広告「結核性疾患とオリザニン」(1938)

オリザニン1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「結核性疾患とオリザニン」(三共株式會社)です。オリザニンは鈴木梅太郎博士によって発見されたビタミンBですが、ここでは商品名として扱われています。
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雑誌記事「一九三八年花暦・3月」(1938)

一九三八年花暦3月1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「一九三八年花暦・3月」です。撮影は吉田裕彦さんです。「サクラ/サクラ/サクラ/ガサイタ。(サクラは寫眞の向ふのです)」

広告「電氣時計シンクロン」(1938)

電気時計のバイクロン1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「電氣時計シンクロン・停電にも止まらないバイクロン」(東京電氣時計會社)です。交流の周波数を利用した電気時計です。東京電気時計は1939(昭和14)年に東芝設立の折に母体会社の一つとなりました。

雑誌記事「一九三八年花暦・2月」(1938)

一九三八年花暦2月1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「一九三八年花暦・2月」です。撮影は吉田裕彦さんです。「2月は枯れた趣の梅。見る人の洋装はかなし」

広告「井上英語講義録」(1938)

井上英語1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「井上英語講義録」(井上通信英語學校)です。この通信制の学校は1924(大正13)年に創業され、現在も「がくぶん」として通信教育大手として営業しています。下のペン習字は同系列で1932(昭和7)年に開始されたペン習字の通信教育で現在も「日ペン」として有名です。

雑誌記事「一九三八年花暦・1月」(1938)

一九三八年花暦1月1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の記事より「一九三八年花暦・1月」です。撮影は吉田裕彦さんです。「先づ正月ニユー・ハツトの華が咲き」

広告「平和堂靴専門店」(1938)

平和堂靴専門店1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「平和堂靴専門店」です。平和堂は神田小川町にて靴専門の老舗として2006年3月まで営業していました。現在は紳士服チェーン店になっています。

広告「四七一一番」(1938)

4711番1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「四七一一番」です。この会社はオーデコロンの元祖で所在地のケルン市グロッケン通の番地である4711がブランドになっています。18世紀に設立され現在も続いています。

広告「近眼治る」(1938)

広告「近眼治る」(1938)

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「近眼治る」(津村理化學研究所)です。近視が治療できるとは画期的だと思ってよく読むと「受験勉強後の假性近眼などすぐ治る…」とあり、若い時の仮性近視であれば治療可能です。ちなみにこの会社は津村順天堂とも理化学研究所とも関係はありません。

広告「資生堂ポマドリン」(1938)

資生堂ポマドリン1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)内の広告より「資生堂ポマドリン」です。1934(昭和9)年から戦前期にかけて販売されていた資生堂による整髪料のポマードの広告です。シンプルな構成主義的デザインです。やはり男性誌だからでしょうか。

広告「コティー化粧品」(1938)

コティ化粧品1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)の裏表紙裏広告より「コティー化粧品」です。フランスの化粧品会社で現在も香水を中心に世界中で販売されています。当時の男性誌に化粧品広告とは進んでいるようですが、「新青年」を購読する層はオシャレにも気を使うということでしょうか。

広告「美津濃の帽子と靴」(1938)

美津濃1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)の表紙裏広告より「美津濃の帽子と靴」です。神田小川町には現在ミズノ本社があります。美津濃といえば創業当時から運動用具ですが、ここでは帽子と靴などの紳士用品を前面に出しています。

広告「明治ゆであづき」(1938)

明治ゆであづき1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)の裏表紙広告より「明治ゆであづき」(明治製菓株式會社)です。茹で小豆の缶詰の広告です。数字の2598は皇紀で西暦1938年のことです。「手輕に得られる豪華な食卓/味も榮養も出色の出來映え」

雑誌「新青年・新年特大號」(1938)

新青年1938jan

 1938(昭和13)年1月発行の雑誌「新青年・新年特大號」(博文館)の表紙です。雑誌「新青年」は1920(大正9)年に創刊され1950(昭和25)年まで刊行された雑誌です。探偵小説掲載で有名でしたが、様々な記事の載った都会的な総合娯楽雑誌でした。表紙絵は松野一夫(1895-1973)さんです。松野さんは福岡県小倉生まれ、創刊まもない新青年に絵を持ち込み認められて表紙絵や挿絵を描くようになりました。まさに新青年の「顔」のような存在だそうです。

広告「少女倶樂部六月號の大附録」(1931)

少女倶楽部1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の広告より「少女倶樂部六月號の大附録」(大日本雄辯會講談社)です。この附録は以前にも紹介した新型手藝大アルバム女子名選手画報です。この二つは裏表になっている一つの冊子です。

広告「幼年倶樂部ステキステキ六月号」(1931)

幼年倶楽部1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の広告より「幼年倶樂部ステキステキ六月号」(大日本雄辯會講談社)です。時の内閣總理大臣若槻禮次郎男爵閣下の推薦文付きです。

雑誌記事「ゴルフの球の行方」(1931)

ゴルフボールの行方1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「ゴルフの球の行方」です。作者のクレジットはありませんが、外国の雑誌からの転載のようです。ゴルフボールからなぜか雛が孵ってその雛がゴルフを始めるというシュールな内容です。

広告「少年倶樂部六月号」(1931)

少年倶楽部1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の広告より「少年倶樂部六月号」(大日本雄辯會講談社)です。二大附録で楠木正成の肖像とゲームのようです。ちなみに東京の交差点に自動式の交通信号機が設置されたのは1930(昭和5)年の日比谷交差点が最初だそうで、「ゴー・ストップ」はまだホットな話題です。ちなみに有名なゴーストップ事件(軍人が信号無視して警察官と揉め、陸軍省と内務省のメンツ争いにまで発展する)が起こるのはこの2年後です。

雑誌記事「或るお嬢さんの日記(その4)」(1931)

あるお嬢さんの日記1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「或るお嬢さんの日記」です。東京在住の典型的な高等女学校生の日常です。日曜から始まり土曜までの何気ない平和な一週間の記述でした。

雑誌記事「或るお嬢さんの日記(その3)」(1931)

あるお嬢さんの日記1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「或るお嬢さんの日記」です。東京在住の典型的な高等女学校生の日常です。それにしても毎日夜9時就寝はちょっと早すぎるような気がします。

雑誌記事「或るお嬢さんの日記(その2)」(1931)

或るお嬢さんの日記1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「或るお嬢さんの日記」です。東京在住の典型的な高等女学校生の日常です。不審者が出て来ますが、もしかしたら自意識過剰なだけかもしれません。

雑誌記事「或るお嬢さんの日記(その1)」(1931)

あるお嬢さんの日記1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「或るお嬢さんの日記」です。東京在住の典型的な高等女学校生の日常です。古ネクタイは草履の鼻緒になるんですね。上のコラム「私はかうして娘を嫁がせました」は鳩山一郎(1883-1959)氏夫人の薫(1888-1982)さんの娘を嫁がせた談話です。

雑誌記事「子供の描いた漫畫」(1931)

子供の描いた漫画1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「子供の描いた漫畫」(佐藤利夫君畫)です。読者投稿なのでしょうか、達者なものです。

雑誌記事「日本西洋あべこべ繪とき(その2)」(1931)

日本西洋あべこべ絵解き1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「日本西洋あべこべ繪とき」です。足を温めるのなら炬燵はどうなのか、とかミシンと手縫いとか、こじつけ感もありますが、色々集めたようです。

雑誌記事「日本西洋あべこべ繪とき(その1)」(1931)

日本西洋あべこべ絵解き1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「日本西洋あべこべ繪とき」です。喪服の色や傘の立て方など失われてしまった風習もあります。老婦人に喫煙者が多いというのはどうだったんでしょうか。

雑誌記事「縫はれた狼」(1931)

縫われた狼1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「縫はれた狼」(千葉省三:作、川上四郎:畫)です。千葉省三(1892-1975)さんは栃木県生まれ、宇都宮中学を卒業後、代用教員をしていましたが上京して編集者となり、1920(大正9)年にコドモ社から雑誌「童話」を創刊して編集責任者となりました。川上四郎(1889-1983)さんは新潟県生まれ、長岡中学から東京美術学校を卒業後、美術教員をしていましたが、コドモ社に入社し雑誌「童話」などの児童文学作品の挿絵を多く描きました。

雑誌記事「箱拔け競爭」(1931)

箱抜け競争1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「箱拔け競爭」(中村星果:案)です。マッチ棒とマッチ箱を利用した簡単なゲームです。中村星果(1911-1985)さんは講談社で活躍した模型設計者で、少年倶楽部の紙模型付録などで有名です。戦後に児童文化功労者にも選ばれました。

雑誌記事「兒童の交通心得繪解き」(1931)

交通協会1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「兒童の交通心得繪解き」(交通協會)です。小学生が守るべき交通ルールが書いてあります。左下に描かれた所謂キックスケーターが既に一般的である事に驚きました。なおこの交通協會は現在の日本交通協会とは別の団体の様です。

雑誌記事「二つの自動車(その2)」(1931)

二つの自動車1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「二つの自動車」(楠山正雄:作、岡田なみぢ:畫)です。挿絵の岡田なみぢさんは「紅い蝋燭と人魚」(小川未明作)の挿絵で有名な方です。昭和戦前期に活躍されていますが、詳しいことはわかりませんでした。

雑誌記事「二つの自動車(その1)」(1931)

二つの自動車1931may

 1931(昭和6)年5月発行の雑誌「婦人子供報知・第五號」(報知新聞社)内の記事より、「二つの自動車」(楠山正雄:作、岡田なみぢ:畫)です。楠山正雄(1884-1950)さんは東京銀座生まれ、独協学校から國學院を経て東京専門学校(早稲田大学)を卒業後、早稲田文学社、読売新聞社を経て冨山房に入社し、編集者、評論家として活動する一方、「赤い鳥」に参加するなど児童文学の編集、翻訳、再話にも取り組みました。
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