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雑誌口繪「目黒華壇にて」(1913)

目黒華壇にて1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の口絵より「目黒華壇にて」(寫眞)です。編集部と読者の交流のようです。目黒華壇はこの頃の文学作品にも登場する有料の公園です。当時はまだ珍しいと思うのですが彼らは自動車で出かけています。偶然に入営していた主筆に出会ったという体です。
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雑誌口繪「むしの音」(1913)

むしの音1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の口絵より「むしの音」(寫眞)です。浴衣に大きなリボンの少女たちが虫の音に耳を傾けている写真です。

広告「小僧泣かせ草」(1913)

小僧泣かせ草1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「少女文庫第二編・小僧泣かせ草・星野水裏先生作」(實業之日本社)です。星野水裏(1881-1937)さんは新潟県新発田生まれ、早稲田大學國漢科を卒業後、「少女の友」初代主筆となり、抒情詩や小説も発表しました。

雑誌口繪「私達そりや仲好しよ」(1913)

私達そりゃ仲好しよ1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の口絵より「私達そりや仲好しよ」(寫眞)です。庶民には当時まだ珍しかった洋服を着慣れていない子供達のちょっとぎこちない写真です。

広告「少年春雄/美代子」(1913)

少年春雄/美代子1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「少年春雄/美代子」(實業之日本社)です。記者合作による少年小説と少女小説の広告です。両者が対になった面白い広告です。

広告「幼年の友・九月號」(1913)

幼年の友1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「幼年の友・九月號」(實業之日本社)です。これも自社出版物の広告です。「幼年の友」は1905(明治38)年に創刊された雑誌です。

広告「カーナバル石鹼」(1913)

カーナバル石鹸1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「カーナバル石鹼」(日本リーバーブラザース株式會社)です。この裏面には、「カーナバル石鹼は特に精選せる純良高貴の原料を以て忠實に製造され毫も不純物を含まず芳香馥郁として使ひ心地極めて快く理想的の化粧石鹼なり/製造元 兵庫縣尼ヶ崎酉新田 日本リーバーブラザース株式會社」とあります。日本リーバーブラザースは1885年にイギリスで創業されたリーバーブラザース(現在のユニリーバ)の日本法人で、現在のユニリーバジャパン株式会社です。

雑誌口繪「梢の月・篠田十一郎画」(1913)

梢の月1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の口絵より「梢の月」(篠田十一郎画)です。篠田十一郎(1883-1969)さんは岐阜県の裕福な薬種問屋に生まれ、県立岐阜中学を卒業後、実家の反対を押し切って京都で日本画を学び、東京美術學校日本画科を卒業、1917(大正6)年に文展初入選、日本画家として活躍するとともに東京美術學校の助教授として後進の指導にも当たりました。

広告「日本少年・九月號」(1913)

日本少年1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「日本少年・九月號」(實業之日本社)です。これも自社出版物の広告です。「日本少年」は1906(明治39)年に創刊され、大正時代をとして人気が有りました。

広告「婦人世界・八巻第十號」(1913)

婦人世界1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「婦人世界・八巻第十號」(實業之日本社)です。やっと自社の出版物の広告です。「婦人世界」は1906(明治39)年に創刊され、1933(昭和8)年まで刊行されていた雑誌です。以前に付録をご紹介したことがありました。

広告「本郷書院/大正學院」(1913)

本郷書院/大正学院1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「綠蔭絶好の少女讀み物」(本郷書院)と「懸賞少女文章大募集」(大正學院)です。本郷書院は明治大正期に存在した出版社でここでは少女向け読み物の広告になっています。大正学院は講義録出版や夜間中学運営などを行っていたようです。

広告「取消廣告/ホーカー液」(1913)

取消広告1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「取消廣告」(平尾賛平商店)と「ホーカー液」(堀越二八堂)です。レートの方は前号の広告で募集した懸賞課題がその筋からのお達しにより中止するとのこと。一体何が悪かったのでしょうか。堀越二八堂は1909(明治42)年に堀越嘉太郎さんによって創立された化粧品メーカーで、堀越嘉太郎商店と名前を変えて昭和初期まで存在していました。堀越のホと嘉太郎のカでホーカーでだそうです。

広告「少女・九月號」(1913)

少女1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「少女・九月號」(時事新報社)です。これもライバル雑誌の広告です。「少女」は1913(大正2)年1月に創刊され1924(大正13)年に廃刊されたようです。

広告「少女世界・九月號」(1913)

少女世界1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「少女世界・九月號」(博文館)です。これもライバル雑誌の広告です。「少女世界」は1906(明治39)年に創刊された少女雑誌の草分けで、巌谷小波さんが編集発行人をしていました。1931(昭和6)年に廃刊しています。

広告「少女畫報・第九月號」(1913)

少女画報1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「少女畫報・第九月號」(東京社)です。何とライバル雑誌である「少女の友」への広告です。少女画報は1912(明治45)年に創刊され、1942(昭和17)年に「少女の友」に戦時統合され廃刊しました。発行元の東京社は破綻した独歩社から「婦人画報」などの雑誌発行を受け継ぐ形で1908(明治40)年に設立され、現在は「ハースト婦人画報社」として存続しています。

広告「桃割れ・造花原料」(1913)

桃割れ1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「桃割れ」(實業之日本社)、「造花原料」(吉住商店)です。広告の体裁が全く同じなので同じようなものかと思ったら、片方が「少女文庫第一篇」(東草水先生作、佐々木林風先生畫)で片方は字の通り造花の原料と書籍の広告です。東草水(1882-1916)さんは愛媛県生まれ、早稲田大學を卒業後作家となり主に詩人として活躍しました。

広告「實業講習録」(1913)

実業講習録1911sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社)内の広告より「實業講習録」(實業之日本社)です。通信制教育の広告です。「獨學して成功せんとする人は必ず本會に入會せられよ」「記述平易懇切にして嚙んで含める様に説明せり」「本會卒業生は實業界に需要多く社會の各方面に歡迎せらる」「居ながら勉強し一ケ年にして卒業することを得」だそうです。

雑誌口繪「灯・佐佐木林風画」(1913)

灯火1911sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の口絵より「灯」(佐佐木林風画)です。佐佐木林風(1884-1933)さんは新潟県新発田市生まれ、東京美術學校日本畫科を卒業後、帝展などに出品するとともに雑誌の挿絵などを多数手がけました。

雑誌記事「少女の友第六巻第十號目次」(1913)

少女の友目次1911sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の目次です。口絵の作者はクレジットがありません。「チヨイト姉さん龜と競争して負けたのは其兎なの?随分オネバウサンねえ」だそうです。

広告「悪筆の夫人と能筆の下女」(1913)

習字1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)内の広告より「悪筆の夫人と能筆の下女」(帝國習字速成學會)です。記事の体裁をとった通信教育の広告です。明治大正期に大変人気のあった通信教育のようです。

広告「懸賞金三千圓・三越呉服店」(1913)

三越呉服店1913sept.jpg

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の表紙裏広告より「懸賞金三千圓」(三越呉服店)です。懸賞金をかけて文芸作品を広く募集しています。この時の入選者に劇作家の鈴木泉三郎(1893-1924)さんがいます。

広告「ヘルプ」(1913)

ヘルプ1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)の裏表紙広告より「ヘルプ」(津村敬天堂)です。いわゆる胃腸薬の宣伝です。津村敬天堂は津村岩吉(1876-1976)さんが設立した製薬会社です。津村岩吉さんは奈良県の山田家に生まれ、津村家に養子に出されました。同時に養子に出された実兄の津村重舎(1871-1941)さんは津村順天堂の創業者です。また長兄の山田安民(1868-1943)さんはロート製薬の創業者です。津村岩吉さんは兄の元で津村順天堂を番頭として盛り立て、のれん分けで敬天堂を設立し戦争による統制まで続けました。

雑誌「少女の友・九月」(1913)

少女の友1913sept

 1913(大正2)年に発行された「少女の友」九月(第六巻第十號)(實業之日本社刊)です。表紙はクレジットはありませんがこの時期は川端龍子さんだと思われます。川端龍子(1885-1966)さんは和歌山生まれ、東京府立第三中學を卒業後洋画家を目指してアメリカに留学するも挫折し、帰国後日本画に転向、院展に入選し有名画家となりました。

広告「譚海・六月號」(1938)

譚海1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「譚海六月號」(博文館)です。もう一つの連載陣の村上元三(1910-2006)さんは朝鮮半島生まれ、青山学院中等部を卒業後、作家となり後に直木賞を受賞しました。

広告「ストック商会」(1938)

ストック商会1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「洋装生地と装身具・ストック商會」です。ストック商会は1929(昭和4)年に木村四郎(1906-1973)さんによって設立された婦人服店です。木村四郎さんは東京生まれで明治学院中等部卒業、戦後は日本デザイナーズクラブ理事長を勤め、ファッションモデルクラブの設立に尽力するなどファッション界の発展に貢献しました。

歐米人氣作家集(佛蘭西篇)「女あはれ【その2】(モンテルラン)」(1938)

女あわれ1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の歐米人氣作家集(佛蘭西篇)「女あはれ」(モンテルラン:作、櫻田門夫:譯、松野一夫:畫)です。訳者の桜田門夫さんは戦後に聞助捕物帖シリーズなどを書いている作家です。

歐米人氣作家集(佛蘭西篇)「女あはれ【その1】(モンテルラン)」(1938)

女あわれ1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の歐米人氣作家集(佛蘭西篇)「女あはれ」(モンテルラン:作、櫻田門夫:譯、松野一夫:畫)です。アンリ・ド・モンテルラン"Henry (Marie Joseph Millon) de Montherlant"(1896-1972)さんはフランスの小説家・劇作家です。

広告「淋疾にバロール」(1938)

バロール1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「淋疾に京都帝國大学化学研究所創製・バロール」(大木合名會社)です。京都大学化学研究所は現在も活動している組織ですが、そもそも1915(大正4)年に第一次世界大戦で欧州製の薬の供給が止まり、国産化する必要が生じたために設立されました。販売元の大木合名会社は江戸時代から続く薬種問屋で、現在も大木ヘルスケアホールディングスとして医薬品の中間流通業者大手として活動しています。

広告「地球鉛筆」(1938)

地球鉛筆1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「地球鉛筆」(日本鉛筆製造株式會社)です。ここは比較的大手ですが昭和戦前期は中小の鉛筆製造会社がたくさん存在したようです。

歐米人氣作家集(獨逸篇)「流浪人【その3】(アレキサンダー・ルツペル)」(1938)

流浪人1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の歐米人氣作家集(獨逸篇)「流浪人」(アレクサンダー・ルツペル:作、雨石矢兵:譯、高井貞二:畫)です。瀕死の行き倒れが思いがけない幸福な死を迎える場面です。
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