創作「雪の春」(1927)

雪の春1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「創作:雪の春」(吉田絃二郎:作、須藤しげる:畫)です。吉田絃二郎(1886-1956)さんは佐賀県生まれ、早稲田大学文学部を卒業後、母校で教職をしながら作家活動をはじめ、1924(大正13)年に教授となっています。
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漫畫「お祖父さんお祖母さん」(1927)

お祖父さんお祖母さん1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「漫畫:お祖父さんお祖母さん」(細木原青起:畫)です。細木原青起(1885-1958)さんは岡山県生まれ、新聞の挿絵等で活躍しました。また著書に「日本漫画史」(1924)があります。

探偵小説「海地獄の怪【その4】」(1927)

海地獄の怪1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「探偵小説:海地獄の怪」(江見水蔭:作、林唯一:畫)です。津波の怪しい漂着物を引き上げている謎の狂乞食の図です。

探偵小説「海地獄の怪【その3】」(1927)

海地獄の怪1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「探偵小説:海地獄の怪」(江見水蔭:作、林唯一:畫)です。津波から命からがら山の方に逃げてきました。

探偵小説「海地獄の怪【その2】」(1927)

海地獄の怪1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「探偵小説:海地獄の怪」(江見水蔭:作、林唯一:畫)です。謎の「狂乞食」によって予告された海嘯、不幸な境遇と謎のお土産、不自然な登場人物と伏線だらけの初回です。

探偵小説「海地獄の怪【その1】」(1927)

海地獄の怪1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「探偵小説:海地獄の怪」(江見水蔭:作、林唯一:畫)です。江見水蔭(1869-1934)さんは岡山県生まれ、軍人を目指して上京しますが途中で諦め、東京英語学校に通いながら作品を発表し始め、詩人、作家となりました。相撲を国技とした名付け親と言われています。

長篇小説「おや星子星【その2】」(1927)

おや星子星1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「長篇小説:おや星子星」(大倉桃郎:作、渡部審也:畫)です。遠く遼東半島から祖国日本を思うの図です。

長篇小説「おや星子星【その1】」(1927)

おや星子星1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「長篇小説:おや星子星」(大倉桃郎:作、渡部審也:畫)です。大倉桃郎(1879-1944)さんは香川県生まれ、少年時代は海軍で製図工として働き、上京して国語伝習所で学んだ後に懸賞小説で入選、その後二度召集されて日露戦争に従軍、従軍中も小説を発表し続け、除隊後は記者をしながら少年少女向けの作家として活躍しました。渡部審也(1875-1950)さんは岐阜県大垣生まれ、父や兄から洋画を学び、明治美術会教場に入学、洋画家となり、歴史画や挿絵を多く描きました。

少女小説「愛は勝てり」(1927)

愛は勝てり1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「少女小説:愛は勝てり」(水谷まさる:作、伊藤彦造:畫)です。水谷まさる(1894-1950)さんは東京生まれ、早稲田大学卒業後、編集者等を経て童話作家になりました。伊藤彦造(1904-2004)さんは大分県生まれ、朝日新聞勤務中に挿絵を習い、朝日新聞大阪本社から新聞小説の挿絵でデビューし、挿絵画家となりました。

雑誌記事「科學の頁【表紙】」(1927)

科学の頁1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「科學の頁」特集の表紙です。ファンタジックな飛行機が描いてありますが、プロペラは止まり、パラシュートが開いています。

雑誌記事「自由畫」(1927)

自由画1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「自由畫」(早川桂太郎先生選)です。読者投稿のイラスト選評のページです。当時の抒情画を必死に真似ている感じがほほえましいです。すでに少女漫画文化の下地は完全にできているように思えます。

雑誌記事「少女作法寫眞畫帖【その2】」(1927)

少女作法写真画帳1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「少女作法寫眞畫帖」(大妻コタカ/本社寫眞部)です。こちらはお寿司、お豆、果物といった、難しい作法の紹介です。殻付きの甘栗を上品に食べるのは難しそうです。

雑誌記事「少女作法寫眞畫帖【その1】」(1927)

少女作法写真画帳1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「少女作法寫眞畫帖」(大妻コタカ/本社寫眞部)です。少女が知っておくべき作法が写真入りで書かれています。

雑誌記事「少女画訓」(1927)

少女画訓1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「少女画訓」(谷脇素文:畫)です。谷脇素文(1878-1946)さんは高知県生まれ、画家として高知新聞に入社しますが、その後上京して漫画家となります。川柳漫画が有名です。

雑誌記事「初春のたより」(1927)

初春のたより1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「初春のたより」(生田花世:文、岡崎英夫:畫)です。生田花世(1888-1970)さんは徳島生まれ、徳島高女を卒業後、徳島県の教員となりますが、詩作を始め、教員を辞めて上京して働きながら創作活動を続け、生田春月と結婚しました。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:月宮殿のお使【その2】」(1927)

月宮殿のお使1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:月宮殿のお使」(久留島武彦:詩、早川桂太郎:畫)です。挿絵の狼が頭は狼で体は和服を着たおじさんなのが可笑しいですね。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:月宮殿のお使【その1】」(1927)

月宮殿のお使1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:月宮殿のお使」(久留島武彦:詩、早川桂太郎:畫)です。久留島武彦(1874-1960)さんは旧森藩藩主の孫として大分県に生まれ、大分中学から関西学院に転校して卒業、日清戦争に従軍中に投稿した作品が認められ、詩人になりました。アンデルセンの紹介や童謡「夕焼け小焼け」の作詞者としても有名です。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:忽忘草」(1927)

勿忘草1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:忽忘草」(ゆめ・たけひさ)です。この作者はもちろん大正時代を代表する画家・詩人の竹久夢二(1884-1934)さんのことです。竹久夢二さんは岡山県生まれ、神戸中学を中退後親の仕事の都合で九州に転居するも家出して上京、早稲田実業学校に入学しますがのちに中退、挿絵画家となりました。最初に出版した画集が認められ、時代の寵児となりました。数多くの作品と浮名を流しますが、結核のため49歳の若さで亡くなりました。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:屋根裏の子」(1927)

屋根裏の子1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:屋根裏の子」(蕗谷虹児:詩並畫)です。パリの下町の子のようですが、一升瓶を持って行って酒屋で量り売りをしてもらう風習がフランスにもあるのでしょうか。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:新春の歌」(1927)

新春の歌1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:新春の歌」(加藤まさを:詩並畫)です。月の沙漠で有名な加藤まさをさんが女学生のお正月の様子を描いています。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:およ羽根、小羽根」(1927)

およ羽根小羽根1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:およ羽根、小羽根」(西條八十:詩、早河桂太郎:畫)です。西條八十(1892-1970)さんは東京生まれ、早稲田大學文學部を卒業後、在学中から発表していた詩が認められて、詩人となりました。象徴詩人、歌謡曲の作詞家、童謡詩人、フランス文学者として有名です。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:門松」(1927)

門松1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:門松」(野口雨情:詩、幡恒春:畫)です。野口雨情(1882-1945)さんは茨城県生まれ、東京専門学校(早稲田大学の前身)を中退後、実家に戻って結婚し家業を継ぎますが、詩作を始め出奔、日本を代表する童謡詩人となります。幡恒春(1883-1944)さんは大阪で稲野利恒氏に師事、大阪朝日新聞で新聞挿絵画家として活躍しました。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:歌留多の宵」(1927)

歌留多の宵1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:歌留多の宵」(川路柳虹:詩、小田とみや:畫)です。川路柳虹(1888-1959)さんは幕臣の川路聖謨氏の曾孫として東京に生まれ、東京美術学校日本画科を卒業、在学中から詩を発表し始め卒業後は詩人となりました。挿絵の小田とみや(富弥)(1895-1990)さんは岡山県生まれ、日本画の修行の後に新聞挿絵画家としてデビューし、その後人気挿絵画家となりました。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:短歌」(1927)

短歌1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:短歌」(茅野雅子、柳原白蓮:歌、須藤しげる:畫)です。茅野雅子(1880-1946)さんは大阪市出身、日本女子大を卒業後結婚し、歌人となり、また日本女子大の教授も務めました。柳原白蓮(1885-1967)さんはここでは紹介しきれないほどのエピソードを持つ大有名人となった歌人です。

雑誌記事「傑作抒情大詩畫集:春二首」(1927)

春二首1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より「傑作抒情大詩畫集:春二首」(與謝野晶子:歌、田中良:畫)です。與謝野晶子(1878-1942)さんは大阪の堺生まれ、堺女学校卒業後、実家の和菓子屋の店番をしながら短歌を投稿し始め、地元の歌会に訪れた歌人の与謝野鉄幹(1873-1935)さんと不倫関係になりのちに結婚しました。その後上京し様々な問題作を発表し日本を代用する歌人となりました。挿絵の田中良(1884-1974)さんは東京生まれ、東京美術学校を卒業後、帝國劇場の背景部に就職して舞台芸術を担当し、その後宝塚や映画の美術監督なども勤めました。

広告「立志小説・露草の花」(1927)

露草の花1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「南部修太郎先生著:立志小説・露草の花」(大日本雄辯會講談社)です。南部修太郎(1892-1936)さんは土木技師の父の転勤先の仙台で生まれ、全国を転々とした後に芝中学から慶應義塾大学を卒業、「三田文学」で編集主任を勤めながら作家になりました。若い頃から病気がちで43歳で脳溢血のため急逝しました。

広告「婦人倶樂部新年號」(1927)

婦人倶楽部1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「婦人倶樂部新年號」(大日本雄辯會講談社)です。この雑誌は1920(大正9)年に創刊され、戦前の四大婦人雑誌(他は、主婦之友、婦人公論、婦人画報)の一つと呼ばれ、戦後も主婦の友、主婦と生活、婦人生活と並んで四大雑誌と呼ばれました。「處女」と「主婦」という語が対義語のように置かれていますが、当時は単純に「未婚女性」と「既婚女性」程度の意味で深い意味はありません。

広告「文集志ら菊」(1927)

文集志ら菊1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「中村孝也先生著:文集志ら菊」(大日本雄辯會講談社)です。中村孝也(1885-1970)さんは小学校教員の両親の下、群馬県高崎生まれ、東京高等師範学校を卒業後、教師をしながら東京外國語学校の夜間部に通い、卒業後東京帝國大學文科大學國史学科に入学、大学院修了後は教師をしながら経済学部にも入学、のちに東京帝大の助教授から教授に就任します。

広告「小説・君よ知るや南の國」(1927)

君よ知るや南の国1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「加藤武雄先生著:小説・君よ知るや南の國」(大日本雄辯會講談社)です。加藤武雄(1888-1956)さんは現在の神奈川県相模原市生まれ、高等小学校卒業後代用教員をしながら投書を続け、新潮社の編集者を経て作家となりました。挿絵は須藤しげるさんです。

広告「涙の握手」(1927)

涙の握手1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「水守龜之助先生著:涙の握手」(大日本雄辯會講談社)です。水守龜之助(1886-1958)さんは兵庫県相生生まれ、医学専門学校を中退後上京し、田山花袋氏に師事、中央公論社、新潮社の編集者をしながら、作家となりました。
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