広告「ドレスメーカー女學院」(1939)

ドレスメーカー学院1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の表紙裏広告より「ドレスメーカー女學院」です。現在もドレスメーカー学院として同じ場所に存在します。1926(大正15)年に杉野芳子(1892-1978)さんによって設立され、日本最初のデザイナー養成科設立やファッションショーを開催したりしました。
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広告「洋裁と手藝の無料講習・蛇の目ミシン」(1939)

蛇の目ミシン1939mar

 1939(昭和14)年発行の雑誌「主婦之友」三月號の別冊附録、主婦之友附録「春の新型編物と流行服の作方」の表紙裏広告より「洋裁と手藝の無料講習」(蛇の目ミシン)です。モデルは原節子さんです。1921(大正10)年に東京滝野川に設立されたパインミシン裁縫機械製作所は現在、蛇の目ミシン工業株式会社となり世界最大のミシンメーカーですが、この広告の当時は帝國ミシン株式會社と名乗っていました。

雑誌挿絵「闇を縫ふ魔影・挿繪:矢島超二【その3】」(1937)

闇を縫う魔影1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「闇を縫ふ魔影」(挿繪:矢島超二)【その3】です。笠原洋一さんの文章に矢島超二さんが挿絵を描きました。強盗犯の素性がばれて逃げようとしたところに警官が殺到している場面です。

雑誌挿絵「闇を縫ふ魔影・挿繪:矢島超二【その2】」(1937)

闇を縫う魔影1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「闇を縫ふ魔影」(挿繪:矢島超二)【その2】です。笠原洋一さんの文章に矢島超二さんが挿絵を描きました。強盗犯が顔見知りの村役場の書記と出くわしてしまい襲いかかったところです。

雑誌挿絵「闇を縫ふ魔影・挿繪:矢島超二」(1937)

闇を縫う魔影1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「闇を縫ふ魔影」(挿繪:矢島超二)です。笠原洋一さんの文章に矢島超二さんが挿絵を描きました。

雑誌挿絵「悲戀紅の騎手・挿繪:小林秀恒【その2】」(1937)

悲恋紅の騎手1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「悲戀紅の騎手」(挿繪:小林秀恒)【その2】です。富田常雄さんの文章に小林秀恒さんが挿絵を描きました。主人公の横浜にあった根岸競馬場の騎手が伊勢佐木町のカフェーで管を巻いています。根岸競馬場跡は現在根岸森林公園となっていますが、スタンドの一部は保存されています。

雑誌挿絵「悲戀紅の騎手・挿繪:小林秀恒」(1937)

悲恋紅の騎手1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「悲戀紅の騎手」(挿繪:小林秀恒)です。富田常雄(1904-1967)さんの文章に小林秀恒(1908-1942)さんが挿絵を描きました。富田さんは東京生まれ、明治大学を卒業後小説家となりました。1942(昭和17)年に発表した「姿三四郎」で人気小説家となります。小林さんは東京下谷生まれ、日本画家を目指しますが挿絵画家となりました。シルクハットにマスクにマントという怪人二十面相のビジュアルを作り上げた人です。

雑誌挿絵「怪盗まぼろし小僧・挿繪:高木清【その3】」(1937)

怪盗まぼろし小僧1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「怪盗まぼろし小僧」(挿繪:高木清)【その3】です。高橋定敬さんの文章に高木清さんが挿絵を描きました。二人の探偵(=私服警官)が容疑者を捕縛する場面です。当時私服で捜査する警察官を探偵と言っていました。まるで岡っ引きが洋風の帽子を被っているようです。

雑誌挿絵「怪盗まぼろし小僧・挿繪:高木清【その2】」(1937)

怪盗まぼろし小僧1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「怪盗まぼろし小僧」(挿繪:高木清)【その2】です。高橋定敬さんの文章に高木清さんが挿絵を描きました。東京市内のお屋敷を荒し回る怪盗が金品のみならず、若い女性を覗いてスケッチする場面です。後にそのスケッチを下に匿名氏作の女性像が展覧会に出品されます。

雑誌挿絵「怪盗まぼろし小僧・挿繪:高木清」(1937)

怪盗まぼろし小僧1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「怪盗まぼろし小僧」(挿繪:高木清)です。高橋定敬さんの文章に高木清(1910-1988)さんが挿絵を描きました。高木さんは愛知県一宮市生まれ、小学校卒業後看板書き等をしながら伊東深水氏に師事、1934(昭和9)年に菊池寛氏に認められて雑誌に挿絵を描くようになりました。

雑誌挿絵「軍國愛の人杖・挿繪:伊藤幾久造」(1937)

軍國愛の人杖1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「軍國愛の人杖」(挿繪:伊藤幾久造)です。竹田敏彦(1891-1961)さんの文章に伊藤幾久造(1901-1985)さんが挿絵を描きました。竹田さんは香川県多度津生まれ、早稲田大学中退後、記者を経て人気作家となりました。伊藤さんは東京生まれ、伊東深水氏に日本画を学び、人気挿絵画家となりました。

雑誌挿絵「無人島の處女・挿繪:吉邨二郎」(1937)

無人島の處女1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「無人島の處女」(挿畫:吉邨二郎)です。佐山英太郎さんの文章に吉邨二郎(1899-1942)さんが挿絵を描きました。「佐山英太郎」は小説家の岩崎榮(1891-1973)さんの当時の筆名です。

雑誌挿絵「殺人鬼は夫か妻か・挿畫:佐藤松華」(1937)

殺人鬼は夫か妻か1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「殺人鬼は夫か妻か」(挿畫:佐藤松華)です。楠瀬正澄さんの文章に佐藤松華さんが挿絵を描きました。両者とも昭和戦前期の雑誌等に良く掲載されています。

雑誌挿絵「若妻の放火事件・挿畫:伊勢良夫」(1937)

若妻の放火事件1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「若妻の放火事件」(挿畫:伊勢良夫)です。塚崎直義(1881-1957)さんの文章に伊勢良夫(1905-1987)さんが挿絵を描きました。塚崎さんは大分県出身で当時東京弁護士会の会長を勤める弁護士であり、戦後は最高裁判所の判事も務めました。伊勢さんは当時水彩画家として多くの挿絵を描いていました。

雑誌挿絵「監獄部屋で消えた女・挿畫:富永謙太郎」

監獄部屋で消えた女1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)内の挿絵「監獄部屋で消えた女」(挿畫:富永謙太郎)です。寺島柾史(1893-1952)さんの文章に富永謙太郎(1904-1985)さんが挿絵を描きました。寺島さんは北海道根室生まれで、建築家を目指して上京し、工手学校に通いますが小説家となりました。富永さんは静岡県出身で画家を目指して上京し菊池寛氏の新聞小説で挿絵画家としてデビューし、人気挿絵画家となりました。

雑誌中表紙「怪奇探偵情話美談・最近實話集」(1937)

最近實話集1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)の中表紙です。「実話」の実が表紙では実という簡略体ですが、中表紙では實という旧字体になっています。いかにもそれらしいカットのイラストレーターの名前は特に示されていません。

雑誌口絵「北満の娘子軍・林唯一畫」(1937)

北満の娘子軍1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)の巻頭口絵「北満の娘子軍」(林唯一畫)です。木村荘十(1897-1967)氏作の文章の挿絵です。実話と銘打っているだけあって、この絶体絶命のお二人が助かるかというと...。木村荘十さんは東京深川で牛鍋チェーンいろはの経営者木村荘平さんの妾腹の十男として生まれ、慶應大学中退後、満州に渡って新聞記者として働き、帰国後は小説家となり、1941(昭和16)年には直木賞を受賞します。画家の木村荘八さんや映画監督の木村荘十二さんは異母兄弟です。

広告「ウテナクリーム」(1937)

ウテナクリーム1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)の裏表紙の広告「ウテナ・バニシング・雪印・クリーム」(久保政吉商店)です。久保政吉(1890-1947)さんはウテナ美白液を販売するために1927(昭和2)年に久保政吉商店を創業しました。現在も株式会社ウテナとして存続しています。

雑誌附録「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(1937)

講談倶楽部最近実話集1937jan

 1937(昭和12)年1月発行の講談倶樂部新年號附録・「怪奇探偵情話美談・最近実話集」(大日本雄辯會講談社)の表紙です。雑誌「講談倶楽部」は1911(明治44)年に大日本雄辯會から講談速記を中心とした雑誌として創刊され、講談社の名前もその頃から使われ始めました。太平洋戦争中の休刊を挟んで1962(昭和37)年まで発行されていました。

広告「テルミーウヰルフレッド粉白粉」(1939)

テルミー化粧品1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の広告より「テルミーウヰルフレッド粉白粉」(テルミー化粧品本舗)です。創業者の山本鈴子氏が学んだウヰルフレッド美容大學とは現在も米国ニューヨークにあるWilfred Academyで、現在もカリスマ美容師を輩出しています。

雑誌記事「春の雲−北見禮子に捧ぐ歌−」(1939)

春の雲1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「春の雲−北見禮子に捧ぐ歌−」(藤浦洸)です。この頃松竹下加茂所属の北見禮子さんのことを歌っています。作者の藤浦洸(1898-1979)さんは長崎県平戸生まれ、同志社大を中退後、慶應大学文学部を卒業、在学中から作詞や少女小説の執筆を始め、卒業後はコロムビアレコード等で多くの流行歌の作詞を手がけました。戦後も活躍を続け、特に美空ひばりさんの初期ヒット曲に歌詞を提供したことでも有名です。

雑誌記事「橘公子」(1939)

橘公子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「橘公子」さんです。橘公子(1921-)さんは和歌山市生まれ、幼くして両親を亡くし遠縁の日活関係者の養女となり、東京の青山学院高等女学部に入学、ところが1936(昭和11)年に養父の勧めで日活多摩川から映画デビューしたところ退学させられました。その後日活の現代劇で活躍した後、京都に移籍して時代劇スターとなりました。戦後はテレビ等でも活躍しました。

雑誌記事「『土』のクライマツス」(1939)

「土」のクライマックス(1939)

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「『土』のクライマツス」です。1939(昭和14)年4月に公開された日活多摩川製作の「」(内田吐夢監督)の撮影シーンです。(1)映画のクライマックスを飾る主人公宅セットの火災シーン。3年以上撮り続けた作品に使用し続けたセットだけに感慨もひとしおだそうです。(2)(3)むしろに包まっているのが小杉勇さんと風見章子さんです。リボン付き中折れ帽に白ジャンパーが内田吐夢監督です。

雑誌記事「スタデオは大騒ぎ」(1939)

スタジオは大騒ぎ1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「スタデオは大騒ぎ」です。(1)新興東京の戸川純子さんと若草ゆりさんです。(2)日活京都撮影所近くの喫茶店「元禄」前で左から江川宇禮雄さん、荒井良平監督、辻吉郎監督です。(3)日活京都「王政復古」の左から阪東妻三郎さん、池田富保監督、嵐寛壽郎さん、片岡千恵蔵さんです。(4)東寳「船出は愉し」寳塚ロケの左から江戸川蘭子さん、子役、椿澄枝さん、木下陽さんです。(5)松竹大船撮影所内でくつろぐ三井秀男さん、笠智衆さん、上山草人さん、大山健二さん、岡村文子さんです。(6)キネマ旬報の鈴木重三郎さんの満州転勤送別会で、高田せい子さん、英百合子さん、田村道美さん、杉山昌三九さん、中野英治さんです。(7)東寳東京「樋口一葉」栃木市役所ロケの山田五十鈴さん、並木鏡太郎監督、一人置いて技師の町井春美さんです。(8)ホテルニューグランドで行われた日本映画監督協会賞表彰式です。(9)日活京都「王政復古」の川浪良太郎さん、小杉勇さん、志賀靖郎さんです。(10)新興東京「侠演録」の山路ふみ子さんです。(11)松竹京都「月形半平太」(大曽根辰夫監督)が衣笠貞之助氏宅の庭でロケされました。坂東好太郎さんに演技を付ける衣笠貞之助さんです。(12)新興京都でカメラを向ける大友柳太郎さんとポーズをとる南條新太郎さんと舟波邦之助さんです。(13)左から菊田一夫さん、清川虹子さん、平井房人さん、竹久千恵子さん、渡邊篤さん、霧立のぼるさん、斎藤寅次郎さん、一人置いて友成達雄さんです。(14)左から映画の友編集部の大黒東洋士さん、映画世界社の橘弘一路主幹、日活東京の蘆田所長、田坂具隆監督、伊佐山技師です。

雑誌記事「日暮里子」(1939)

日暮里子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「日暮里子」さんです。日暮里子(1916-)さんは青森県八戸生まれ、1938(昭和13)年に日活多摩川からデビューしたばかりです。

雑誌記事「納税報國・杉浦幸雄」(1939)

納税報國1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「納税報國」(杉浦幸雄)です。訪問記者「失禮ですけど、あなたの着物は非常時らしくない贅澤なものでなア」女優さん「ハア、ふつつか乍ら、納税報國をさせていたゞいてます」。事変が泥沼化し、経済統制が叫ばれ始めます。作者の杉浦幸雄(1911-2004)さんは東京本郷生まれ、郁文館中学在学中から本郷絵画研究会で学び、一時期役者を目指しますが、1931(昭和6)年にアサヒグラフから漫画家としてデビュー、その後「ハナ子さん」等の連載で戦後まで人気を博しました。

雑誌記事「キンシユク・小野佐世男」(1939)

キンシュク1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「キンシユク」(小野佐世男)です。「撮影所も緊縮で、衣裳までもセツトの様に前だけになりました。アラ、とても涼しいわよ。」だそうです。まだこういうことも笑い飛ばせる余裕が感じられます。小野佐世男(1905-1954)さんは横浜市生まれ、私立赤坂中学(現:日大三高)から東京美術学校(現:東京藝術大学)に入学し、在学中から漫画を投稿、その後プロの漫画家となりました。

広告「松竹大船特作映画『春雷』」(1939)

春雷1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の広告より松竹大船特作映画「春雷」(佐々木啓祐監督)です。写真は主役の川崎弘子さんです。この映画は川崎さんの大幹部待遇昇進記念映画だそうです。キャストは松竹オールスターになっています。

雑誌グラビア「江川宇禮雄」(1939)

江川宇禮雄1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「江川宇禮雄」さんです。ハーフのイケメン俳優として、この頃は日活で活躍していました。
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