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廣告図案集「マツチペーパー」(1930)

マッチペーパー1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「マツチペーパー」です。マッチの箱絵図案です。当時は販売促進用として広告の入ったオリジナルマッチを配ることが普通に行われていました。
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廣告図案集「屋上看板設計」(1930)

屋上看板設計1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「屋上看板設計」です。なんともおしゃれな屋上看板です。デザインがいかにもアール・デコ風な昭和モダン的雰囲気です。

廣告図案集「玩具店の新考案チラシ」(1930)

玩具店の新考案チラシ1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「玩具店の新考案チラシ」です。ギミックが仕込んであり、「ココヲウゴカセバジヤズリマス」とあります。ジャズる、と名詞を動詞にするのは既に定着しているのでしょうか。いかにも1920年代ゴールデンエイジっぽい単語です。

廣告図案集「新聞廣告圖案」(1930)

新聞広告図案1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「新聞廣告圖案」です。おもちゃ屋やスポーツ店の囲み広告でしょうか。図案がいかにも1920年代風です。

廣告図案集「スキーポスター」(1930)

スキーポスター1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「スキーポスター」です。図案はジャンプ競技の選手と観客のスキーヤーのようですが、ジャンプの選手は当然手を広げる戦前のスタイルで飛んでいます。帽子も耳覆い付きの山岳帽でしょうか。

廣告図案集「初賣出しチラシ」(1930)

初売出しのチラシ1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「初賣出しチラシ」です。図案化された人形や人間のデザインがいかにも1920年代の流行です。下は松や梅など日本的な意匠と学生さんのカップルでしょうか。

廣告図案集「封筒と便箋」(1930)

封筒と便箋

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「封筒と便箋」です。文房具店を想定したノベルティグッズといったところでしょうか。装飾で謎の英文を模様代わりに配するのは既にこの時代でも定番になっているようです。

廣告図案集「運動具店の包紙」(1930)

運動具店の包紙1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「運動具店の包紙」です。様々なスポーツのスタイルが影絵で書いてあり、そのままピクトグラムとしても使えそうです。

廣告図案集「開店チラシと案内状」(1930)

開店チラシと案内状1930oct

 1930(昭和5)年10月に誠文堂から発行された中川巌著「運動具玩具文房具店廣告図案集」より「開店チラシと案内状」です。誠文堂は1912(明治45)年に書籍取次業として創業し、出版も営むようになり、1935(昭和10)年に新光社と合併して誠文堂新光社となって現在に至ります。当時は「広告界」などの雑誌も発行しており、「子どもの科学」などの科学雑誌とともにデザイン系の出版に力を入れていました。

広告「實業之日本社代理部」(1913)

実業之日本社代理部1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「實業之日本社代理部」です。今月号も様々な小物の通販窓口となっております。洗濯ばさみが目を引きますが、現在と形は全く同じです。当時は欧米から伝来したばかりで地方などでは手に入りにくかったのでしょうか。

雑誌記事「投書の規則と注意」(1913)

投書の規則と注意1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より「投書の規則と注意」です。作文、和歌、習字、図画、通信などの細かい投稿規定が載っています。少女の友は特に読者活動が盛んで、編集部も支援していました。

広告「少女小説・美代子」(1913)

美代子1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「少女小説・美代子」(實業之日本社)です。何と作者が15名もいる合作小説です。また出版社から今後の新刊の刊行予定なども書いてあります。既に大正初年において少女小説というジャンルは確立しているように見えます。

雑誌記事「懸賞判じ繪」(1913)

懸賞判じ絵1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より「懸賞判じ繪」です。解読してみると「ベンキョウスルニワヨイキコウデス」といったところでしょうか。なかなか難しいですね。

雑誌記事「俚諺詳解・ことわざぐさ」(1913)

ことわざぐさ1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より俚諺詳解「ことわざぐさ」です。作者も挿絵もクレジットはありません。「子を持って知る親の思」「藝は身を助く」という現在も使われている二つが紹介されています。

ポンチ「活動に逃げられた・川端龍子」(1913)

活動に逃げられた1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事よりポンチ「活動に逃げられた」(川端龍子)です。目次とタイトルが違います。元号が明治から大正に変わったばかりですが既に映画(=活動[写真])が庶民の娯楽として定着していることがわかります。もちろん当時は無声映画で映画館内で活動弁士と生演奏の楽団が音声をあてていました。

広告「增刊・雁鳴く頃」(1913)

雁鳴く頃1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「增刊・雁鳴く頃」(實業之日本社)です。「少女の友」の増刊号の広告です。挿絵は川端龍子さんです。100年以上前の「現代の少女」です。

少女小説「その明日ー時子の話ー・富岡鼓川【その2】」(1913)

その明日1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「その明日ー時子の話ー」(富岡鼓川)です。挿絵は佐佐木林風さんです。珍しく母親に外泊を認めてもらえた時子さん、女学校時代の友人宅に泊りに行きますが、その夜その母親が倒れてしまいます。

少女小説「その明日ー時子の話ー・富岡鼓川【その1】」(1913)

その明日1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「その明日ー時子の話ー」(富岡鼓川)です。挿絵はサインから佐佐木林風さんだと思われます。富岡鼓川(1884-?)さんは大正から昭和にかけて児童文学の作家や編集者として活躍しました。

雑誌記事「母の思ひ出・竹久夢二」(1913)

母の思いで1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、「母の思ひ出」(竹久夢二:畫)です。神戸の街を山の中腹の畑の間から見下ろしています。

少女小説「飛ぶ少女・江見水蔭」【その3】(1913)

飛ぶ少女1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「飛ぶ少女」(江見水蔭)です。無事に谷を渡りきってホッとしたのもつかの間、トンボちゃんは何者かに拉致されます。一難去ってまた一難。

少女小説「飛ぶ少女・江見水蔭」【その2】(1913)

飛ぶ少女1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「飛ぶ少女」(江見水蔭)です。秩父の山奥で道に迷った一行は谷を渡るため、まずトンボちゃんが綱渡りで対岸に向かいます。

少女小説「飛ぶ少女・江見水蔭」【その1】(1913)

飛ぶ少女1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「飛ぶ少女」(江見水蔭)です。先月号でひどい目にあったトンボちゃんですが、今月号もピンチの連続です。

少女小説「父に會ふまで・黒田京子」【その2】(1913)

父に会うまで1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「父に會ふまで」(黒田京子)です。お父様のお帰りです。ソフト帽にトンボなので中は和服かもしれません。

少女小説「父に會ふまで・黒田京子」【その1】(1913)

父に会うまで1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「父に會ふまで」(黒田京子)です。挿絵のクレジットはありません。叔母宅に預けられた少女の話です。京都の染物問屋に嫁いだ叔母は丸髷で眉を剃り落としています。

少女小説「佐保子・山田邦子」(1913)

佐保子1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、少女小説「佐保子」(山田邦子)です。東京の女学校から夏休みで帰郷した17歳の少女の心の揺らぎを描いています。

愛國小説「滿朝の花(その八)」【その2】(1913)

満朝の花1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、愛國小説「滿朝の花」(永代静雄:作)です。ここで描かれているのは1912年の辛亥革命で混乱の最中にある中国です。各地で革命軍が武装蜂起し、清朝は滅亡寸前です。

愛國小説「滿朝の花(その八)」【その1】(1913)

満朝の花1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、愛國小説「滿朝の花」(永代静雄:作)です。挿絵のクレジットはありません。舞台は先月号の千葉から一気に満州です。

西歐史談「少女の聯隊長」(1913)

少女の連隊長1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より西歐史談「少女の聯隊長」(武田勝子)です。1871年のパリコミューンで女性を率いてドイツ軍と戦ったルイーズ・ミシェル(1830-1905)さんの伝記です。実はこの後、無政府主義者となって政治活動と投獄を繰り返す女性活動家となります。

連載小説「明けずの室(4)」(1913)

明けずの部屋1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より連載小説「明けずの室(4)」(岩下小葉)です。挿絵は行方不明になった鞆雄君の捜索隊です。手に手に提灯を持って川面を探します。挿絵のクレジットがなく作者はわかりません。

雑誌記事「まつくらな路」(1913)

真っ暗な道1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より「まつくらな路」です。作者のクレジットはありません。少女が寝入り端に見た夢の話でしょうか。部屋の明かりは電灯ではなく灯油ランプです。
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