長篇童話「町の子 山の子(その2)」(1937)
長篇童話「町の子 山の子(その1)」(1937)

1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「長篇童話・町の子 山の子」です。作者は大佛次郎さん、挿絵は吉澤廉三郎さんです。大佛次郎(1897-1973)さんは神奈川県横浜市生まれ、東京府立一中、一高を経て東京帝國大學法學部を卒業、私立の鎌倉高等女學校(現:鎌倉女学院)の教師となります。その後外務省嘱託となり、同時に小説等を発表、関東大震災を期に退職して小説家となりました。「鞍馬天狗」の原作者として有名です。ペンネームは在住していた鎌倉に因んでおり、戦後の鎌倉の乱開発を防ぐためにナショナルトラスト運動を主導し古都保存法の制定に深く関わりました。彼が居なければ鶴岡八幡宮の裏山はひな壇の住宅街になっていたかもしれません。吉澤廉三郎(1893-1967)さんは新潟県小千谷生まれ、東京美術學校を卒業後、洋画家、童画家として活躍、戦前戦後を通して「キンダーブック」や「家の光」等の雑誌で多くの挿絵を描いています。
広告「オカップレモナ」(1937)
広告「ワダカルシユーム錠」(1937)

1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「ワダカルシユーム錠」(和田卯助商店)です。和田卯助商店は1856年に大阪に設立された薬種問屋で、ワダカルシウムは1911(明治44)年に二代目によって生産が開始され、現在でも製造販売がなされています。和田卯助商店は1958(昭和33)年にワダカルシウム製薬となり、現在に至ります。
広告「アイホーン美眼器」(1937)

1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「アイホーン美眼器」(サトカ商會)です。どんな仕組みかはわかりませんが二重まぶたに物理的になるそうです。1937年のアイホーンは美容器具でした。
連載小説「人肌観音」(1937)
雑誌記事「前畑秀子さんの新妻振り(その5)」(1937)
雑誌記事「前畑秀子さんの新妻振り(その4)」(1937)
雑誌記事「前畑秀子さんの新妻振り(その3)」(1937)
雑誌記事「前畑秀子さんの新妻振り(その2)」(1937)
雑誌記事「前畑秀子さんの新妻振り(その1)」(1937)
雑誌記事「農村婦人の驚異的な働き(その2)」(1937)
雑誌記事「農村婦人の驚異的な働き(その1)」(1937)

1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「精密機械工業の最前線を行く・農村婦人の驚異的な働き」(理化學研究所長・大河内正敏)です。農村婦人が優秀な工場労働者になれるのか、という今から言うと大変失礼な記事ですが、大河内所長は問題ないと太鼓判を押しています。大河内正敏(1878-1952)さんは、千葉県にあった大多喜藩主大河内家に生まれた子爵で東京帝國大學を卒業後、帝大教授、貴族院議員、東京物理學校校長、等を歴任、1921(大正10)年に理化學研究所第三代所長となり1946(昭和21)年まで勤めました。
雑誌記事「疲れない働き方の新研究(その3)」(1937)
雑誌記事「疲れない働き方の新研究(その2)」(1937)
雑誌記事「疲れない働き方の新研究(その1)」(1937)

1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「仕事に追はれる奥様方のための疲れない働き方の新研究」(日本勞働科学研究所發表)です。この日本労働科学研究所は大原美術館で有名な倉敷紡績の大原孫三郎社長により1921(大正10)年に設立された研究所で、現在も大原記念労働科学研究所として存続しています。昭和初期の家事が現在と違って大変重労働だったことがわかります。
雑誌記事「良人の貞操(その4)」(1937)
雑誌記事「良人の貞操(その3)」(1937)
雑誌記事「良人の貞操(その2)」(1937)
雑誌記事「良人の貞操(その1)」(1937)
広告「樋屋奇應丸」(1937)

1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「樋屋奇應丸」(樋屋合資会社)です。樋屋は1563年に大阪天満橋に開業した薬屋で、広告の奇応丸は1622年から製造販売され、現在に至っています。現在の樋屋製薬株式会社です。