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雑誌記事「提燈と釣鐘」(1915)

提灯と釣鐘1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の記事より「提燈と釣鐘」です。奇妙な取り合わせですが、提灯は浅草寺仁王門の大提灯、釣鐘は横浜市鶴見区にある総持寺のものです。仁王門は戦災で焼失して再建され宝蔵門と名前を変えました。当時雷門は仮設の物しかなく大提灯もありませんでした。
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雑誌口繪「蝗捕」(1915)

蝗捕1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)の寫眞口繪「蝗捕」です。田んぼでイナゴ捕りに興じる姉妹という設定です。手前の妹さんは当時の典型的な女学生の格好です。

雑誌記事「二重橋」(1915)

二重橋1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の記事より「二重橋」です。現在(1915年!)の整備された二重橋と明治初期の同じ視点の写真とを見比べています。考えて見るとまだ明治になって五十年経っていないのです。下の写真は人力車と電柱があるので幕末ではなく明治になってからです。

雑誌口繪「秋のひかり」(1915)

秋のひかり1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)のカラー口繪「秋のひかり」(暮路よのみ氏筆)です。暮路よのみ(?-1918)さんは岡山県津山生まれ、詳しい経歴は不明ですがこの頃多くの作品を発表しています。

雑誌口繪「秋のかたみに」(1915)

秋のかたみに1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)のカラー口繪「秋のかたみに」(栗原玉葉女史筆)です。栗原玉葉(1883-1922)さんは長崎県生まれ、梅香崎女学校から女子美術学校を卒業し母校で講師をしながら絵の研鑽に努め、文展など多くの展覧会に入選し女流日本画家として活躍しました。

広告「日本幼年・拾月號」(1915)

日本幼年1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の広告より「玩具と教育・日本幼年・拾月號」(東京社)です。幼稚園児から小学校低学年向けのいわゆる学習雑誌です。広告を見る限り大正初期にしてはとても充実した雑誌に見えます。

広告「帝國習習速成學會」(1915)

悪筆矯正器1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)内の広告より「悪筆矯正器無代進呈」(帝國習字速成學會)です。なんとハガキを出しただけで悪筆を矯正してしまう便利な機械をタダでくれるという、一体どんな罠なのか勘ぐってしまう広告です。なお本文に習習速成学会とありますが、習字速成学会の誤植のようです。

広告「藤波芙蓉先生創製化粧料」(1915)

藤波芙蓉1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)の裏表紙裏広告より「化粧學大家・藤波芙蓉先生創製化粧料」(東京社代理部)です。藤波芙蓉(1872-1952)さんは宮城県仙台生まれ、旧制中学を卒業後、作家を志して尾崎紅葉氏に弟子入りし、その後文筆家や新聞記者として働きますが美容研究家に転身、西洋風薄化粧の専門家として一世を風靡しました。

広告「三越呉服店」(1915)

三越呉服店1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)の表紙裏広告より「三越で賣る椿油」(三越呉服店)です。いわゆる鬢付け油の広告です。「一度使へば忘れられない」そうです。

広告「御園白粉」(1915)

御園白粉1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)の裏表紙広告より「御園白粉」(伊東胡蝶園)です。当時、伊東胡蝶園は御園ブランドの化粧品や石鹸を多く上市していました。

雑誌「少女畫報・第四年第十號秋季特別號」(1915)

少女画報1915oct

 1915(大正4)年10月に発行された「少女畫報」(第四年第十號秋季特別號)(東京社刊)です。表紙絵は佐佐木林風さんです。イチョウの落ち葉が金泥で印刷されており豪華です。

広告「小型映画の代表」(1936)

伴野貿易1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「小型映画の代表」(伴野貿易株式會社)です。小型映画フィルムの規格は16mmが主流で、さらに小さい規格はフランスのパテー社の9.5mmが主流でした。なお当時の8mm映画カメラは16mmフィルムを半分ずつ使う形式でした。

広告「カメラは確實な村上商會へ」(1936)

村上商会1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「カメラは確實な村上商會へ」(村上商會本店)です。村上商會は新橋にあったカメラ店ですが、戦後廃業しています。ただしここのオリジナルブランドのケンコーフィルターは現在のケンコートキナー株式会社に引き継がれています。

広告「富士光新製小型カメラ」(1936)

富士光新製小型カメラ1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「富士光新製小型カメラ」(富士光学器械製作所)です。富士光学器械製作所は1919年に東京で創業され、「ライラ」ブランドやOEMのカメラメーカーとして戦後まで存在しました。富士フィルムとは資本関係はありません。

広告「最新型カメラフイルター」(1936)

双美商会1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「最新型カメラフイルター」(双美商会)です。双美商会は戦後まで銀座にあったカメラ店です(戦前は2丁目、戦後は4丁目)。カメラが高級品だった時代、銀座にカメラ店がたくさんありました。同名の会社が銀座4丁目にビルメンテナンス業として存在しますが、もしかしたら存続会社でしょうか。なんと自動現像焼付機のない時代に手作業で4時間仕上げだそうです。

広告「オリエンタルフィルム」(1936)

オリエンタルフィルム1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「オリエンタルフィルム」(オリエンタル寫眞工業株式會社)です。それぞれモノクロフィルムで、オリクロームはオルソクロマチック(青と緑の光に反応)でISO32相当の感度、S.S.パンはパンクロマチック(全色に反応)でISO100相当の感度になります。

広告「セミプリンス」(1936)

セミプリンス1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「セミプリンス」(プリンスカメラウァークス)です。国産スプリングカメラの広告ですが、レンズとシャッターはドイツ製を使っており、国産品にしては高級な方です。

広告「カメラは銀座の金城」(1936)

金城1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「カメラは銀座の金城」(金城商會)です。銀座7丁目には現在も金城商会が存在しますが貸しビルなどの不動産業者となっております。

広告「ミノルタ・ヴェスト」(1936)

ミノルタ・ヴェスト1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の広告より「ミノルタ・ヴェスト」(淺沼商會本店)です。ミノルタ・ヴェストはヴェスト版(127ロールフィルム)を使用した千代田光機精工で製造されたカメラです。

雑誌記事「夏の暗室処理・佐和九郎」(1936)

アラツ!1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の簡易露出表」(佐和九郎)です。作例は「アラツ!」(澁谷龍吉)です。澁谷龍吉(1907-1995)さんは山梨県生まれ、喜多川写真館で修行後、日本写真工業株式会社を経てシブヤスタジオを立ち上げ、写真家となりました。主に広告商業系写真家として戦前戦後を通して活躍しました。

雑誌記事「夏の夜の撮影・堀野正雄【その4】」(1936)

土曜日のロッジ1936jul

1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の夜の撮影」(堀野正雄)です。作例は「土曜日のロツヂ(輕井澤)」です。夏の間、避暑地の軽井沢に集まる外国人や富裕層たちです。この頃はまだセレブの土地でした。

雑誌記事「夏の夜の撮影・堀野正雄【その3】」(1936)

川開き1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の夜の撮影」(堀野正雄)です。作例は「川開き」です。川向こうに見えるのが大日本麦酒の工場だとすると現在のアサヒビール本社のある吾妻橋周辺だと思われます。

雑誌記事「夏の夜の撮影・堀野正雄【その2】」(1936)

夏の日比谷新音楽堂1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の夜の撮影」(堀野正雄)です。作例は「夏の日比谷新音樂堂(クロイツアー教授)」です。ピアノを弾いているレオニード・クロイツァー(1884-1953)さんはロシアで産まれたユダヤ人で、ドイツのベルリン音楽大学の教授をしていたところ日本からの招聘に応じて来日し、亡くなるまで東京音楽学校(東京藝術大學)の教授を勤めました。場所は日比谷新音樂堂とありますが、1923(大正12)年に建設された初代の日比谷野外音楽堂です。ステージが狭いせいか異様なオーケストラの楽器配置です。また風で譜面がめくれそうになり弓で抑えている奏者がいます。

雑誌記事「夏の夜の撮影・堀野正雄【その1】」(1936)

キャンプファイヤー1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の夜の撮影」(堀野正雄)です。作例は「キャンプファイヤー(上高地)」と「山小屋の夜」です。上の写真は閃光粉を焚き火に投げ入れて、下の写真は電球による補助光を使って撮影したそうです。当時はフィルム感度は低く、開放絞りも暗く、フラッシュ装置も重たく、夜の撮影は大変でした。

雑誌記事「夏の簡易露出表・佐和九郎」(1936)

夏の簡易露出表1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の簡易露出表」(佐和九郎)です。当時のカメラはよほどの高級機以外は露出計がついていませんでした(なお付いていても連動していない)。絞りとシャッター速度は単体の露出計を持たなければ自分で決めなければいけませんでした。これは各シチュエーションにおける当時の標準フィルム感度(ISO32相当)に対する絞りとシャッター速度の組み合わせ例です。佐和九郎(1883-1961)さんは実業家のかたわらアマチュアカメラマンとして活動し、自費で写真技術の「黒澤研究所」を設立するほど傾倒していました。多くのアマチュア向けの技法書を執筆しています。ペンネームは本名の「黒澤」を入れ替えたものです。

雑誌記事「夏期における人物撮影の注意・木村伊兵衛」(1936)

肖像1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏期における人物撮影の注意」(木村伊兵衛)です。作例は「肖像」とありますが、明らかに女優の原節子さんです。木村伊兵衛(1901-1974)さんは東京下谷生まれ、台湾で就職後アマチュアカメラマンとなりますが、1924(大正13)年に東京で写真館を開業、1930(昭和5)年には花王の宣伝部に入社してプロのカメラマンとなり、日本を代表する有名写真家となりました。

雑誌記事「銀座の夜景・松山思水」(1936)

銀座の夜景1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の寫眞の覘ひ處」(松山思水)より、松山思水さん自身の作例「銀座の夜景」三点です。銀座のカフェ、コンパルに露天の書店にロシア料理店トロイカ近くの果物屋です。

雑誌記事「夏の寫眞の覘ひ處・松山思水」(1936)

夏の写真の覘ひ處1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の寫眞の覘ひ處」(松山思水)です。作例は読者投稿などからの抜粋になっています。松山思水さんは写真家ではありませんが、このような評論を書けるのですね。

雑誌記事「夏の舞台撮影・鹿野寧」(1936)

ステージ1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏の舞台撮影」(鹿野寧)です。作例は「ステーヂ」です。「夏の〜」と言ってもこの頃(昭和11年現在)の劇場は大抵冷房があるので撮影に季節は関係ないとのことで、人工照明下の撮影と現像法についてレクチャーしています。鹿野寧(1902-1994)さんは戦前戦後を通して活躍した写真家で、多くの技法書も出版しています。

雑誌記事「夏乃夕景・矢野修二」

たそがれ1936jul

 1936(昭和11)年7月に発行された雑誌「アサヒカメラ臨時増刊・アマチュア夏の寫眞術」(朝日新聞社)内の記事より「夏乃夕景」(矢野修二)です。作例は「たそがれ」です。矢野修二さんはこの頃活躍された写真家で、木村伊兵衛さんらと「光画」にも参加しています。写真は銀座の夕景で、歩道に路面店と相対するように仮設の夜店が並んでいます。
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