は少女の友銘入りグッズです。締め切りは過ぎていますのでお間違えのないよう。

科學小説「ダイヤモンド(九)」【その4】(1917)

科学小説ダイヤモンド1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、科學小説「ダイヤモンド(九)」(森下雨村)です。せっかく世界に先駆けて発明した人造ダイヤモンド製造法ですが、悪の組織に利用されそうになったため、お父様はその技術を封印してしまうようです。結局四十年後まで待たなければならない、いやここまで大きいのは今だに無理かもしれません。しかし合成ダイヤは自動的にカットもしてくれるのでしょうか。

科學小説「ダイヤモンド(九)」【その3】(1917)

科学小説ダイヤモンド1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、科學小説「ダイヤモンド(九)」(森下雨村)です。なんとお父様が人造ダイヤモンドを発明していたのでした。当時人工ダイヤモンド研究は最先端で、いくつか成功事例も論文発表なされていましたが、それらの結果は結局1928年に否定されています。実用的な合成ダイヤ製造法の発明は戦後になります。

科學小説「ダイヤモンド(九)」【その2】(1917)

科学小説ダイヤモンド1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、科學小説「ダイヤモンド(九)」(森下雨村)です。逃げる小型蒸気船を追いかけるのはいかにも速そうなモーターボートです。大正初期の時点でモーターボートという乗り物と名称が一般化していたとは驚きです。

科學小説「ダイヤモンド(九)」【その1】(1917)

科学小説ダイヤモンド1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、科學小説「ダイヤモンド(九)」(森下雨村)です。ダイヤモンドを盗まれた宝石商が黒川探偵の家に飛び込んできますが、黒川探偵は動じる気配がありません。

雑誌記事「瓜生岩子とマリー」(1917)

瓜生岩子とマリー1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「東西婦人合せ・瓜生岩子とマリー」(下田歌子)です。瓜生岩子(1829-1897)さんは会津の喜多方の商家の娘として生まれ、婿養子をとり呉服店を継ぎますが、戊辰戦争後貧民救済事業をはじめ、熱心な活動により世の中に認められました。

雑誌記事「話の種」(1917)

話の種1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「話の種」です。まさに今日使える小ネタです。中で、「電燈を點けない三博士」という記事で、山奥ならいざ知らず東京の真ん中で電灯を使わないのは変人という扱いです。すでにこの時代に電気が普及していることがわかります。

長篇小説「十七年の春秋(一)・宇野浩二」【その3】(1917)

十七年の春秋1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、長篇小説「十七年の春秋(一)」(宇野浩二)です。17年前の殺人犯が殺した警官の遺児と対面します。

長篇小説「十七年の春秋(一)・宇野浩二」【その2】(1917)

十七年の春秋1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、長篇小説「十七年の春秋(一)」(宇野浩二)です。十七年前に巡査を殺して逃亡した犯人が服役囚の中に変名で混じっていることが判明します。

長篇小説「十七年の春秋(一)・宇野浩二」【その1】(1917)

十七年の春秋1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、長篇小説「十七年の春秋(一)」(宇野浩二)です。宇野浩二(1891-1961)さんは福岡市で教員の子として生まれ、幼い時に父を亡くしてからは親類縁者を頼りながら天王寺中学から早稲田大学に進学するも中退、小説家となりました。

広告「美顔白粉」(1917)

美顔白粉1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の広告より「美顔白粉」(桃谷研究試驗所製)です。「光榮ある模範白粉」だそうです。建物がモダンですね。

広告「美顔ユーマー」(1917)

美顔ユーマー1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の広告より「美顔ユーマー」(桃谷研究試驗所製)です。「學理を基礎とせる新美容液」だそうです。

雑誌記事「お悧好振り」(1917)

お利口振り1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「お悧好振り」(川端龍子)です。龍子先生ネタに詰まって、ついに身内ネタです。このころすでに氷で冷やす冷蔵庫(冷蔵函と書いてあります)が普及していることがわかります。

雑誌記事「動物園へ…暑中見舞に・浦野柿右衛門」【その2】(1917)

動物園へ…暑中見舞い1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「動物園へ…暑中見舞に」(浦野柿右衛門)です。暑さのあまり?豹が仰向けで寝ていたとありますが本当でしょうか。

雑誌記事「動物園へ…暑中見舞に・浦野柿右衛門」【その1】(1917)

動物園へ…暑中見舞い1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「動物園へ…暑中見舞に」(浦野柿右衛門)です。陶芸家の柿右衛門とは別の方のようです。上野動物園は1882(明治15)年に開園していますので、すでに東京人には身近な施設のようです。象がもう飼育されているのですね。

雑誌記事「植物畫報・中井猛之進」(1917)

植物画報1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「植物畫報」(中井猛之進)です。「見るも怖ろしい針ノ木」と「大きな/丶キノコの木」が紹介されています。

雑誌記事「動物畫報・飯塚啓」(1917)

動物画報1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「動物畫報」(飯塚啓)です。「釣針を啣へて水上に跳ね上がる魚」ということで南米産のターポンを紹介しています。食べると不味いのですがスポーツフィッシングとして面白いそうです。「自分の子を呑んで平氣でゐる魚」として鱈の共食いを紹介しています。

雑誌記事「茶目子の日記・水島爾保布」(1917)

茶目子の日記1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「茶目子の日記」(水島爾保布)です。海に行って真っ黒に日焼けしたら犬がわからず吠えたてたというお話でした。

寫眞小説「瀧見茶屋(下)【その3】」(1917)

滝見茶屋1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「瀧見茶屋(下)」です。瀧見茶屋(上)より続いています。悪漢は皆捕まり、囚われの少女達は解放され、その後の暮らしは豊かで穏やかなものになったそうです。

寫眞小説「瀧見茶屋(下)【その2】」(1917)

滝見茶屋1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「瀧見茶屋(下)」です。瀧見茶屋(上)より続いています。悪者は改心し、問題も解決し、大団円への怒涛の展開です。

寫眞小説「瀧見茶屋(下)【その1】」(1917)

滝見茶屋1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「瀧見茶屋(下)」です。瀧見茶屋(上)より続いています。妹を拉致して山に逃げた悪い兄が帰ってきました。

雑誌記事「日本全國・名所スタンプ」(1917)

名所スタンプ1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「日本全國・名所スタンプ」(第九回發表)です。明治から大正にかけて旅先の絵葉書に名所スタンプを押した土産物が流行りました。カメラがまだ贅沢品だったからでしょうか。

雑誌記事「新作四季の歌・きりぎりす」(1917)

きりぎりす1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「新作四季の歌・きりぎりす」(菅谷一郎作)です。菅谷一郎さんは秋田県在住の詩人で沼館町に樹陰社という出版社を設立して「樹陰」とい文芸雑誌を大正から昭和の初めにかけて出版していました。

雑誌記事「ブル君の笑ひ顔・里のどんぐり【その2】」(1917)

ブル君の笑い顔1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「ブル君の笑ひ顔」(里のどんぐり)です。ブル君、最後はお調子者の猫のミイ子の失敗でついに笑ってしまいます。

雑誌記事「ブル君の笑ひ顔・里のどんぐり【その1】」(1917)

ブルくんの笑い顔1917sept

 1917(大正6)年に発行された「少女の友」九月(第十巻第十號)(實業之日本社刊)内の記事より、「ブル君の笑ひ顔」(里のどんぐり)です。里のどんぐりさんはペンネームでしょうか、この頃の少女の友に巻頭の童話を連載しています。
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