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雑誌記事「特輯・スキーとスキー地の写眞【その3】」(1936)

スキーとスキー地3_1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「特輯・スキーとスキー地の写眞」です。次の作例は「ホテル前」(P.ウォルフ)です。フェンダーのある車にはこの写真のようにスキー板を乗せることができるのですね。
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雑誌記事「特輯・スキーとスキー地の写眞【その2】」(1936)

スキーとスキー地2_1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「特輯・スキーとスキー地の写眞」です。次の作例は「ゲレンデにて」(P.ウォルフ)です。スキーヤーが半袖でかなり軽装なので春スキーなのでしょうか。

雑誌記事「特輯・スキーとスキー地の写眞【その1】」(1936)

スキーとスキー地1_1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「特輯・スキーとスキー地の写眞」です。最初の作例は「夜の田舎家」(P.ウォルフ)です。光源を使い露出に12秒も掛けています。

漫畫「今年の流行」(1936)

今年の流行1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の漫畫より「今年の流行」(坂奈賛三)です。坂奈賛三さんは戦前戦後に雑誌等で漫画作品を発表していますが、詳細はわかりませんでした。小型カメラが流行したなら次は大型という訳です。

雑誌記事「冬山への準備・矢野修二」(1936)

冬山への準備1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「冬山への準備」(矢野修二)です。スキー場のスナップ写真の作例が多くありますが、1936年現在、スキー場は若者で大変賑わっているようです。

漫畫「カメラフアンの家」(1936)

カメラファンの家1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の漫畫より「カメラフアンの家」(益子善六)です。二眼レフカメラを家に見立てています。確かに家っぽい感じです。

雑誌記事「冬と安カメラ・吉川速男」(1936)

冬と安カメラ1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「冬と安カメラ」(吉川速男)です。吉川速男(1890-1959)さんは東京外國語學校獨逸語本科卒業後、陸軍で働いていましたが、父の影響で幼少の頃からカメラに親しみ、アマチュア写真家として多くの作品や著述を残しており、日本の鉄道写真の泰斗としても有名です。タイトルの安カメラとはベビーパールやヴェストポケットコダックなど、機構が簡便な廉価版カメラです。

雑誌記事「冬のスナップ・寺岡徳二」(1936)

冬のスナップ1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「冬のスナップ」(寺岡徳二)です。第一図は風景写真で悠悠緩緩撮影、第二図は面白いところを瞬時に切り取る巾着切撮影の実例だそうです。第三図は冬の名物火事の撮影事例だそうです。いずれもフィルム感度やカメラ設定などを面白おかしく解説しています。

雑誌記事「スキー場スナップ第一課・佐藤虹児」(1936)

スキー場のスナップ1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「スキー場スナップ第一課」(佐藤虹児)です。佐藤虹児(1911-1955)さんは埼玉県熊谷市生まれ、自転車卸店で働きながらアマチュア写真家として活動を続け、写真雑誌への投稿し、国際展覧会に入賞したり、戦前戦後を通して多くの作品を発表しました。

雑誌記事「撮影から作画まで・安河内治一郎」(1936)

撮影から作画まで1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「撮影から作画まで」(安河内治一郎)です。当時日本領だった樺太の様々な冬の風景を作例としてあげています。

漫畫「畫題變更奇譚」(1936)

画題変更奇譚1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の漫畫より「畫題變更奇譚」(益子善六)です。傘を題材に写真を撮ったらピンボケで訳のわからないものに。そこで画題を変更してみました。

雑誌記事「冬の露出」(1936)

冬の露出1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「冬の露出」です。絞りF9固定で標準フィルム感度(ISO32相当)での冬の晴天日中のシャッター速度の目安です。夏のものはこちら。慣れてくると表を見なくても大体設定できます。また多少間違っても焼き付けである程度補正は効きます。

雑誌記事「雪の街頭撮影・金原三省」(1936)

雪の街頭撮影1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「雪の街頭撮影」(金原三省)です。金原三省(1904-1993)さんは戦前戦後を通して活躍した写真家でカメラ雑誌に多く掲載されています。東京写真研究会の顧問も務められました。

雑誌記事「田園の風景・阪井政次郎」(1936)

田園の風景1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「田園の風景」(阪井政次郎)です。雪深い農村の民家がまるで絵のようです。

雑誌記事「お正月の寫眞・井深徴」(1936)

お正月の写真1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「お正月の寫眞」(井深徴)です。井深徴(1901-1978)さんは当時資生堂の宣伝部に所属するカメラマンとして多くの広告や商業写真を手がけました。戦後はの日本写真専門学院の初代学院長として後進の育成にも当たりました。

雑誌記事「冬の寫眞撮影とその狙ひ所・下島勝信」(1936)

冬の寫眞撮影とその狙い所1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「冬の寫眞撮影とその狙ひ所」(下島勝信)です。主に撮影対象をどうするかというお話です。下島勝信さんは戦前戦後に活躍した写真家で多くの技法書を執筆しています。

雑誌記事「冬の光線・間宮精一」(1936)

冬の光線1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の特輯冬の寫眞より「冬の光線」(間宮精一)です。冬の光線の捉え方を作例を交えながら解説しています。道端の井戸、アスファルトの舗装道路、ゴム長靴を履いた子供達や朝の品川駅など良い雰囲気です。

雑誌中表紙「アマチュア冬の寫眞術」(1936)

中表紙1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の中表紙です。巻頭グラビアが終わり、本文記事に入る区切りです。

雑誌記事「冬日・八ツ井定徳」(1936)

冬日1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の特輯冬の寫眞より「冬日」(八ツ井定徳)です。作者の八ツ井定徳さんについては詳細はわかりませんでした。

雑誌記事「冬空・高岡清味」(1936)

冬空1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の特輯冬の寫眞より「冬空」(高岡清味)です。作者の高岡清味さんについては詳細はわかりませんでした。

雑誌記事「冬の子・玉井正朗」(1936)

冬の子1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の特輯冬の寫眞より「冬の子」(玉井正朗)です。玉井正朗さんはこの頃アサヒカメラ誌上に多くの作品を発表していますが、詳細はわかりません。

雑誌記事「初冬の午後・山田勝晤」

初冬の午後1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の特輯冬の寫眞より「初冬の午後」(山田勝晤)です。山田勝晤さんはこの頃アサヒカメラ誌上に多くの作品を発表していますが、詳細はわかりません。

雑誌記事「特輯・冬の寫眞」(1936)

特集冬の写真1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「特輯・冬の寫眞」です。最初の作例は「ペアスケーティング」(P.ウォルフ)です。強烈な逆光にシルエットで浮かび上がるスケーターを写しています。パウル・ヴォルフ"Paul Wolff"(1887-1951)さんはドイツの写真家で、小型カメラでも引き伸してプリントすれば芸術作品になることを示し、当時ライカカメラの伝道者として有名でした。

広告「オリエンタルフィルム」(1936)

オリエンタルフィルム1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「オリエンタルフィルム」(オリエンタル寫眞工業株式會社)です。フィルムカメラはカメラやレンズだけでなく、フィルムの選択で作品に様々な色付けができたのが面白くも難しかったですね。

広告「世界寫眞傑作集」(1936)

世界写真傑作集1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「世界寫眞傑作集」(朝日新聞社)です。世界中の写真雑誌などから集めた作品を集めたムックの広告です。この頃毎年出版されています。

広告「アサヒカメラ」(1936)

アサヒカメラ1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「アサヒカメラ一月増大號」(朝日新聞社)です。「躍進!」「寫眞雑誌はアサヒカメラ!」「海外の寫眞雑誌との御比較を!!」と!マークが続きます。

広告「ウエハー距離計」(1936)

ウェハー距離計1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「ウエハー距離計」(山本寫眞機店)です。高級カメラを除くと当時のカメラのピントは被写体までの距離を測ってレンズのメモリを合わせていました。そのため距離を合わせるために測距儀の方法を使い、二重像が合致する距離を測定する機械がこれです。ライカやコンタックスは距離計が内蔵され、ピントリングと連動しています。

広告「カメラは銀座の金城」(1936)

金城1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「カメラは銀座の金城」(金城商會)です。銀座には現在でも多くの中古カメラ店が存在しています。

広告「ウェルタ・ペルレカメラ」(1936)

ウェルタ、ペルレカメラ1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「ウェルタ・ペルレカメラ"Welta Perle"」(フオツトニユース社)です。ウェルタは1919(大正8)年に設立され1959(昭和34)年まで存在したドイツのカメラメーカーです。中級の輸入機として日本でも多く販売されました。

広告「ローライフレックス・ローライコードII型」(1936)

rollei1936dec

 1936(昭和11)年12月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア冬の寫眞術」(朝日新聞社)の表紙裏広告より「ローライフレックス・ローライコードII型"Rolleiflex Rolleicord"」(フオツトニユース社)です。元祖二眼レフのローライの広告ですが、販売元がフオツトニユース社となっています。同社は神戸にあった商社だと思いますが詳細はわかりません。「二ツ玉レフレックスノ至宝」「アラユル角度カラ被冩体ヲキヤツチスル」「王座ローライの完璧揺がず斷然トップ!!さすがに王座たるの貫禄を示す」だそうです。
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