
1935(昭和10)年に発行された雑誌「
日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「夏目初子・瀧口新太郎・飯田蝶子」です。写真右上の夏目初子(1918- )さんは山梨県南巨摩郡生まれ、甲府高女を卒業後PCLに入社し、1935(昭和10)年「坊つちゃん」(山本嘉二郎監督)のマドンナ役でデビューし人気を博しますが、1941(昭和16)年に引退しコメディアンの森川信一座等に参加していました。その後の消息は不明です。写真左上は瀧口新太郎(1913-1971)さんです。瀧口さんは東京芝の生まれ、1925(大正14)年に新派の子役としてデビューし、また同年に映画「狂った一頁」(
衣笠貞之助監督)にも出演、松竹蒲田に入社し女優の
岡田嘉子さんとも共演しています。1933(昭和8)年に日活太秦に移籍し、数多くの日活映画に参加してスターとなりました。1942(昭和17)年に戦時統制により大映所属となりますが、陸軍に召集されて満州に派遣、敗戦でシベリア抑留となりましたが、釈放後もソ連に残り海外向けラジオ局で日本語アナウンサーとして働き、1950(昭和25)年に戦前にソ連に亡命していた女優の
岡田嘉子さんと結婚し、モスクワで亡くなりました。下は飯田蝶子(1897-1972)さんです。飯田さんは東京浅草生まれ、上野高女を中退後、松坂屋に勤めますが女優を志して演劇界に入ります。その後1922(大正11)年に松竹蒲田に入社し、最初から脇役老け役で地位を築き戦後まで大女優として活躍しました。