広告「レートクレーム」(1937)

レートクレーム1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「レートクレーム」(平尾贊平商店)です。モデルは原節子さんになります。
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雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・憂悶・高杉早苗」(1937)

憂悶・高杉早苗1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・憂悶」です。「うれひ」の表情を人気映画女優の高杉早苗さんが表現しています。なお、原節子さんバージョンはこちら

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・恐怖・原節子」(1937)

恐怖・原節子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・恐怖」です。「おそれ」の表情を人気映画女優の原節子さんが表現しています。

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・恐怖・高杉早苗」(1937)

恐怖・高杉早苗1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・恐怖」です。「おそれ」の表情を人気映画女優の高杉早苗さんが表現しています。

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・羞恥・原節子」(1937)

羞恥・原節子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・羞恥」です。「はじらひ」の表情を人気映画女優の原節子さんが表現しています。

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・羞恥・高杉早苗」(1937)

羞恥・高杉早苗1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・羞恥」です。「はじらひ」の表情を人気映画女優の高杉早苗さんが表現しています。

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・疑惑・原節子」(1937)

疑惑・原節子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・疑惑」です。「うたがひ」の表情を人気映画女優の原節子さんが表現しています。

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・疑惑・高杉早苗」(1937)

疑惑・高杉早苗1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・疑惑」です。「うたがひ」の表情を人気映画女優の高杉早苗さんが表現しています。

雑誌記事「原節子と高杉早苗の表情合戰・歡喜」(1937)

高杉早苗と原節子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「原節子と高杉早苗の表情合戰・歡喜」です。よろこびの表情を当時の人気映画女優である右:高杉早苗さんと、左:原節子さんが表しています。

雑誌記事「五月の花園・山下元子様」(1937)

山下元子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「五月の花園・日立製作所取締役山下興家氏令嬢・元子様」です。山下興家(1881-1960)氏は愛媛県生まれ、東京帝國大學工学部を卒業後、南満州鉄道を経て鉄道院で技師を勤め、1933(昭和8)年に工作局長で退官後は日本機会学会の会長等も勤めました。日本能率協会の基礎を作った人物で、日本の工業界に重大な影響を及ぼした方です。戦後は人事院の人事官にも任命されています。

雑誌記事「五月の花園・鹽野雪子様」(1937)

塩野雪子様1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「五月の花園・司法大臣鹽野季彦氏令嬢・雪子様」です。当時の司法大臣塩野季彦(1880-1949)氏は東京神田生まれ、幼くして父を亡くして叔父の養子になり、一高から東京帝國大學法學部を卒業後、司法試験に合格し検事となりました。思想検事の主流として塩野閥を率い、司法大臣等を歴任しました。鹽野雪子(1919-?)さんは季彦氏の三女として生まれ、三輪田高等女学校を卒業後に川崎二郎氏(現存の国会議員とは同姓同名の別人)と結婚しています。

広告「薬用アヅキ洗粉」(1937)

薬用アヅキ洗粉1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「薬用アヅキ洗粉」(藤村一誠堂)です。小豆を原料とした美肌効果のある洗剤として当時の広告で良く見かけます。この商品は現在も株式会社中島一誠堂(販売元:ヘチマコロン)より「あづき洗粉」として販売されています。

雑誌記事「五月の花園・大橋智惠子様」(1937)

大橋智恵子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「五月の花園・共同印刷株式會社々長大橋光吉氏令嬢・智惠子様」です。大橋光吉(1875-1946)さんは兵庫県生まれ博文館社長の娘と結婚して婿養子となり大橋姓になり、その博文館印刷所と自らが設立した絵葉書製作の精美堂を合併して1925(大正14)年に発足した共同印刷株式會社の初代社長となりました。

広告「中将湯」(1937)

中将湯1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「中将湯」(津村順天堂)です。ちゃんと五月号にあった図案になっています。ちなみに「齎(もた)らす」という漢字は始めて知りました。

雑誌記事「五月の花園・伊藤十四子様」(1937)

伊藤十四子様1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「五月の花園・公爵伊藤博精氏令嬢・十四子様」です。伊藤博精(1899-1962)公爵は元勲伊藤博文公の孫で、東京農業大學を卒業後、宮内省嘱託、貴族院議員を歴任しました。伊藤十四子(1918-?)さんは先代の伊藤博邦(1870-1931)公のご息女なのですが、兄の襲爵のためこのような続柄になっています。女子学習院を卒業後、三共創業者のご子息である塩原祥三(1912-?)さんに嫁ぎました。

広告「フレンド月經帶」(1937)

フレンド月経帯1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「フレンド月經帶」(第一ゴム製造所)です。写真の女優さんは高杉早苗さんです。考案指導された大妻コタカ(1884-1970)先生は女子教育の先駆者の一人として著名な方で、大妻学院の創立者です。広島県世羅町に生まれ、広島県立高女を卒業後進学を反対されて家出して叔父を頼って上京、和洋裁縫女学校から東京府教員養成所(東京学芸大学)を経て女子師範学校(横浜国立大)を卒業後、東京で教鞭をとっていましたが、宮内省の役人と結婚し大妻姓となりました。夫の勤めの関係で行った宮家の子女への教育が評判を呼び、生徒が増えて私立の高等女学校を設立し現在の大妻女子大の母体となりました。

雑誌記事「人氣作家林芙美子女史とお母さま」(1937)

林芙美子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「名士とお母さま・人氣作家林芙美子女史とお母さま」です。林芙美子さんは1930(昭和5)年の「放浪記」がベストセラーとなり、戦後まで通して大変多作な人気作家でした。

雑誌記事「横笛・難波章子」(1937)

難波章子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「横笛」です。高山樗牛(1871-1902)著「瀧口入道」のヒロインに扮しているのは寳塚歌劇18期生の難波章子さんです。解説は小島政二郎さんです。

広告「レッキス」(1937)

レッキス1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「レッキス」(近藤商事株式會社)です。製造元は蜂ブドー酒本舗ということですが、詳細は不明です。戦後も「ますやレッキス」という会社から販売されていたようです。カルピスのような乳酸飲料のようです。

雑誌記事「五月の花園・西部壽子様」(1937)

西部寿子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「五月の花園・實業家西部亮造氏御令嬢・壽子様」です。西部亮造氏も西部壽子さんも詳細はわかりませんでしたが、壽子さんはドレスメーカー女学院を卒業されて、この服はご自身でデザイン、縫製された物だそうです。

雑誌記事「五月の花園・山路明子様」(1937)

山路明子様1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「五月の花園・海軍中將山路一善氏御令嬢・明子様」です。当時の婦人・少女雑誌には芸能人や文化人だけではなく、このような貴顕の御令嬢を紹介する記事が多くありました。この方は海軍中将の山路一善氏の御令嬢で、山本権兵衛(1852-1933)伯爵のお孫さんに当ります。お父上の山路一善(1869-1963)海軍中将は「海軍航空の生みの親」と称された軍人で、山本権兵衛伯爵の次女すえさんと結婚しています。

雑誌記事「流行作家小島政二郎先生とお母さま」(1937)

小島政二郎1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「名士とお母さま・流行作家小島政二郎先生とお母さま」(1937)です。小島政二郎(1894-1994)さんは東京下谷生まれ、京華中学から慶應義塾大学文学部に進学し、卒業後は同大学講師を勤め、最終的には教授になり1931(昭和6)年まで教壇に立っていました。戦前戦後を通じて作家として活躍しました。

雑誌記事「春琴・田中絹代」(1937)

田中絹代1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「春琴」です。当代随一の人気女優である田中絹代さんが春琴に扮しています。解説は作家の佐藤春夫さんです。

広告「丹頂チック」(1937)

丹頂チック1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「丹頂チック」(金鶴香水株式會社)です。チックは基本的に男性用整髪料ですが、この広告のように鬢付け油代わりに女性の整髪にも使用されました。

広告「優良家庭用品の特別おすゝめ欄」(1937)

おすすめ1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「優良家庭用品の特別おすゝめ欄」です。ペット、美顔、補正下着、醤油、ミシン、手芸材料、服地となっています。当時の庶民は、服(特に洋服)とは布地を買って来て作る物であったため、そちらの広告が多くなっています。

広告「リードミシン」(1937)

リードミシン1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「リードミシン」(中島オール製作所株式會社)です。写真は手回し式のポータブルタイプです。営業所の住所が神田區神保町1−11とありますが、これは現在喫茶「さぼうる」がある辺りです。

広告「ノズルバンド」(1937)

ノズルバンド1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「ノズルバンド」(日本醫療器製造株式會社)です。所謂月経帯の広告です。装着の図解が出ているのでどのような物かがわかります。販売元の日本医療器製造ですが、詳細は不明でした。しかし当時この住所は出版社の平凡社の所在地になっています。同じ建物内にあるようです。(東京市日本橋區呉服橋三ノ五)

広告「白美液」(1937)

白美液1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の広告より「白美液」(橋本製藥株式會社)です。美白化粧品はいつの時代にも需要があるようです。粗品としてシャーペンが用意されています。この時代に既にノック式シャーペンが存在しているのですね。

雑誌記事「醫學博士井出ひろ子女史とお母さま」(1937)

井出ひろ子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「名士とお母さま・醫學博士井出ひろ子女史とお母さま」です。井出ひろ子さんは昭和初期に米国留学帰りの女性医師としてマスコミに多く露出しておりタレント女医のはしりの方のようです。

雑誌記事「唐人お吉・水谷八重子」(1937)

水谷八重子1937may

 1937(昭和12)年5月発行の「主婦之友」五月號(主婦の友社刊)内の記事より「唐人お吉」です。初代の水谷八重子さんがお吉に扮しています。解説は吉屋信子さんです。
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