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広告「ローヤルデークリーム」(1938)

ローヤルデークリーム1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「ローヤルデークリーム」(佐々木商店)です。銀座のパイプ専門店として現在も有名な佐々木商店は戦前化粧品も商っていました。
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シナリオ作家小説集「過去のフイルム【その2】」(1938)

過去のフィルム1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内のシナリオ作家小説集より「過去のフイルム」(三村伸太郎:作、清水崑:畫)です。主人公は伯父が亡くなったと電報を受け取り、田舎の伯父宅へ向かう途中です。

シナリオ作家小説集「過去のフイルム【その1】」(1938)

過去のフィルム1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内のシナリオ作家小説集より「過去のフイルム」(三村伸太郎:作、清水崑:畫)です。三村伸太郎(1897-1970)さんは岡山県生まれ、明治大学中退後、松竹下加茂撮影所に入社して脚本家となりました。山中貞雄監督らと脚本家集団鳴滝組を創設し、「人情紙風船」の脚本など映画史に名を残しました。

シナリオ作家小説集「モンペを脱いだ娘【その2】」(1938)

モンペを脱いだ娘1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内のシナリオ作家小説集より「モンペを脱いだ娘」(伏見晁:作、坪内節太郎:畫)です。主人公になりすました男性と田舎娘のシーンです。この娘は困窮してこの男性を頼って上京しましたが、会ってみたら見ず知らずの人で名刺を使ったカタリだと判明、さてどうなる?という筋です。

シナリオ作家小説集「モンペを脱いだ娘【その1】」(1938)

モンペを脱いだ娘1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内のシナリオ作家小説集より「モンペを脱いだ娘」(伏見晁:作、坪内節太郎:畫)です。伏見晁(1900-1970)さんは愛知県名古屋市生まれ、明治大学を中退後、松竹撮影所に入社し脚本家となりました。戦前、戦後と多くの小津安二郎、五所平之助、斎藤寅次郎監督作品に脚本家として参加しています。

広告「机上生活は呼吸器の抵抗力を弱くする」(1938)

机上生活1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「机上生活は呼吸器の抵抗力を弱くする」(株式會社玉置商店)です。なんの広告かと思ったらビタミン剤です。この当時最大に恐ろしいのは肺結核に感染することで死の病でした。

広告「ナルビークリーム」(1938)

ナルビー1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「ナルビー・ハニーバニシング・ハニーコールド・クリーム」(鈴木福次郎商店)です。広告のモデルはマレーネ・ディートリヒさんに見えますが、特に何も書いてありません。

中篇讀切「一週間【その4】」(1938)

一週間1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の中篇讀切小説「一週間」(横溝正史:作、高井貞二:畫)です。自分の立てた計画が意外な方向に進展してしまい呆然とする主人公の図です。

中篇讀切「一週間【その3】」(1938)

一週間1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の中篇讀切小説「一週間」(横溝正史:作、高井貞二:畫)です。主人公が他社の記者から事件を捏造したのではないかと指摘され、逆ギレするの図です。

中篇讀切「一週間【その2】」(1938)

一週間1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の中篇讀切小説「一週間」(横溝正史:作、高井貞二:畫)です。築地近くの飲み屋で何やら相談している新聞記者と自殺願望者です。

中篇讀切「一週間【その1】」(1938)

一週間1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の中篇讀切小説「一週間」(横溝正史:作、高井貞二:畫)です。落ち目の新聞社の記者が上司から捏造してでも特ダネを取ってこいと言われてくさっています。

中表紙「新青年六月號」(1938)

新青年1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の中表紙です。イラストは近藤日出造さんです。客待ちの円タク(市内1円均一タクシー)の運転手と助手の会話のようで、「チクシヨウ!顔眞つ黒けにしやがつて、木炭ガールにモテやがつたな」とあります。木炭ガールの意味は不詳ながら、当時「キャンデーガール」「タバコガール」等、〜ガールというキャンペーンガールが流行っていたのでその類推ではないでしょうか。当時のタクシーは客引きや料金の収受と交渉、それに運転見習いのため運転手と助手という二人乗務が多かったようです。均一なのに交渉とは、近くの場合値引きもあり(赤坂まで50銭で!とか)、市外は交渉次第、ということだったようです。

広告「メヌマポマード」(1938)

メヌマポマード1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「メヌマポマード」(井田京榮堂)です。「髪も伸ばした背廣も出來た結ぶ友情つけたメヌマに香るじやないか」だそうです。学生から社会人になったということでしょうか。

広告「名勝旅程案内」(1938)

名勝旅程案内1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「名勝旅程案内」(博文館)です。各名勝の周遊プランが集められている700ページの大部です。編者の吉田團輔さんは当時鉄道省旅客課に勤務しており、多くの旅行案内書の編纂をしています。

広告「鐡道旅行案内」(1938)

鉄道旅行案内1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「鐵道省編纂・鐵道旅行案内」(博文館)です。当時JR各社は鉄道省所管の国営鉄道でした。鉄道省は1920(大正9)年に逓信省から独立して発足し、1943(昭和18)年に戦時統制の都合で運輸省管轄下に入るまで存続し、戦後日本国有鉄道となりました。

広告「ダットサン」(1938)

ダットサン1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「ダットサン」(日産自動車販賣株式會社)です。広告の車は最新型のダットサン17型ロードスターです。

広告「ブラジル珈琲」(1938)

ブラジル珈琲1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「ブラジル珈琲」(ブラジル珈琲販賣宣傳本部・エ・エ・アツスムソン)です。場所は銀座四丁目の聖書館とあるので、今も教文館が入っている聖書館ビルのことです。これは現存するアントニン・レーモンド作のアール・デコ様式の1933(昭和8)年に竣工したビルです。

二色マンガ「文明太古版【その8】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「新聞社の巻」(清水崑:作)です。戦前の東京では既に電光掲示板のニュースが新聞社の屋上などにあり、それをのみで刻みつけています。しかし原始時代のはずなのに紙が発明されています。

広告「ビクター新ポータブル」(1938)

ビクター新ポータブル1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「ビクター新ポータブル」(日本ビクター蓄音器株式會社)です。日本ビクター蓄音器は1927(昭和2)年に米国The Victor Talking Machine Co.の日本法人として設立され、親会社がRCA社に買収された後も横浜に工場を建設して蓄音器の国内生産をしていましたが、この1938(昭和13)年に外資に対する圧力から資本撤退、その後は商標と社名の使用権のライセンスになりました。現在もJVCケンウッドとして存続してます。

二色マンガ「文明太古版【その7】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「名所案内の巻」(横山隆一:作)です。原始人たちが様々な名所を周遊しています。

二色マンガ「文明太古版【その6】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「デパートの巻」(杉浦幸雄:作)です。特売や解体ショーなど楽しそうなデパートです。右上に地元の小売店業社組合が「デパート絶対反対」のプラカードを持って押しかけています。全く現在と変わらない風景のようにみえます。

二色マンガ「文明太古版【その5】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「太古劇場」(横井福次郎:作)です。当時の世相として、検閲用の警官席があります。また3等席はすし詰で1等と2等席はガラガラです。

二色マンガ「文明太古版【その4】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「博覧會の巻」(横山隆一:作)です。横山隆一さんはリーダー的存在からなのかサインがありません。

広告「大川パーコ」(1938)

大川パーコ1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「大川パーコ」(大川銀三郎商店)です。理想的コーヒー沸器=パーコレータの広告です。「近代人の御家庭にはゼヒ一臺は御必要です。」とはありますが普及したという話は聞いていません。

二色マンガ「文明太古版【その3】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「ビール製造會社の巻」(清水崑:作)です。清水さんは河童の漫画で有名ですね。ビール製造工程のはずですが鳥をロールで引き伸ばして入れているのは何でしょう。

二色マンガ「文明太古版【その2】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「病院の巻」(小關まさき:作)です。小關まさきさんは戦前に新漫画派集団に属して多くの漫画を発表していますが、経歴の詳細はわかりませんでした。

二色マンガ「文明太古版【その1】」(1938)

文明太古版1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の記事、二色マンガ「文明太古版」(新漫畫派集團:連作)より「銀座」(横井福次郎:作)です。恐竜のバス、怪鳥の車、歩道には絵描きや物売り、ビヤホールにバーと銀座です。

広告「サントリーウ井スキー」(1938)

サントリーウィスキー1938jun

 1938(昭和13)年6月発行の雑誌「新青年・六月號」(博文館)内の広告より、「サントリーウ井スキー」(株式會社壽屋)です。壽屋は1899(明治32)年に鳥井信治郎(1879-1962)さんが創業した鳥井商店から1921(大正10)年に改称した洋酒製造販売会社で、戦後サントリーと解消して現在に至ります。
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