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雑誌記事「新作日本映画の展望」(1939)

新作日本映画の展望1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「新作日本映画の展望」です。写真は(1)松竹大船「女の風俗」(清水宏監督)より左から春日英子さん、徳大寺伸さん、飯田蝶子さんです。(2)日活東京「妻の友情」(伊賀山正徳監督)より山本禮三郎さん、近松里子さん、潮萬太郎(1909-2000)さんです。(3)東寳東京「裸の教科書」(渡邊邦男監督)より佐伯英男さん、霧立のぼるさん、中村英雄(1917-1943)さんです。(4)新興東京「若き日の凱歌(JMDBでは「若き日の感激」)」(高木孝一監督)より菅井一郎(1907-1973)さん、草島競子さん、井上清さんです。(5)松竹京都「親戀道中」(廣瀬正明監督)より鹽田チャー坊さん、高田浩吉さん、毛利峰子さんです。(6)日活東京「露営の灯」(富岡捷監督)より伊澤一郎(1912-1995)さんと村田知英子さんです。(7)松竹大船「春雷」(佐々木啓祐監督)より夏川大二郎さんと木暮實千代さんです。(8)日活京都「股旅の唄」(松田定次監督)より澤村國太郎(1905-1974)さんと香住佐代子(1917-)さんです。(9)新興東京「家なき娘」(伊奈精一監督)より美鳩まりさんと大井正夫(1902-?)さんです。(10)松竹京都「兩國梶之助」(冬島泰三監督)より川浪良太郎さんと伏見信子さんです。(11)新興京都「阿波狸合戦」(壽々喜多呂九平監督)より羅門光三郎さんと高山廣子さんです。
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雑誌記事「戦ふ俳優」(1939)

戦ふ俳優1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「戦ふ俳優」です。新興京都の大谷日出夫さんと松竹京都の川浪良太郎さんの背広姿の立ち回りです。川浪良太郎(1910-1947)さんは兵庫県明石生まれ、明石中学を卒業後劇団を立ち上げますがすぐに解散し、その後松竹に入社します。時代劇スターとなりますが、日米開戦で時代劇が作りにくくなり地方巡業劇団に転身、戦後間もなく亡くなりました。

雑誌グラビア「眞山くみ子」(1939)

眞山くみ子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「眞山くみ子」さんです。新興キネマから大映へと戦後まで地道に活動していました。

雑誌記事「青い湖−美鳩まりのために」(1939)

青い湖1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「青い湖−美鳩まりのために」(野長瀬正夫)です。新興キネマの美鳩まりさんに寄せた詩人の野長瀬正夫(1906-1984)さん作の詩の一部です。野長瀬さんは奈良県十津川生まれ、中学校卒業後、教員や編集者をしながら詩や児童文学を書いていました。

雑誌グラビア「高田浩吉」(1939)

高田浩吉1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「高田浩吉」さんです。この年、溝口健二監督の「殘菊物語」に出演しますが、間もなく召集され戦地に赴きます。

広告「銀座屋ア・ラ・モード」(1939)

銀座屋ア・ラ・モード1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の広告より「銀座屋ア・ラ・モード」です。この頃の雑誌に多く見られた、銀座にあった通信販売店の銀座屋の広告です。ハンドバッグ、財布、コンパクト、帯留め等です。

雑誌グラビア「三浦光子」(1939)

三浦光子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「三浦光子」さんです。まだデビュー一年目の22歳ですが、巻頭グラビアを飾っています。

雑誌記事「スターの友情譜」(1939)

スターの友情1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「スターの友情譜」です。ワイルドが売りの大日方傳さんのお宅を超二枚目の上原謙さんが訪問しています。モダンな洋館で自家用車もあります。

広告「新興キネマ陽春の二大作品」(1939)

女の魂・吉野勤王党1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の広告より「破竹・新興キネマ陽春の二大作品」です。右が「女の魂」(久松静兒監督)で、写真は淡島みどりさんと眞山くみ子さんです。日本映画界初の「ファン企画映画」だそうです。左は「吉野勤王党」(森一生監督)で写真は主演の市川右太衛門さんです。

雑誌グラビア「三宅邦子」(1939)

三宅邦子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「三宅邦子」さんです。まだ23歳の頃ですが、この写真では既に戦後にご活躍された時の貫禄が感じられます。

雑誌グラビア「市川右太衛門」(1939)

市川右太衛門1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「市川右太衛門」さんです。当時新興キネマの大スターです。

雑誌記事「花の季節」(1939)

花の季節1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「花の季節」です。写真は右上が大阪松竹少女歌劇から移籍して来た新興キネマ京都の松浦妙子さん、左中が東寳の若原春江さん、下が松竹の桑野通子さんです。

雑誌グラビア「花井蘭子」(1939)

花井蘭子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「花井蘭子」さんです。この頃は東寳所属の女優です。

雑誌記事「川崎弘子全集」(1939)

川崎弘子全集1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「川崎弘子全集」です。女優の川崎弘子さんの分析のようなことをしています。お着物はスキャンダラスな結婚で有名になった夫君が横浜の野澤屋デパート仕立てた物だそうです。

雑誌グラビア「轟夕起子」(1939)

轟夕起子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「轟夕起子」さんです。寳塚少女歌劇団から日活に移籍して二年目、既に大スターです。

雑誌記事「青春を漕ぐ」(1939)

青春を漕ぐ1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「青春を漕ぐ」です。モデルは日活多摩川撮影所(現在の角川大映スタジオ)所属の不忍鏡子(1919-)さん、姫宮接子さん、田村芙佐子さん、村田知英子さんです。場所は撮影所近くの池とありますが、当時人気遊園地があった京王閣だと思われます。

雑誌記事「無感想・久生十蘭」(1939)

無感想・久生十蘭1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「無感想・久生十蘭」です。グラビアページと記事を区切る中表紙になっていて、イラストは入江たか子さんです。久生十蘭(1902-1957)さんは函館生まれ、旧制中学中退後パリに遊学し、演劇等を学び、帰国後演劇の演出等を手がけ、その後小説家となりました。ここでは自作「キャラ子さん」が映画化されるにあたってのエッセイを書いています。小説が映画化されると、その映画は原作者の手を離れるという風潮はおかしいと主張しています。

雑誌グラビア「坂東好太郎」(1939)

坂東好太郎1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「坂東好太郎」さんです。この頃は丁度、下加茂三羽烏として大人気だった頃になります。

広告「花散る校庭・轟夕起子」(1939)

花散る校庭・轟夕起子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の広告より「花散る校庭」(テイチクレコード)です。歌っているのは当時日活スターで歌ではテイチク専属の轟夕起子さんです。作曲者はテイチク移籍第一作となる田村しげる(1908-1980)さんです。田村さんは京都府生まれ、苦学して武蔵野音楽大学を卒業後、作曲家としてビクター、キング、テイチク、コロムビアなどで活躍しました。

雑誌グラビア「山田五十鈴」(1939)

山田五十鈴1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「山田五十鈴」さんです。当時22歳にしてトップ女優の貫禄十分です。

雑誌記事「お菓子の國探検」(1939)

お菓子の国探検1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内の記事より「お菓子の國探検・森永製菓工場見学」です。森永製菓の工場を見学するのは新興キネマの高野由美さんと古川登美さんです。

雑誌グラビア「高峰秀子」(1939)

高峰秀子1939may

 1939(昭和14)年5月に発行された雑誌「映画ファン」(五月特別號)内のグラビア記事より「高峰秀子」さんです。当時まだ15歳ですが既に大人気アイドルとして、この年も9本の映画に出演しています。

雑誌記事「黒を基調とするストリート・アンサンブル」(1936)

ルシル・ボール1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「黒を基調とするストリート・アンサンブル」です。当時流行の長めのスカート丈のファッションです。モデルはいずれもルシル・ボール"Lucille Désirée Ball"さんです。

広告「クラヤ・エレガント」(1936)

クラヤ1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の広告「クラヤ・エレガント・基礎美顔料」です。渋谷区代々木上原にあったクラヤ特殊化粧品本舗の製品です。既に様々なビタミンを配合してお肌に良いと謳っています。

雑誌グラビア「ジーン・シヤトバーン」(1936)

ジーン・チャットバーン1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内のグラビア記事より「ジーン・シヤトバーン」です。ジーン・チャットバーン"Jean Chatburn"(1914–2007)さんは米国ミシガン州生まれ、バーバラ・スタンウィックさんのスタンドインから女優になりました。

広告「サクマ式ドロップス」(1936)

サクマ式ドロップス1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の広告「サクマ式ドロップス」です。日本のキャンディの定番、サクマ式ドロップスは1908(明治41)年に佐久間惣次郎商店から発売されました。佐久間惣次郎商店は1920(大正9)年に佐久間製菓株式會社となり、戦時中の廃業を経て、戦後復活しました。

雑誌記事「歐洲映畫から」(1936)

歐洲映畫から1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「歐洲映畫から」です。写真左上はフランス映画「美しき日」"Les beaux jours"(邦題:みどりの園)(Marc Allégret監督)のシモーヌ・シモン"Simone Simon"さん、中右はドイツ映画「マヅルカ」"Mazurka"(Willi Forst監督)のポーラ・ネグリ"Pola Negri"さんとインゲボルク・テーク"Ingeborg Theek"(1917–2011)さん、左下はフランス映画「最後の戰闘機」"L'Equipage"(Anatole Litvak監督)のアナベラ"Annabella"さんとジャン・ピエール・オーモン"Jean-Pierre Aumont"(1911–2001)さんです。

雑誌小説「一つの幸福(横山薫次畫)」(1936)

一つの幸福・横山美智子・横山薫次畫1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の少女小説「一つの幸福」(横山美智子・横山薫次畫)です。作者の横山美智子(1895-1986)さんは広島県尾道生まれ、高等小学校を卒業後、文学を志して上京し1917(大正6)年に後に児童向けの出版社「キンノツノ」社長となる横山寿篤さんと結婚、1934(昭和9)年に朝日新聞社の懸賞小説に当選して作家デビューし、当選作は映画化される等人気作家となりました。

広告「ハリウッド美容室本店」(1936)

ハリウッド美容室本店1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の広告「ハリウッド美容室本店」です。銀座7丁目にあった美容室で現在はハリウッド株式会社として化粧品を製造販売しています。ハリウッド美容室は1925(大正14)年に牛山清人(1899-1991)さんによって創業されました。美容家として有名なメイウシヤマ(1911-2007)さんは創業者の奥様です。

雑誌記事「幻想の世界」(1936)

幻想の世界・岩松佐和子・八咫屋1936apr

 1936(昭和11)年4月に発行された雑誌「スタアの1番」(スタア・春季臨時増刊)内の記事より「幻想の世界」(岩谷佐和子作・八咫屋)です。人形作家の岩谷佐和子さんと銀座の額縁屋「八咫屋」さんとのコラボレーションによる作品です。
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