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雑誌記事「リタアン・オヴ・ピイタア・グリム」(1927)

The Return of Peter Grimm 1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「フオツクス新映畫・リタアン・オヴ・ピイタア・グリム」です。1926年公開のフォックス映画"The Return of Peter Grimm"(Victor Schertzinger監督)の場面写真です。主演はアレツク・フランシス"Alec B. Francis"(1867–1934)さん、女優はジヤネツト・ゲイナア"Janet Gaynor"さんです。
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雑誌記事「歐洲市場より(その2)」(1927)

欧州市場より(その2)1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「歐洲市場より」(その2)です。ウーファ映畫「フロレンツのヴアイオリンひき"Der Geiger von Florenz"」(Paul Czinner監督)より、コンラツド・フアイト"Conrad Veidt"さんとエリザベエト・ベルグナア"Elisabeth Bergner"(1897–1986)さんです。

雑誌記事「歐洲市場より(その1)」(1927)

欧州市場より(その1)1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「歐洲市場より」(その1)です。写真右上がフランス映画「心の鬼"Le diable au coeur"」(Marcel L'Herbier監督)のヂアツク・カトラン"Jaque Catelain"(1897–1965)さんとベテイ・バルフオ"Betty Balfour"(1903–1977)さんです。写真左上がフェープス映畫「人は愛を以て語るべし"Man spielt nicht mit der Liebe"」(Georg Wilhelm Pabst監督)よりリリー・ダミタ"Lili Damita"(1904–1994) さんです。 写真下はフェープス映畫「スケエトにて走る男ダグフイン"Dagfin"」(Joe May監督)よりマリイ・ジオンソン"Mary Johnson"(1896–1975)さんとパウル・リヒタア"Paul Richter"(1895–1961)さんです。

雑誌グラビア「アイリーン・リツチ"Irene Rich"」(1927)

アイリーン・リッチ1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「アイリーン・リツチ"Irene Rich"」さんです。アイリーン・リッチ"Irene Rich"(1891–1988) さんは米国ニューヨーク州生まれ、家族でカリフォルニアに移住した後、結婚してアルバイトで映画のエキストラをやっていたところ、頭角を現してスターになりました。ラジオ、テレビ、舞台と活躍の場を広げ、戦後まで活躍しました。

雑誌記事「例月スナツプ集(その2)」(1927)

例月スナップ集(その2)1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「例月スナツプ集」(その2)です。写真上がパテー映画「キング・オヴ・キングス"The King of Kings"」を監督するドミーユ監督です。ドミーユことセシル.B.デミル"Cecil B. DeMille"(1881–1959)さんは米国マサチューセッツ州生まれ、演劇学校に学び1900(明治33)年に舞台俳優としてデビュー、その後草創期のハリウッドで監督をするようになり、後に大作主義監督となりました。 写真右下はサイレント期の名脚本家ベス・メレデイス"Bess Meredyth"(1890-1969)さんと後に脚本家となるその息子ジョン・メレディス・ルーカス"John Meredyth Lucas"(1919–2002)さんです。写真左下は俳優のリチアド・バアセルメス"Richard Barthelmess"(1895-1963)さんです。

雑誌記事「例月スナツプ集(その1)」(1927)

例月スナップ集(その1)1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「例月スナツプ集」(その1)です。写真上がフランスの俳優ヂアツク・カトラン"Jaque Catelain"(1897–1965)さんと監督のマルセル・レルビエ"Marcel L'Herbier"(1888–1979)さんと女優のマルセル・プラドオ"Marcelle Pradot"(1901–1982)さんです。右がMGMの女優、カァメル・マイヤアス"Carmel Myers"(1899–1980)さんです。下がノオマ・シャアラア"Norma Shearer"さんです。

雑誌グラビア「コンラツド・フアイト"Conrad Veidt"」(1927)

コンラート・ファイト1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「コンラツド・フアイト"Conrad Veidt"」さんです。コンラート・ファイト"Conrad Veidt"(1893-1943)さんはドイツ・ベルリン生まれ、1919(大正8)年にドイツ表現主義の名作「カリガリ博士」のチェザーレを演じ有名になりました。ナチス政権に反対し、1933(昭和8)年にイギリスに移住し帰化、その後ハリウッドに移り、1942(昭和17)年に「カサブランカ」でシュトラッサー少佐を演じましたが、ゴルフのプレー中に心臓発作で亡くなりました。

雑誌グラビア「ミルナ・ロオイ"Myrna Loy"」(1927)

マーナ・ロイ1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「ミルナ・ロオイ"Myrna Loy"」さんです。良妻賢母化する前の妖婦"Vamp"時代のマーナ・ロイさんです。

雑誌グラビア「グレタ・ニッセン"Greta Nissen"」(1927)

グレタ・ニッセン1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「グレタ・ニツセン"Greta Nissen"」さんです。グレタ・ニッセン"Greta Nissen"(1905-1988)さんはノルウェー・オスロ生まれ、バレリーナとしてノルウェーの国立劇場でデビューし、その後ノルウェーやデンマークの映画に出演し、ハリウッドに進出しますが、トーキー化に伴い映画界を引退しました。

雑誌グラビア「アドルフ・マンヂユウ"Adolphe Menjou"」(1927)

アドルフ・マンジュー1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「アドルフ・マンヂユウ"Adolphe Menjou"」さんです。彼はフランス人とアイルランド人の血を引くアメリカ人俳優ですので、フランス人の役が似合います。

雑誌記事「米國映畫新作紹介(その2)」(1927)

米国映画新作1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「米国映畫新作紹介(その2)」です。上がP.D.C.作品「フオア・アリモニー・オンリー」"For Alimony Only"(William C. de Mille監督)よりリアトリス・ジョイ"Leatrice Joy"(1893–1985)さんとクライヴ・ブルツク"Clive Brook"(1887–1974)さんです。中がP.D.C.作品「ブロードウエーの西」"West of Broadway"(Robert Thornby監督)よりプリシラ・デイン"Priscilla Dean"(1896–1987)さんとウオルタア・ロング"Walter Long"(1879–1952)さんです。下がP.D.C.作品「コーポラル・ケート」"Corporal Kate"(Paul Sloane監督)よりヴエラ・レイノルズ"Vera Reynolds"(1899–1962)さんとケネス・トンプソン"Kenneth Thomson"(1899–1967)さんです。

雑誌記事「米國映畫新作紹介(その1)」(1927)

米国映画新作1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「米国映畫新作紹介(その1)」です。上がMGM作品「ウーちやん」"Mr.Wu"(William Nigh監督)より謎の中国人ロン・チェニー"Lon Chaney"(1883–1930)さんです。中はパテー作品「ラジエディ・ローズ」"Raggedy Rose"( Richard Wallace監督)よりメェッル・ノオマンド"Mabel Normand"(1892–1930)さんとマツクス・デヴイズスン"Max Davidson"(1875–1950)さんです。下はF.N作品「マクフアデン・フラツヅ」"McFadden's Flats"(Richard Wallace監督)よりチアーリー・マアレー"Charlie Murray"(1872–1941)さんとアギー・ヘーリング"Aggie Herring"(1876–1939)さんです。

雑誌挿絵カット集(1927)

挿絵カット集1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事に添えられたイラストカット集です。当時の「ゴールデン・エイジ」風の雰囲気が良く伝わってきます。

雑誌グラビア「ヴアジニア・ヴアリ"Virginia Valli"」(1927)

ヴァージニア・ヴァリ1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「ヴアジニア・ヴアリ」"Virginia Valli"(1898-1968)さんです。米国イリノイ州シカゴ生まれで、10代からシカゴの映画に出演し、無声映画時代のハリウッドで活躍しましたが、トーキー化と前後して映画界から引退しました。

雑誌グラビア「ロナルド・コオルマン"Ronald Colman"」(1927)

ロナルド・コールマン1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「ロナルド・コオルマン"Ronald Colman"」さんです。日本では彼のトレードマークのこのタイプの口ひげを「コールマン髭」と言う様になり定着しました。

雑誌記事「フオツクス映畫・音樂教師」(1927)

音楽教師1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「フオツクス映畫・音樂教師」"The Music Master"(Allan Dwan監督)の一場面です。写っているのはアレック・フランシス"Alec B. Francis"(1867-1934)さんとロイス・モラン"Lois Moran"さんです。

雑誌グラビア「ロイス・モオラン"Lois Moran"」(1927)

ロイス・モラン1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)内の記事より「ロイス・モオラン」さんです。ロイス・モラン"Lois Moran"(1909-1990)さんは米国ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれの映画女優です。作家のフィッツジェラルドさんと不倫関係にあったことで有名です。

広告「日活超特作時代劇・大久保彦左衛門」(1927)

大久保彦左衛門1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)の裏表紙裏広告より「日活超特作時代劇・大久保彦左衛門」(池田富保監督)です。主演は時代劇なのに背広姿で広告に写っている山本嘉一さんです。この作品は日活大将軍撮影所で製作された無声映画です。

広告「パラマウント社特作喜劇・猿飛勘太」(1927)

猿飛勘太1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)の表紙裏広告より「パラマウント社特作喜劇・猿飛勘太」"Kid Boot's"( Frank Tuttle監督)です。いわゆる典型的なジークフェルド"Ziegfeld"プロデュースの喜劇映画で、主演はエデイー・カンター"Eddie Cantor"(1892-1964)氏、共演がクララ・ボウ"Clara Bow"嬢、ビリー・ドーヴ"Billie Dove"嬢、ローレンス・グレイ"Lawrence Gray"氏です。カンター主演だから「猿飛勘太」とは...おかしな邦題は無声映画時代からの伝統だったのですね。

広告「日活超特作品・椿姫」(1927)

椿姫1927apr

 1927(昭和2)年4月発行の雑誌「映畫世界」四月號(映畫世界社刊)の裏表紙広告より「日活超特作品・椿姫」(村田實監督)です。フランスの文豪デュマ(小)の原作を翻案した作品で、主演が岡田嘉子さんと竹内良一さんとあって、広告写真もその通りなのですが、この雑誌の出た直後の3月27日にこの二人は駆け落ち事件を起こし降板(その後結婚)、急遽代役として夏川静江さんと東坊城恭長さんが立てられ5月に公開されましたが映画自体は不評でした。

広告「家庭染料・みや古染」(1939)

家庭染料みや古染1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」内の広告より「家庭染料・みや古染」(株式會社桂屋商店)です。桂屋商店は1890(明治23)年に東京日本橋で創業された染料店で、現在も桂屋ファイングッズ株式会社として存続しており、「みや古染」もまだ商品ラインナップに残っています。まだ日米開戦の3年近く前ですが、純毛や純綿がなくなるとか、國策商品とか広告内容がキナ臭くなって来ています。「愛せよ物資!節せよ消費!この一瓶国富の基」

雑誌記事「職業婦人向に選んだ春のスタイル」(1939)

職業婦人に選んだ春のスタイル1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「職業婦人向に選んだ春のスタイル」です。モデルは(1)と(4)が高峰三枝子さん、(3)が相良美代子さん、(2)が日劇ダンシングチームの國分ミサヲさんです。

雑誌記事「一番評判のよい男女小學生の通學服」(1939)

一番評判のよい男女小学生の通学服1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「一番評判のよい男女小學生の通學服」です。小学生用なので普通は制服はありませんが、制服風に仕立ててあります。(3)の服はセーラー服ですが、ワンピース仕立てになっています。

雑誌記事「女學生好みのダアビン服と子供帽子二種」(1939)

女学生好みのダアビン服と子供帽子二種1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「女學生好みのダアビン服と子供帽子二種」です。モデルを表紙に引き続き高峰秀子さんが勤めています。ダアビン服とは映画「オーケストラの少女」でディアナ・ダービンさんが着ていた襟付きワンピースのようです。

広告「S式高速度手編器・生徒大募集」(1939)

日本編物製造株式會社1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」内の広告より「S式高速度手編器・生徒大募集」(大日本編物研究所講師養成所)です。手編み器の前で微笑んでいるのは水戸光子さんです。

雑誌記事「堅實なスタイルの婦人・女學生用ブラウスと帽子」(1939)

堅実なスタイルの婦人・女学生用ブラウスと帽子1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「堅實なスタイルの婦人・女學生用ブラウスと帽子」です。写真のモデルは上段が自分の作品を身につけた相良美代子さん、下段が横山百合子さんです。

雑誌記事「男物三種と女兒物一種の春向毛絲編物」(1939)

男物三種と女兒物一種の春向毛絲編物1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「男物三種と女兒物一種の春向毛絲編物」です。一人だけ大人のモデルは映画俳優の月田一郎さんです。

雑誌記事「春の女兒用ハーフコートと帽子とスウェーター」(1939)

春の女兒用ハーフコートと帽子とスウェーター1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「春の女兒用ハーフコートと帽子とスウェーター」です。子供服だからこそか、色使いもデザインもモダンです。

雑誌記事「幼稚園通ひに可愛い子供服三種」(1939)

幼稚園通いに最適1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「幼稚園通ひに可愛い子供服三種」です。現在でも通用しそうなモダンな園児服です。

雑誌記事「輕快なロンパースと女兒ドレス」(1939)

ロンパースと女児ドレス1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の記事より「輕快なロンパースと女兒ドレス」です。モデルは井上とも子さんと江川和子さんです。生きていらっしゃれば現在80歳くらいでしょうか。
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