広告「弱い胃膓は青春を殺す!」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「弱い胃膓は青春を殺す!」です。このセンセーショナル広告は何かと思ってよく読んでみると、「小柳式建康帯」(三信株式會社)の広告でした。胃腸の下垂症に効くベルトの広告の様です。
広告「和獨大辭典」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「木村謹治新著・和獨大辭典」(博文館)です。木村謹治(1889-1948)さんは秋田県生まれ、県立秋田中学を中退後、慶応普通部に編入、第二高校から東京帝國大學文科大學独逸文學科を卒業し、ドイツ語教師を経て東京帝國大學の助教授となり、この日本最初の和独辞典を編纂しました。その後教授となりドイツ文学の第一人者として活躍しました。
広告「新村出編纂:言苑」(1938)
連載長篇「特急『亞細亞』第五回【その2】」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の連載長篇「特急『亞細亞』第五回」(吉川英治:作、松野一夫:画)です。上海カルトンのダンサー山崎ユキ子嬢は隣室に越してきた怪しげなソ連人を調べるため、スパイの啓蒙書で付け焼き刃の勉強をするの図です。
広告「譚海」(1938)
広告「鐘紡のレーンコート」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「鐘紡のレーンコート」(カネボウ)です。「ツユに備へて!」だそうです。オーダーメード26円からということで今の価値にしたら5万円程度でしょうか。
広告「日東紅茶」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「日東紅茶」(三井物産株式會社/日東拓殖農林株式會社)です。「初夏の爽やかさをしみじみと感覺するテイタイムのひととき!」だそうです。
連載長篇「魔都・第九回【その5】」(1938)
シナリオ作家小説集「女三人寄れば【その3】」(1938)
シナリオ作家小説集「女三人寄れば【その2】」(1938)
シナリオ作家小説集「女三人寄れば【その1】」(1938)
広告「アレオール」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「佛國製淋病消渇藥・アレオール」(株式會社エツチ・エヌ・アルクヱ商會)です。いわゆる性病と消渇=糖尿病の治療薬です。淋病は現在抗生物質で治せますが、当時は対症療法しかなかった様です。
広告「三菱鉛筆」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「三菱鉛筆」(眞崎大和鉛筆株式會社)です。「肥後守でもシカゴでも」と鉛筆削を示しています。回転式の鉛筆削りはメーカー名からシカゴ削りと言われていました。肥後守は折りたたみ式ナイフの商標です。
シナリオ作家小説集「百十三日以前【その2】」(1938)
シナリオ作家小説集「百十三日以前【その1】」(1938)
広告「ヨゥモトニックと60秒・美髪術」(1938)
広告「新修漢和大字典」(1938)

1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「新修漢和大字典」(博文館)です。著者の小柳司氣太(1870-1940)さんは新潟県生まれ、東京帝國大學専科を卒業後、中国文学研究者として各大学の教授を歴任、大東文化學院の学長も勤めました。新修漢和大字典は1932(昭和7)年に初版、戦後は博友社から刊行されました。