広告「ライトインキ」(1938)

ライトインキ1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ライトインキ」(篠崎インキ製造株式會社)です。「天下一品・一家一壜」「戰地より無事な音信(たより)インキはライトで!」
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連載長篇「魔都・第四回」久生十蘭(その2)(1938)

連載長篇「魔都」久生十蘭1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より連載長篇「魔都・第四回」(久生十蘭:著)です。挿絵は吉田貫三郎さんです。

連載長篇「魔都・第四回」久生十蘭(1938)

連載長篇「魔都」久生十蘭1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より連載長篇「魔都・第四回」(久生十蘭:著)です。この連載は最近文庫化されて出版されています。挿絵は吉田貫三郎(1909-1945)氏です。吉田氏は兵庫県生まれ、神戸商業卒業後、新漫画集団に参加した後挿絵画家に転身、戦争中は召集され中国大陸で戦病死しました。

広告「森永ミルクチヨコレート」(1938)

森永ミルクチョコレート1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「森永ミルクチヨコレート」(森永製菓株式會社)です。「慰問袋に!」というキャッチフレーズが時代を感じさせます。慰問袋は出征している兵士たちに贈る品を入れる袋で、食料や衣料や映画女優や女性歌手などのブロマイドや雑誌などを入れていました。

広告「麗人日記・静想日記・新自由日記」(1938)

博文館日記1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「麗人日記・静想日記・新自由日記」(博文館)です。このような種々の形式の日記帳は同社の人気商品で、戦後はこの部門が切り離されて博文館新社となり、今も日記帳を発行し続けています。

広告「ナルビーポマード」(1938)

ナルビーポマード1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ナルビーポマード」(鈴木福次郎商店)です。ナルビーブランドでは女性化粧品を多く出していますが男性用整髪料も出しています。

広告「獵奇世界探訪」(1938)

猟奇世界探訪1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「獵奇世界探訪」(博善堂)です。「趣味品の頒布會」「インチキ屋退治の急先鋒」「人形 書畫 冩眞」「世界全國の獵奇的な物を蒐集頒布します」「一度は必ず申込み下さい責任品急密送します」だそうですが、これだけでは何のことなのかわかりませんね(笑)。

広告「森永ミルクチヨコレート」(1938)

森永ミルクチョコレート1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「森永ミルクチヨコレート」(森永製菓株式會社)です。「樂しい味の道づれ」

広告「アスコル末」(1938)

アスコル末1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「アスコル末」(田邊元三郎商店)です。これはいわゆるビタミンCとして働くL-アスコルビン酸の粉末で現在でも各社から販売されています。

広告「新少年・新年號」(1938)

新少年1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「新少年・新年號」(博文館)です。「新少年」は1935(昭和10)年4月から1939(昭和14)年8月まで刊行された少年向け月刊雑誌です。

広告「少年少女『譚海』新年號」(1938)

少年少女譚海1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「少年少女『譚海』新年號」(博文館)です。今でいうジュブナイル小説雑誌でしょうか。長所の一番が日本一安い雑誌で、短所はすぐ売り切れることだそうです。

広告「ヱビオス錠」(1938)

エビオス錠1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ヱビオス錠」(大日本麦酒株式會社)です。「美容の秘訣・健康の常識!」だそうです。ビール酵母から抽出されたビタミン剤です。

広告「デワー・ウヰスキー」(1938)

デワーウィスキー1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「デワー・ウヰスキー」です。この会社は現在においてもスコッチウィスキーの最大手として有名な会社です。

広告「凍傷豫防に!サロメチール」(1938)

サロメチール1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「凍傷豫防に!サロメチール」(田邊元三郎商店)です。1921(大正10)年に田邊元三郎商店(現・田辺三菱製薬)から発売され、現在でもブランドごと譲渡された佐藤製薬が製造販売しています。

広告「ポンジー・コロイドミルク」(1938)

ポンジー1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ポンジー・コロイドミルク・コロイドレモン」(岡本信太郎商店)です。男性誌ですがこのような化粧品の広告も大変多いです。「肌を整へませう御婦人も殿方も」「お化粧の基本に髭剃後に」。

広告「ヱビオス錠」(1938)

エビオス錠1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「ヱビオス錠」(大日本麦酒株式會社)です。ビール酵母から抽出されたビタミン剤です。

広告「つやふきん・佐々木商店」(1938)

つやふきん佐々木商店1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「つやふきん・佐々木商店」です。現在も銀座にある喫煙器具専門店です。つやふきんはパイプの手入れに使う布のことです。当時は化粧品も扱っていました。

広告「近代女性と體力」(1938)

近代女性の体力1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「近代女性と體力」です。一見コラム記事のようですが、読んでいくとビタミン栄養剤「ハリバ」(田邊元三郎商店)のコマーシャルです。

広告「三共のヨゥモトニック」(1938)

ヨゥモトニック1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「正しい養毛料・三共のヨゥモトニック」(泰昌製藥株式會社)です。「ノーハット主義者の生活必需品!」だそうです。

広告「株式會社三井銀行」(1938)

三井銀行1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「株式會社三井銀行」です。三井銀行は1876(明治9)年に日本初の私立銀行として開業し、現在は合併を繰り返して三井住友銀行となっています。在外支店も漢字表記になっていますが、孟買支店がわからなかったので調べてみますとマニラのことでした。

広告「大文洋行」(1938)

大文洋行1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「大文洋行」です。大文洋行は大倉洋紙店(現在の新生紙パルプ商事)の海外取引部門である大倉洋行として設立されて1913(大正2)年に社長の大倉文二氏の頭文字をとって大文洋行と改称しました。

広告「外用解熱・テラピア」(1938)

テラピア1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「外用解熱・テラピア」(Terapia S.A.)です。テラピア社は1920(大正9)年にルーマニアに設立され、現在は第一三共製薬の子会社です。

雑誌記事「ポカピカン」(1938)

ポカピカン1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「ポカピカン」(徳川夢聲作・横山隆一畫)です。徳川夢声(1894-1971)さんは島根県生まれの東京育ち、府立一中を卒業後受験に失敗して無声映画の弁士になります。その後映画がトーキーになると漫談や演劇に転じ、同時に小説やエッセイも多数執筆しマルチタレントとして活躍しました。この文はエッセイか小説なのかよくわかりません。

広告「愛と戦慄・評判實話くらべ」(1938)

評判実話くらべ1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「愛と戦慄・評判實話くらべ」(博文館)です。「新しき講談雑誌の大増刊號現る!」恋愛、探偵、戦争、冒険と色々なジャンルが取り揃えてあります。

広告「講談雑誌・新年特大號」(1938)

講談雑誌1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「講談雑誌・新年特大號」(博文館)です。豪華な執筆陣です。本来は講談の速記録集なのでしょうが、通俗小説雑誌となっています。

雑誌記事「陸海軍『時局』對談會」(1938)

陸海軍「時局」対談会1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「陸海軍『時局』對談會」です。さすがに青年誌は時事問題を多く記事に取り入れています。陸軍側の松井中佐は当時陸軍省新聞班に勤務しておりヨーロッパ視察等も経験しています。終戦時は少将で広東の第23軍連絡部長(特務機関長)でした。海軍側の梅崎中佐は当時横須賀の人事部第3課長で多くの軍事関係の著書を上梓しており、終戦時は大佐で上海の支那方面艦隊中支那航空隊長でした。
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