雑誌記事「上原謙・琴糸路・高田浩吉」(1935)

上原謙・琴糸路・高田浩吉1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「上原謙・琴糸路・高田浩吉」です。写真は上右がデビューしたての上原謙さん、その左が琴糸路さん、下が高田浩吉さんです。高田さんはこの年にレコードを出して歌手デビューも果たしており、歌う映画俳優の走りです。
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広告「井筒ポマード」(1935)

井筒ポマード1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」内の広告より「井筒ポマード」(井筒藥粧)です。ポマードを付ける人をデザイン化した、非常にモダンなデザインだと思います。

雑誌グラビア「林長二郎」(1935)

林長二郎1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「林長二郎」さんです。即ち後に東宝に移籍して長谷川一夫さんになる方です。この頃はまだ松竹所属で、特に女性に絶大な人気がありました。

雑誌グラビア「田中絹代」(1935)

田中絹代1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「田中絹代」さんです。デビュー10年目、丁度「春琴抄」(島津保次郎監督)などに主演していた、人気絶頂期です。

雑誌グラビア「坂東好太郎」(1935)

坂東好太郎1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「坂東好太郎」さんです。坂東好太郎(1911-1981)さんは東京神田で十三代目守田勘弥の息子として生まれ、歌舞伎界から1931(昭和6)年に日活下加茂撮影所に入社し映画俳優に転じました。妻はこの頃同じ撮影所で共演していた飯塚敏子さんです。林長二郎さんと高田浩吉さんと並んで下加茂三羽烏と呼ばれていました。戦後も様々な映画会社で活躍しました。

雑誌グラビア「山田五十鈴」(1935)

山田五十鈴1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「山田五十鈴」さんです。この時は第一映画社所属で翌年には結婚、出産します。

雑誌グラビア「大河内傳次郎」(1935)

大河内伝次郎1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より丹下左膳に扮した「大河内傳次郎」さんです。大河内傳次郎(1898-1962)さんは福岡県生まれ、1918(大正7)年に大阪商業学校を卒業後、会社勤めをしますが舞台俳優に転向、1926(大正15)年に日活大将軍撮影所に入社、映画俳優となります。丹下左膳役等で戦前きっての時代劇スターとなり、その後東宝、戦後は大映、東映と渡り歩き、晩年まで映画に出演し続けました。

雑誌グラビア「黒田記代」(1935)

黒田記代1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のグラビア記事より「黒田記代」さんです。ショップ・ガールから身を起こしたとあります。終戦直後に映画界を引退し、その後の消息はわかりません。

雑誌グラビア「入江たか子」(1935)

入江たか子1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のカラーグラビア記事より「入江たか子」さんです。人気絶頂期の入江たか子さんのお姿になります。ただ、この年に入江プロは解散し、東宝の専属となります。

雑誌グラビア「水の江瀧子」(1935)

水の江瀧子1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のカラーグラビア記事より松竹少女歌劇の「水の江瀧子」さんです。水の江瀧子(1915-2009)さんは北海道小樽市の生まれ、幼少時に東京に移り、1928(昭和3)年に松竹東京楽劇部一期生の募集に姉が勝手に応募して合格しました。その後「ターキー」の愛称で戦前期に絶大な人気を誇りました。戦後は映画プロデューサーとして活躍しました。

雑誌折込「海の妖精達が陸へ上つて人間共を惱ましとるデス」(1935)

海の妖精1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」の折込写真より「海の妖精達が陸へ上つて人間共を惱ましとるデス」です。各社の女優さん達の水着姿の集合写真です。写真上は日活で場所は東京都調布市にあった京王閣プールです。京王閣は1927(昭和2)年に京王電鉄が設置したレジャー施設で、日活多摩川撮影所も隣接しています。1947(昭和22)年に売却され跡地は競輪場になりました。中は松竹で場所は神奈川県の大磯海岸です。下は新興キネマで場所は千葉県の谷津海岸です。

雑誌グラビア「飯塚敏子」(1935)

飯塚敏子1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」のカラーグラビア記事より「飯塚敏子」さんです。飯塚敏子(1914-1991)さんは現在の埼玉県深谷市生まれ、生後間もなく新橋の旅館を経営していた親の実家に引き取られ、文化学院に入学するも中退、雑誌「婦人公論」の美人投票で当選し、その後松竹蒲田撮影所に入社しました。1931(昭和6)年に「淑女と髭」(小津安二郎監督)で映画デビューし間もなくスターとなりました。その後松竹下加茂撮影所に移籍し、時代劇を中心に活躍しました。1935(昭和10)年に坂東好太郎(1911-1981)さんと結婚し、戦後すぐに女優を引退しました。

雑誌「映画レビュー夏姿寫眞帖」(1935)

これは誰でせうか?1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」の中表紙です。「これは誰でせうか?」と懸賞になっています。答は来月号の「日の出」で発表され商品は希望の女優のサイン入り腕時計やブロマイドです。もう締め切りは過ぎていますが、答えは市川春代さんだと思われます。

広告「クラブ歯磨・川崎弘子」(1935)

クラブ歯磨き1935aug

 1935(昭和10)年に発行された雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」の表紙裏広告より「クラブ歯磨」(株式會社中山太陽堂)です。当時この会社は松竹に広告料を払い、映画の中で必ず女優さんが化粧品等を実際に使って商品を褒めるシーンを入れさせています。モデルは女優の川崎弘子さんです。

広告「廉價なる高級寫眞器 リリー(小西六本店)」(1933)

リリーカメラ1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)内の広告より「廉價なる高級寫眞器 リリー」(小西六本店)です。小西六は現在のコニカ・ミノルタになります。リリーは手札版のハンドカメラで、レンズはドイツのツァイス社製テッサーを付けています。値段は東京都物価指数から現在の価格に換算すると30万円くらいになります。

雑誌記事「夏の涼味・三原名物、他」(1933)

写真ニュース(その3)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「夏の涼味・三原名物・北満鐵道會議開かる」です。右上は荒川放水路で開かれたモーターボート競争大会。左は大島三原山に設置された300メートルに及ぶ滑り台です。右下は北満鉄道会議ということで、日本とソ連で競争していた満州における鉄道権益の調整会議で、最終的には1935(昭和10)年にソ連の敷設分が日本側に売却されました。

雑誌記事「『婦人のための』山の案内所」(1933)

写真ニュース(その2)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「山の案内所」です。東京・銀座に開設された「婦人のための」山の案内所で、女性向けが当って連日大盛況だそうです。

雑誌記事「帝都の偉觀・永井拓相の參觀」(1933)

写真ニュース(その1)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「帝都の偉觀・永井拓相の參觀」です。写真上は竣工なった内務省の建物、下は齋藤内閣(1932-1934)の永井柳太郎(1881-1944)拓務大臣による養護学校の視察です。拓務省とは1929(昭和4)年から1942(昭和17)年にかけて存在した植民地の開拓を担う省庁でした。

広告「とりゐ屋」(1933)

トリイヤ1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)内の広告より銀座のネクタイ専門店「とりゐ屋」です。現在この辺りにデザイナー鳥居ユキさんのお店GINZA TORIIがありますが、関係あるのでしょうか。

雑誌記事「演劇紹介」(1933)

舞台1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より演劇の舞台紹介です。写真上が築地座「おふくろ」(田中千禾夫:作)です。その下右がテアトル・コメディ「扇」(カルロ・ゴルドォニ:作)で、その左が角座「フランスお政」で、右が主演の酒井米子さんです。角座は江戸時代から道頓堀にあった松竹系の演劇場で現在は映画館になっています。中右が地球座「五月晴」(佐藤春夫:作)です。下右が浪速座「伏見直江の女國定」で、早川雪洲さんとの競演で唐人お吉等も演じているそうです。下左が築地小劇場検察官」(ゴーゴリ:作)です。

広告「ツァイス双眼鏡」(1933)

カールツァイス双眼鏡1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)内の広告よりドイツ製高級双眼鏡「ツァイス双眼鏡」です。いかにもモダンな女性が双眼鏡を持ってデッキチェアでくつろいでいます。

雑誌記事「コドモグラフ(その2)」(1933)

コドモグラフ(その2)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「コドモグラフ」(その2)です。写真右下は魚釣りの子供、そして左は歌舞伎役者の中村芝鶴(二代目)さんの娘さんで祖父江章子さんです。

雑誌記事「コドモグラフ(その1)」(1933)

コドモグラフ(その1)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「コドモグラフ」(その1)です。写真右は水車を使って人力で田んぼに水揚げをする様子、左は用水路で魚取りに興じる子供達の姿です。

雑誌記事「汽車の窓から(あをもり)」(1933)

汽車の窓から(その4)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「汽車の窓から」(あをもり)です。東北本線で青森までの写真ルポルタージュです。写真は青森駅周辺の風景で右上がカムチャッカから青森港に到着した鮭舟、その下が青函連絡船の入港、左上が接岸した連絡船(飛鸞丸)に貨車を積み込む様子です。飛鸞丸は1924(大正13)年に就航し、1945(昭和20)年7月の空襲により撃沈されました。左下は駅前の旅館でくつろぐ旭川第7師団の傷病兵です。

雑誌記事「汽車の窓から(その3)」(1933)

汽車の窓から(その3)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「汽車の窓から」(その3)です。東北本線で青森までの写真ルポルタージュです。写真右及び上は青森駅でカムチャッカから着いた鮭を運ぶ女性沖仲仕です。左下は青森駅前のバスと馬糞拾い、下は長大な青森駅のプラットホームです。連絡船の桟橋まで300メートル続くとあります。

雑誌記事「汽車の窓から(その2)」(1933)

汽車の窓から(その2)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「汽車の窓から」(その2)です。東北本線で青森までの写真ルポルタージュです。写真上は尻内駅の風景で現在の八戸駅になります。写真右は岩手県から青森県にかけて流れる馬淵(まべち)川の風景、写真下中は仙台市の東一番町の夜の賑わい、写真左は郡山附近を通過する列車です。

雑誌記事「汽車の窓から(その1)」(1933)

汽車の窓から(その1)1933jul

 1933(昭和8)年発行の雑誌「アサヒグラフ」昭和八年七月十二日號(朝日新聞社)の記事より「汽車の窓から」(その1)です。東北本線で青森までの写真ルポルタージュです。写真左上は栃木県にある1932(昭和7)年に完成した晩翠橋で現在もその優美なアーチを見ることが出来ます。写真中は宇都宮駅で顔を洗う乗客で、当時の蒸気機関車の旅はトンネルで機関車の煤煙が客車に入り込むため、長距離客はこのようにホームに設置された長大な洗面所で煤けた顔等を洗っていました。写真下は宇都宮名物のかんぴょうで作った炭取りです。

大東京寫眞案内「大東京年中行事(その2)」(1933)

大東京年中行事(その2)1933jul

 1933(昭和8)年7月発行の「大東京寫眞案内」(博文館:編)より、「大東京年中行事」(その2)です。写真は右上が兩國川開きの花火大会で国技館がイルミネーションされています。その下は隅田川の大学対抗ボートレースです。左上が銀座の歳末大売り出しの様子でハリボテの飾りが歩道に張り出しています。その下は浅草の年の市です。

大東京寫眞案内「大東京年中行事(その1)」(1933)

大東京年中行事(その1)1933jul

 1933(昭和8)年7月発行の「大東京寫眞案内」(博文館:編)より、「大東京年中行事」(その1)です。写真は右上が羽田海岸での潮干狩り、その下は昭和通りを更新するメーデーの隊列、左上が国技館での大相撲、その下が七五三、その下が神宮球場で入場を待つ野球ファン、その下が浅草の酉の市です。

大東京寫眞案内「!これも東京!(その2)」(1933)

これも東京(その2)1933jul

 1933(昭和8)年7月発行の「大東京寫眞案内」(博文館:編)より、「!これも東京!」(その2)です。写真は上が丸ノ内の行幸通りを渡る野菜籠を積んだ牛車です。その下は「東京名物」練馬大根の収穫風景、右下はバスの普及で旧時代の遺物となった乗合馬車、左下は通行料を徴収する民間の橋で、震災前は多く見られたようです。
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