fc2ブログ

諧謔小説「小女權論者【その5】」(1927)

小女権論者1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「諧謔小説:小女權論者」(佐々木邦:作、田中比左良:畫)です。お姉様方が笑ってごまかしている、の図です。
スポンサーサイト



諧謔小説「小女權論者【その4】」(1927)

小女権論者1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「諧謔小説:小女權論者」(佐々木邦:作、田中比左良:畫)です。お見合い写真用に日本髪に結った姉を見ると憎らしいほど似合っていました。この文章が書かれた頃はまだ大正のはずですが、主人公の女の子のパーカー、ミニスカート、ショートボブの姿は現代にいてもおかしくないように思えます。

諧謔小説「小女權論者【その3】」(1927)

小女権論者1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「諧謔小説:小女權論者」(佐々木邦:作、田中比左良:畫)です。腹いせに写真館で自前のお化粧と制服で写真を撮ったところ、帰ってきた姉たちは「それは良いアイデア」と髪結い晴れ着付きでポートレートを撮りに出かけてしまい、妹とその友人はさらに面白くない、の図です。

諧謔小説「小女權論者【その2】」(1927)

小女権論者1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「諧謔小説:小女權論者」(佐々木邦:作、田中比左良:畫)です。姉妹の他愛ない意地の張り合いを末娘視点で書いています。姉達が銀座に出かけて置いていかれた妹とその友人は腹いせに写真館でポートレートを撮ってもらおうとお化粧しているところです。女学校の制服のスカート丈が当時の流行の短さです。

諧謔小説「小女權論者【その1】」(1927)

小女権論者1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「諧謔小説:小女權論者」(佐々木邦:作、田中比左良:畫)です。佐々木邦(1883-1964)さんは静岡県生まれ、青山学院、慶応予科を経て明治学院を卒業、大学教授等を歴任しながらユーモア小説の執筆と普及に励みました。

雑誌記事「新案室内遊戯」(1927)

新案室内遊戯1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「新案室内遊戯」です。お正月などの室内ゲームの紹介記事です。

雑誌記事「名文十二ヶ月」(1927)

名文12ヶ月1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「明治大正・名文十二ヶ月(1)」(武島羽衣:選、岩田專太郎:畫)より「留守中に來りし人のもとに」(樋口一葉:著)です。文豪の名文を分析するシリーズのようです。武島羽衣(1872-1967)さんは東京日本橋生まれ、東京帝國大學文科大學を卒業後、東京音樂學校の教授をはじめ様々な大学で国文学を教えました。

冒険探偵小説「二つの功名【その4】」(1927)

二つの功名1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「冒険探偵小説:二つの功名」(阿武天風:作、森田久:画)です。主人公の機転により、誘拐犯逮捕される、の図です。しかしこの事件は大きな事件の序章に過ぎなかったのです。

冒険探偵小説「二つの功名【その3】」(1927)

二つの功名1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「冒険探偵小説:二つの功名」(阿武天風:作、森田久:画)です。令嬢誘拐を目撃した主人公は一度犯人に突き飛ばされるも、女学校の陸上で鍛えた脚力で逃走する自動車に追い縋り、徐行したところで屋根に飛び乗る、の図です。

冒険探偵小説「二つの功名【その2】」(1927)

二つの功名1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「冒険探偵小説:二つの功名」(阿武天風:作、森田久:画)です。偶然令嬢誘拐の現場を目撃してしまう主人公の図、です。

冒険探偵小説「二つの功名【その1】」(1927)

二つの功名1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「冒険探偵小説:二つの功名」(阿武天風:作、森田久:画)です。阿武天風(1882-1928)さんは山口県生まれ、萩中学から海軍兵学校を卒業し、海軍軍人となるも日露戦争で負傷して退職、友人の押川春浪さんの紹介で文筆家となり、多くの冒険小説を発表しました。森田久(ひさし)さんは所謂「池袋モンパルナス」の一員として、大正昭和期に活躍した画家ですが詳細は不明です。

雑誌記事「閨秀畫家の苦心成功美談【その3】」(1927)

宮田英子1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「閨秀畫家の苦心成功美談」(石川宰三郎:著)より宮田英子さんです。東京の裕福な陶器問屋の家に生まれ、江東小学校から女子美術學校日本画科を卒業して帝展に入選しました。それ以外の経歴はわかりませんでした。

雑誌記事「閨秀畫家の苦心成功美談【その2】」(1927)

榊原縫子1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「閨秀畫家の苦心成功美談」(石川宰三郎:著)より榊原縫子さんです。榊原(結婚後は吉村)縫子さんは戦前の美人画や帝展入選の日本画家として名前を見ますが、ここに書かれている日本画家の池田焦園(1886-1917)女史の妹であること、女子學院高等部出身であること以外の経歴はわかりませんでした。

雑誌記事「閨秀畫家の苦心成功美談【その1】」(1927)

菱田きく子1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「閨秀畫家の苦心成功美談」(石川宰三郎:著)より菱田きく子さんです。帝展に入選した女性画家の紹介です。菱田きく子さんは著名な日本画家の菱田春草氏の姪ですが、その後は不明です。

長篇小説「三つの花」(1927)

三つの花1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「長篇小説:三つの花」(吉屋信子:作、田中良:畫)です。いわゆる三姉妹物の連載小説です。父を亡くした母娘家族の物語ですが、三姉妹とも女学校に通っている裕福な母子家庭です。

雑誌記事「希望に輝く職業少女の生活記【その4】」(1927)

希望に輝く職業少女の生活記1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「希望に輝く職業少女の生活記」よりタイピストの柳田せき子さんによる「働くことの樂しみ」です。丸ビルで颯爽と働く職業婦人の頂点がタイピストでした。当時、書類の清書には欠かせない仕事でした。

雑誌記事「希望に輝く職業少女の生活記【その3】」(1927)

希望に輝く職業少女の生活記1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「希望に輝く職業少女の生活記」より看護婦の細田葉子さんによる「我儘な人に附添ふ苦しさ」です。当時は大病院が高等小学校卒業生を住み込みで働かせながら看護婦を養成したようです。

雑誌記事「希望に輝く職業少女の生活記【その2】」(1927)

希望に輝く職業少女の生活記1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「希望に輝く職業少女の生活記」より交換手の戸田秋子さんによる「事故なし日の嬉しさ」です。ダイヤル式の自動電話が都会の一部にしか普及していなかった時代、電話は交換手を呼び出して手動で相手番号につないでもらう時代でした。

雑誌記事「希望に輝く職業少女の生活記【その1】」(1927)

希望に輝く職業少女の生活記1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事から「希望に輝く職業少女の生活記」より女子事務員ちづかさんの「ビラ撒きも職業なればこそ」です。高等小学校出たてで勤めるとは15歳そこそこでしょうに健気です。

漫畫「パイ子の初夢【その2】」(1927)

パイ子の初夢1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「漫畫:パイ子の初夢」(杉本あさを:作並画)です。パイ子さんひどい目に遭っていますが、夢オチでした。

漫畫「パイ子の初夢【その1】」(1927)

パイ子の初夢1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「漫畫:パイ子の初夢」(杉本あさを:作並画)です。パイ子シリーズは少女倶楽部誌にて連載されていました。

雑誌記事「常識寶典【その2】」(1927)

常識宝典1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「これは便利だ・常識寶典」です。鹵簿の意味は初めて知りました。顔の輪郭とそれに合う髪型ということで、当時の女学生の典型的な髪型がわかります。

雑誌記事「常識寶典【その1】」(1927)

常識宝典1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「これは便利だ・常識寶典」です。お正月などの作法の常識が書いてあります。服装を除いてはあまり現在とかけ離れていないと思います。

雑誌記事「われらの社長」(1927)

我らの社長1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「われらの社長」です。紹介されているのは講談社の創業者にして、雑誌王の異名を持つ野間清治(1878-1938)さんです。野間さんは群馬県桐生生まれ、群馬尋常師範學校を卒業後、東京帝國大學文科大學を経て沖縄で教師となりますが、大日本雄辯會を設立し、多くの雑誌を創刊して現在の講談社の礎を築きました。

広告「幼年倶樂部【裏面】」(1927)

幼年倶楽部1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「幼年倶樂部」(大日本雄辯會講談社)の裏面です。弟や妹を大切にするなら雑誌を買いましょうという広告です。

広告「幼年倶樂部」(1927)

幼年クラブ1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「幼年倶樂部」(大日本雄辯會講談社)です。創刊して丁度一年経ったところです。珍しく一般ページでフルカラー印刷です(少しずれています)。裏面はまた明日。

少女小説「冬の薔薇【その2】」(1927)

冬の薔薇1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「少女小説:冬の薔薇」(片岡鐡兵:作、幡恒春:畫)です。女学校の文芸会で上演されている「冬の薔薇」にハプニングが起こります。駆けつける転校生の図です。

少女小説「冬の薔薇【その1】」(1927)

冬の薔薇1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「少女小説:冬の薔薇」(片岡鐡兵:作、幡恒春:畫)です。女学校が舞台の典型的な少女小説です。

雑誌記事「一行ノート」(1927)

一行ノート1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「一行ノート」です。作者のクレジットはなく、目次にも載っていない埋草記事です。味噌汁にピーナッツは知らなかった。日本の歯医者は大正時代から多かったのですね。しかしその原因が間食の多さって本当だろうか。

劍俠小説「躍る白刃」(1927)

躍る白刃1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「劍俠小説:躍る白刃」(土師清二:作、伊藤彦造:畫)です。土師清二(1893-1977)さんは岡山県生まれ、独学ののち大阪朝日新聞社に勤務しながら時代小説を発表し、作家となりました。
プロフィール

nao_koba

Author:nao_koba
昭和モダンの世界へようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
from 2012/2/20
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR