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雑誌記事「東寳映畫・結婚の生態」(1941)

結婚の生態1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より「東寳映畫・結婚の生態」(今井正監督)です。原作は石川達三さんの同名小説、写真は原節子さんと夏川大二郎さんです。製作は南旺映画になります。
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広告「明視・トウランプ」(1941)

トウランプ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「明視・トウランプ」(東西電球株式會社)です。トウランプは1928(昭和3)年創業の東京電燈株式會社の子会社である東電電球株式會社によって製造が開始され、東西電球はその販売子会社となります。現在は東光高岳ホールディングスの一部になっています。

広告「アイデアル スキンコロン」(1941)

アイデアル・スキンコロン1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「アイデアル スキンコロン」(高橋東洋堂)です。高橋東洋堂は1893(明治26)年に高橋志摩五郎(1866-1933)氏によって設立された化粧品製造会社です。洋傘のアイデアルとは関係がないようです。

広告「カルノナエー」(1941)

カルノナエー1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「カルノナエー」(山崎昌平商店)です。ブリアンチンとは髪の艶出し油のことで、洗髪後に刷り込みます。

広告「東寳映畫・闘魚」(1941)

闘魚1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より東寳映畫「闘魚」(島津保次郎監督)です。写真は右上が櫻町公子さん、左が山根壽子さん、右下が灰田勝彦(1911-1982)さんです。

広告「今日の洋装・ホンダ」(1941)

ホンダ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「今日の洋装・ホンダ」です。この住所は現在、上智大学の一部になっています。戦後焼け野原になっていた四谷駅前を隣接する上智大学が購入し校地を拡張したようです。

広告「靴を活かす靴クリーム・メリウー」(1941)

メリウー1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「靴を活かす靴クリーム・メリウー」です。製造メーカー等不明で現在は存在しないブランドのようです。

広告「ナルビー・水白粉・粉白粉・クリーム」(1941)

ナルビー1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「ナルビー・水白粉・粉白粉・クリーム」(鈴木福次郎商店)です。イラストと商品名のみのカット広告です。

広告「巧藝社」(1941)

巧藝社1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「巧藝社」です。装飾・看板の会社ですが、場所が日本橋兜町とあります。同名の会社が今も日本橋兜町にありますので、存続している会社のようです。

広告「黄金印蚊やり液」(1941)

黄金印蚊やり液1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「黄金印蚊やり液」(興亞化學産業株式會社)です。工場所在地が山梨県大日町とありますが、詳細は不明です。

広告「婦人洋装・大河内」(1941)

大河内1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「婦人洋装・大河内」です。住所が本郷真砂町とありますので現在の文京区本郷4丁目附近、春日通の真砂坂上バス停付近と思われます。

雑誌記事「日本趣味を行く(その2)」(1941)

日本趣味を行く1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より「日本趣味を行く(その2)」です。写真は番号順にそれぞれ日本舞踊を踊る新生新派の森赫子(1914-1986)さん、編物(日本趣味?)をする東寳舞踊隊の矢田伊津子さん、日本舞踊の東寳舞踊隊の田中千代子さん、習字の新生新派の櫻緋紗子さん、最後は日本古典文学を読む寳塚歌劇(24期生)の鶴萬龜子さんです。

雑誌記事「日本趣味を行く(その1)」(1941)

日本趣味を行く1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より「日本趣味を行く(その1)」です。写真は番号順にそれぞれお琴を奏でる東寳映畫の山田五十鈴さん、三味線の東寳舞踏隊の大木喜代子さん、書道の寳塚歌劇の佐保美代子さん、華道の寳塚歌劇の小夜福子さん、生け花の東寳舞踏隊の葉村みき子さんです。葉村みき子さんはSKD出身で日劇ダンシングチームを経て東寳舞踏隊に入りました。戦後は日本のフラダンスの元祖と呼ばれる葉村みき子舞踊団を主宰します。

広告「風光絶佳・寳塚ホテル」(1941)

寳塚ホテル1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「風光絶佳・寳塚ホテル」です。1926(大正15)年に宝塚市に建てられたホテルです。このホテルと建物は現存していますが、間もなくホテルは移転し、建物は取り壊される予定です。

広告「自宅獨習・タツプの踊り方」(1941)

タツプの踊り方1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「自宅獨習・タツプの踊り方」(新興タツプ聯盟)です。時節柄、体力作りのためと書いてあります。テキストだけですぐにタップダンスが踊れるようになれるそうです。ちなみにこの住所(下谷區上根岸81)、正岡子規(1867-1902)さんの子規庵(下谷區上根岸82)のすぐ近くで、当時の住宅地図によると現在の言問通り寛永寺橋のたもとにあたります。

広告「オドロノ」(1941)

オドロノ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「オドロノ」(平松商會)です。女性用のワキガ・汗止め用です。昔も今も悩みは変わらないようです。

広告「ホルーゲルピアノ」(1941)

ホルーゲルピアノ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「ホルーゲルピアノ」(小野ピアノ店)です。ホルーゲルピアノは1933(昭和8)年に小野好氏によって創業された国産ピアノメーカーで、小野ピアノ店は現在も新横浜駅前で営業しています。看板が駅のホームから見えるので御覧になっている方も多いと思います。

広告「ライトインキ」(1941)

ライトインキ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「ライトインキ」(篠崎インキ製造株式會社)です。篠崎インキ製造は1884(明治17)年に篠崎叉兵衛商店として設立され、インキの製造を行ってきました。戦後倒産し、株式会社ライトとして再出発して現在に至ります。

広告「モトキ」(1941)

モトキ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「モトキ」です。現在も銀座四丁目と七丁目にある1881(明治14)年創業の紳士服の老舗の広告です。のしとネクタイだけでギフトを促しています。

広告「肥り過ぎにアイマー」(1941)

アイマー1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「肥り過ぎにアイマー」(テーケー商會)です。やせ薬の広告が続きます。おそらく今では使えない薬剤だと思われます。まさか数年後にはこんなことを言ってられなくなるとは思いもよらずに。

広告「飲むと痩せる美容剤」(1941)

飲むと痩せる美容剤1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「飲むと痩せる美容剤」(合資會社メーグル商會)です。所謂ホルモン剤のようですが、安全無害をうたっていてもかなり怪しげです。

広告「テルミー・セルフトーン」(1941)

テルミー1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「テルミー・セルフトーン」(テルミー化粧品)です。女性向け化粧水の広告です。

雑誌「東宝・創刊九十號記念七月號(中表紙)」(1941)

東宝中表紙1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内のグラビアページと本文を分ける中表紙です。「宝」の字が簡略体で書いてあります。素朴なペン画です。

雑誌記事「緑波一座だより」(1941)

緑波一座だより1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より「緑波一座だより」です。写真上は名古屋寳塚劇場前で「ロッパ花詩集」公演中の古川緑波さんと岸井明さんです。写真右下は東山公園でくつろぐ藤リエ子さん、左下は名古屋寳塚劇場前の高杉妙子(1919-1994)さんです。古川緑波(ロッパ)(1903-1961)さんは男爵家の六男として東京に生まれ、養子に出されて早大高等学院から早稲田大学に進学するも中退し在学中から入社していた文藝春秋社で編集者になりました。その後喜劇役者に転向し人気俳優となりました。

広告「パピリオ」(1941)

パピリオ1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「パピリオ・粉白粉・頬紅・口紅・クレーム」です。企業名や商品情報の一切ないブランド広告ですが、伊東胡蝶園の化粧品ブランドです。戦後株式会社パピリオと改称し、帝人、アサヒペン、ツムラを経て現在商標権を持つパピリオ株式会社に至ります。

雑誌記事「夏の表情(その2)」(1941)

夏の表情1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より「夏の表情」(その2)です。芝にあった東寳寄宿舎における寳塚の女優さん達のオフショットです。写真は右から25期生の宮川五十鈴さん、豊邦康子さん、奈和八千代さん、24期生の美船園子さん、雲井千草さんです。

雑誌記事「夏の表情(その1)」(1941)

夏の表情1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より「夏の表情」(その1)です。寳塚の女優さん達のオフショットです。写真上は右より寳塚26期生の月春子さん、佳川曜子さん、28期生の諏訪洋子さん、27期生の松風浦子さんです。写真右下は右から寳塚歌劇26期生の田毎かつらさん、白峯比良子さん、巴美保子さんです。写真左下は寳塚歌劇18期生の難波章子さんです。

広告「マーク井ス口紅」(1941)

マーク井ス口紅1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「マーク井ス口紅」(株式會社平山化粧品部)です。この化粧品ブランドや会社に付いては良くわかりませんでした。

雑誌記事「寳塚歌劇雪組・弓張月」(1941)

宝塚歌劇雪組・弓張月1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の記事より寳塚歌劇雪組「弓張月」です。右上が糸井しだれ(1919-1945)さん、右下が千村克子さん、左が春日野八千代さんと三代あづささんです。

広告「ナルビー・ウヰッチヘーゼル水」(1941)

ナルビー1941july

 1941(昭和16)年7月発行の雑誌「東寳」創刊九十號記念七月號(東寳文藝課)内の広告より「ナルビー・ウヰッチヘーゼル水」(鈴木福次郎商店)です。ニキビ予防をうたった化粧水です。
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