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寫眞小説「母のまぼろし(つゞき)」【その2】(1913)

母の幻1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「母のまぼろし(つゞき)」です。色々ありましたが、めでたしめでたしで終わりです。
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寫眞小説「母のまぼろし(つゞき)」【その1】(1913)

母のまぼろし1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、寫眞小説「母のまぼろし(つゞき)」です。これは前回の「母のまぼろし」からの続きです。

御伽小説「野菊(3)」【その2】(1913)

野菊1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、御伽小説「野菊(3)」(水瀬秋子:作)です。叔父から酷い仕打ちを受けた姉弟はとうとう逃げ出します。

御伽小説「野菊(3)」【その1】(1913)

野菊1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の記事より、御伽小説「野菊(3)」(水瀬秋子:作)です。これは前回の「野菊(2)」からの続きです。

雑誌中表紙「少女の友第六巻第十一號」(1913)

中表紙1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の中表紙です。各月にあった出来事を絵にしているようで、ここでは1890(明治23)年10月30日に教育勅語が発布された様子を表しています。

口繪寫眞「何処が一等でせうか」(1913)

どこが1等でしょうか1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の口絵写真より「何処が一等でせうか」です。「記者立會の上日本名所競べの投票を調べて居るところ」だそぅです。雑誌企画の日本名所競べ読者投票の様子で、この後も一位予測の懸賞募集など盛り上げようとしています。女性の編集部員が袴姿にスモッグを着ています。

口繪寫眞「秋が來ましたのねえ」(1913)

秋が来ましたのねえ1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の口絵写真より「秋が來ましたのねえ」(阪井昇撮影)です。「信州飯田今宮山上より飯田の市街を望む 遠く霞める連山は赤石山脈」だそうです。

広告「愛子叢書・第三篇・めぐりあひ」(1913)

めぐりあい1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「愛子叢書・第三篇・めぐりあひ」(徳田秋聲新作竹久夢二畫・實業之日本社)です。徳田秋聲(1872-1943)さんは石川県金沢生まれ、第四高校中退後、尾崎紅葉さんの弟子として小説を学び、博文館に勤めながら小説家となりました。

広告「幼年の友・拾月號」(1913)

幼年の友1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「幼年の友・拾月號」(實業之日本社)です。「美しく愛らしき子供雑誌」だそうです。

広告「日本少年・拾月」(1913)

日本少年1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「日本少年・拾月」(實業之日本社)です。冒頭の「信州駒ヶ嶽上の悲劇」とはこの年の八月に起こった「木曽駒ケ岳大量遭難事故」のことで、38人の生徒と引率の先生が遭難し、11人が死亡しました。のちに新田次郎さんがこの事故をモデルに「聖職の碑」として小説化しています。

広告「少女文庫は皆様のお申込でドン/ヽ版を重ねて行きます」(1913)

少女文庫1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「少女文庫は皆様のお申込でドン/ヽ版を重ねて行きます」(實業之日本社出版部)です。少女文庫の再販お知らせ広告です。

口繪寫眞「日向の縁」(1913)

日向の縁1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の口絵写真より「日向の縁」(戸田常次郎撮影)です。写真には珍しく撮影者のクレジットが入っていますが、詳細はわかりませんでした。日向の縁側で雑誌を読む束髪の少女です。

広告「實業講習録」(1913)

実業講習録1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「實業講習録」(帝國實業講習會)です。総裁が大隈重信伯爵で副総裁が澁澤榮一男爵と錚々たる顔ぶれです。

雑誌口繪「櫻紅葉・篠田十一郎画」(1913)

桜紅葉1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内のカラー口絵より「櫻紅葉」(篠田十一郎画)です。桜紅葉とは桜の葉が秋に紅葉する様子で、俳句の季語にもなっています。

広告「少女・秋季特別大畫報」(1913)

少女1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「少女・秋季特別大畫報」(時事新報社)です。この頃は各社ともライバル雑誌の広告を載せております。

広告「少女畫報・第十月號」(1913)

少女画報1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「少女畫報・第十月號」(東京社)です。目次の江見水陰さんの少女小説はこの時代にすでに人格入れ替え物があったということでしょうか。

広告「ホーカー液・造花原料」(1913)

ホーカー液1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より「ホーカー液」(堀越嘉太郎商店)と「造花原料」(吉住商店)です。どちらも当時の少女雑誌では定番の広告です。

雑誌口繪「野分のあと・佐佐木林風画」(1913)

野分の後1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内のカラー口絵より「野分のあと」(佐佐木林風画)です。野分とは台風の古称です。

広告「レート煉白粉」(1913)

レート煉白粉1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)内の広告より、「レート煉白粉」(平尾賛平商店)です。これはゼリー状の「レートヂヱリー」煉白粉の広告です。クリーム状の基礎化粧品でしょうか。

雑誌記事「少女の友 第六巻第十一號 目次」(1913)

目次1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)の目次ページです。口絵が漫画のようになっています。執筆者の皆さんは当代一流の文化人ばかりです。

広告「用法例解英和新辞典」(1913)

英和新辞典1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)の裏表紙広告より、「用法例解英和新辞典」(實業之日本社)です。定価二円は当時の物価指数から言うと6000円くらいでしょうか。「日本で最初の最善辭典で譯解と同時に各語の使ひ方を教ふる事懇切女學生諸君の師友として絶好也」だそうです。

広告「三越呉服店」(1913)

三越呉服店1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)の表紙裏広告より、「三越呉服店」です。まさに「今日は帝劇、明日は三越」のキャッチコピーの時代の広告です。

広告「中将湯」(1913)

中将湯1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)の裏表紙広告より、「中将湯」(津村順天堂)です。現在も製造販売されている婦人病の万能薬です。当時流行した庇髪に結った女性のイラストが描いてあります。

雑誌「少女の友・十月」(1913)

少女の友1913oct

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」十月(第六巻第十一號)(實業之日本社刊)です。表紙は川端龍子さん作だと思われます。この頃流行っていたボリューム感のある髪型をしています。中央に分け目が見えることからこれは女優髷という髪型でしょうか。

雑誌記事「マサチヤン・森本良造」(1938)

マサチャン1938jun

 1938(昭和13)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の特別號」(東京朝日新聞社)内の記事より「マサチャン」(森本良造)です。森本良造さんは戦前に石川県金沢市で活動した写真家ですが、詳細はわかりませんでした。

雑誌記事「浴衣の子供・石津良介」(1938)

浴衣の子供1938jun

 1938(昭和13)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の特別號」(東京朝日新聞社)内の記事より「浴衣の子供」(石津良介)です。石津良介(1907-1986)さんは岡山市生まれ、慶應義塾大學を中退後、岡山に戻って写真家となりました。デザイナー石津謙介さんの実兄です。

雑誌記事「ターキー・澁谷龍吉」(1938)

水の江瀧子1938jun

 1938(昭和13)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の特別號」(東京朝日新聞社)内の記事より「ターキー」(澁谷龍吉)です。ご自宅で寛ぐ初代のターキーこと水の江瀧子さんです。

広告「ローザーレンズ」(1938)

ローザーレンズ1938jun

 1938(昭和13)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の特別號」(東京朝日新聞社)内の広告より「ローザーレンズ」(富岡光學機械製造所)です。写真スタジオなどで使う大型カメラ用レンズの広告です。富岡光學機械製造所は1932(昭和7)年に富岡正重氏によって設立されたカメラレンズメーカーで、戦後にヤシカの傘下となり、ヤシカが京セラに買収されたことにより京セラオプテックと名称を変えて現在に至ります。

広告「マルバシックスカメラ」(1938)

マルバシックスカメラ1938jun

 1938(昭和13)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の特別號」(東京朝日新聞社)内の広告より「マルバシックスカメラ」(桑田商會)です。マルバカメラは本鳥光学精密機械工業が製造し桑島商會が販売したブランドです。本鳥光学は戦争中の統制で合併し消滅しました。

雑誌記事「カメラと子供・中村星湖」(1938)

カメラと子供1938jun

 1938(昭和13)年6月に発行された「アサヒカメラ・夏の特別號」(東京朝日新聞社)内の記事より「カメラと子供」(中村星湖)です。中村星湖(1884-1974)さんは山梨県河口湖生まれ、山梨縣立尋常中學校から早稲田大學英文科を卒業後、記者をしながら小説家として活動、また民俗学にも関心を示しました。写真の作例は左上から「海の子」(山下巌)、「ラヂオ体操」(山口晃司)、「水に遊ぶ」(植田壽三)、「盛夏」(安藤勝)です。
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