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広告「家庭女學講習録」(1927)

家庭女学講習録1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「家庭女學講習録」(大日本家庭女學會)です。以前に紹介した大日本通信高等女學校と同様の女性向け通信教育です。こちらは巌谷小波氏や嘉悦孝子女史といったビッグネームを顧問に添えています。
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広告「大正婦人立志傳」(1927)

大正婦人立志伝1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「大正婦人立志傳」(大日本雄辯會講談社)です。「婦人出世の手引・この様にすれば出世が出來る」そうです。目次を見るとそうそうたるメンバーですが、三輪田、跡見、嘉悦、山脇、大妻、戸板と東京の有名私立女子校名と同じ姓の方々が大変多い印象です。

広告「新年特大號の盛觀・雄辯」(1927)

雄弁1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「新年特大號の盛觀・雄辯」(大日本雄辯會講談社)です。この雑誌は1910(明治43)年に雑誌王と呼ばれた野間清治(1878-1938)さんが最初に創刊した雑誌で、1941(昭和16)年に戦時統合により終刊しました。

広告「面白倶樂部・新年特大号」(1927)

面白倶楽部1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「面白倶樂部・新年特大号」(大日本雄辯會講談社)です。このころ、発行元が少年少女や教育向けだと大日本雄辯會、大人向け娯楽読み物は講談社となっているようです。

広告「少年倶樂部・新年號」(1927)

少年倶楽部1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「少年倶樂部新年号」(大日本雄辯會講談社)です。煽りの惹句が、「出タツ!出タツ!少年諸君の雑誌!」と大見出しです。

広告「美身白色藥・ハルナー」(1927)

ハルナー1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「美身白色藥・ハルナー」(合資會社濟生堂製藥所)です。大正から昭和にかけて多く見られた広告主です。「現代伶女」と書いて「モダンガール」とルビをふっています。

広告「キング新年號」(1927)

キング新年号1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「キング新年號」(大日本雄辯會講談社)です。当時、総合雑誌として大当たりし、100万部越えのお化け雑誌でした。

広告「ツジモトグラビヤ」(1927)

ツジモトグラビヤ1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「ツジモトグラビヤ」(辻本寫眞工藝社)です。辻本写真工芸社は明治時代に日本で最初にグラビア印刷機を購入してカラー印刷を始めた草分けで、1928(昭和3)年に日清印刷(現在の大日本印刷)に買収されました。

広告「三越呉服店」(1927)

三越呉服店1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)内の広告より「御歳暮贈答用品賣出し」(三越呉服店)です。デザインは原万助さんで、当時杉浦非水さんのデザイナー集団「7人社」に参加しており、大正〜昭和初期を代表するデザイナーの一人です。

広告「無學は女の恥です」(1927)

大日本通信高等女学校1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の表紙裏広告「無學は女の恥です・今スグ入學なさい」(大日本通信高等女學校)です。高等女学校の講義ノートを送付する通信教育の広告です。もちろん文部省の卒業資格は取れませんが、家庭の事情で当時の義務教育である小卒資格しかない人が、現在の大学に当たる専門学校受験資格を得るテスト「専検」を受けるための参考書にはなっていたようです。当時の高等女学校への進学率は15%程度ですので、高等女学校卒はかなり一般的になってきていました。

雑誌記事「新春に際し全日本の少女におくる」(1927)

新春に際し1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の記事より巻頭言「新春に際し全日本の少女へおくる」(少女倶樂部編輯局)です。挿絵は無銘ですがおそらく蕗谷虹児さんだと思われます。

雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(1927)

少女倶楽部新年号1927jan

 1927(昭和2)年1月発行の雑誌「少女倶樂部・新年特大號」(大日本雄辯會講談社)の表紙です。ただし、雑誌上では「大正16年」の表記になっています。大正15年が12月24日まで、昭和元年は7日間しかなく、当然12月中に発行される新年号は大正16年表示になりました。表紙の絵は「たのしき春」(多田北烏:畫)です。多田北烏(1889-1948)さんは長野県松本生まれ、東京高等工業学校図案科卒業後、キリンビールのポスターなどを手掛けて大変有名になりました。

広告「テルミー」(1938)

テルミー1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「テルミー」(テルミー本舗)です。これは現在も存続している美容院チェーンの広告です。

広告「ボンクーパー」(1938)

ボンクーパー1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「せき止メ咽喉音声剤ボンクーパー」(久能木本店)です。「護れ咽喉!!」だそうです。

広告「新髙ドロップ」(1938)

新高ドロップ1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「新髙ドロップ」(新髙製菓株式會社)です。「ウインタースポーツには新髙(ドロツプ)を御携行下さい」。

広告「變態風俗史料」(1938)

変態風俗資料1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「變態風俗史料」(誠眞堂)です。「軟派文献の最高豪華版!!」とのことで期待を煽ります。見本請求に、「變態」送れ、と書かなければいけないのがハードル高いかもしれません。

広告「日東紅茶」(1938)

日東紅茶1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「日東紅茶」(三井物産株式會社/日本拓殖農林株式會社)です。新商品発売のキャンペーン懸賞の案内です。反物や衣類が当たるというのは時代でしょうか。

広告「理研スキー用眼鏡」(1938)

理研スキー用眼鏡1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「理研スキー用眼鏡」(理化学研究所)です。戦前の理化学研究所は自らの研究資金を賄うため研究成果を積極的に自社で製品化していました。現在も理研オプテックという会社各種用途の保護眼鏡を製造販売しています。

雑誌記事「ソ聯邦の機密室【その2】」(1938)

ソ連邦の機密室1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「ソ聯邦の機密室」(R.W.ロドロフ)より特集の目次です。力の入った紙数をさいた特集となっています。実際当時はスターリンによる大量粛清の最中であることからあながち間違いではないのでは、と思われます。

雑誌記事「ソ聯邦の機密室【その1】」(1938)

ソ連邦の機密室1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「ソ聯邦の機密室」(R.W.ロドロフ)です。スターリン体制を痛烈に批判した記事になります。もちろん「コミンテルンの陰謀」を声高に主張しています。次回から少し内容も見てみます。

広告「東寶映畫・エノケンの猿飛佐助」(1938)

エノケンの猿飛佐助1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「東寶映畫・エノケンの猿飛佐助」(岡田敬監督)です。主演は昭和初期を代表する喜劇王、榎本健一(1904-1970)さんです。「初笑ひ 笑ひの重爆撃機!!現代人の夢、忍術の面白さを見せる珍猿飛の爆笑篇!!」だそうです。

広告「シーゾン麗顔水」(1938)

シーゾン麗顔水1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「シーゾン麗顔水」(大洋商會)です。ニキビ対策の美顔水として昭和前期の定番商品だったようですが、詳しいことはわかりませんでした。

広告「畫入春暁八幡佳年」(1938)

春暁八幡佳年1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「畫入春暁八幡佳年」(綺文社書店)です。「軟派文献?無題進呈」とありますが、タイトル通りだとすると爲永春水(1790-1844)作、歌川國直(1793-1854)畫の江戸時代の人情本になります。当時の意味するところの「軟派文献」と書くと、何やら性風俗書のように見せていますが…

小説「唄はぬ時計(大阪圭吉)」【その3】(1938)

唄はぬ時計1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より小説「唄はぬ時計」(大阪圭吉:作、清水崑:畫)です。浅草のアパートに住むこの男女は何者なのか、アパートに漂う消毒薬臭は何なのか。謎は深まります。

小説「唄はぬ時計(大阪圭吉)」【その2】(1938)

唄はぬ時計1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より小説「唄はぬ時計」(大阪圭吉:作、清水崑:畫)です。偶然古道具屋で手に入れた粗悪品の目覚まし時計から、ある殺人事件の意外な結末に至るという短編です。

広告「ボルサリノ帽子」(1938)

ボルサリーノ帽1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ボルサリノ帽子」(Borsalino社)です。デザインがほとんど同じでコピーが違うだけの広告がたくさん掲載されています。「間違のない有名帽はボルサリノ帽子」だそうです。

小説「唄はぬ時計(大阪圭吉)」【その1】(1938)

唄はぬ時計1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より小説「唄はぬ時計」(大阪圭吉:作、清水崑:畫)です。大阪圭吉(1912-1945)さんは愛知県生まれ、豊橋商業学校を中退後、日本大学商業学校夜間部を卒業、1932(昭和7)年に「新青年」で作家デビュー、ユーモア小説等で有名になりましたが、召集されルソン島で戦病死しました。

広告「森永ミルクチヨコレート」(1938)

森永ミルクチョコレート1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「森永ミルクチヨコレート」(森永製菓株式會社)です。「語りあきてもたべ飽きない」そうです。

広告「巴里ピベーマスカラード香水」(1938)

巴里ピベーマスカラード香水1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「巴里ピベーマスカラード香水」(L.T.PIVER社)です。L.T.Piver社は1774年にフランスで設立されて現在も老舗として有名な香水会社です。

広告「ポンピアン化粧料」(1938)

ポンピアン化粧料1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ポンピアン化粧料」(佐々木商店)です。ポンピアンブランドは現在の米国P&G社の前身の化粧品会社の物でした。
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