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雑誌記事「春うらら」(1937)

春うらら1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の記事より「春うらら」です。春先の海岸で遊ぶ子供達の姿です。詳しい説明はありませんが、1937(昭和12)年ののどかな春先の風景です。
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広告「思ひちがひ(中島菊夫 畫並文)」(1937)

思ひ違い1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の広告より「思ひちがひ」です。一見記事内の4コマ漫画のようですが、実は「わかもと」(株式会社栄養と育児の会)の広告になっています。「わかもと」は現在もわかもと製薬株式会社(1943(昭和18)年に改称)によって販売されている酵母由来の栄養剤です。中島菊夫(1897-1962)さんは高知に生まれ、高知師範学校を卒業後小学校教員になりましたが、上京して1935(昭和10)年に漫画家としてデビュー、少年倶楽部などで活躍しました。

広告「時は金なり(黒松勇蔵商店)」(1937)

時は金なり1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の広告より「ジョージ・ダブリュ・ヒューズ製/時は金なり」(黒松勇蔵商店)です。ショージ・ダブリュ・ヒューズ"George W. Hughes"社は英国バーミンガムにあったペン先などの文房具メーカーです。"Time is Money"というブランドの省エネ?ペン先の広告です。黒松勇蔵商店は住所が南久宝寺町三丁目とあるので船場から心斎橋の間の御堂筋付近にあった文房具卸のようです。

広告「パァマネントウエブ・マロミ」(1937)

パァマネントウエブマロミ1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の広告より「パァマネントウエブ・マロミ」です。この頃は良く広告を出稿しています。

広告「フィルモ・ダブル8(BELL&HOWELL)」(1937)

フィルモダブル81937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の広告より「フィルモ・ダブル8普及型」(BELL&HOWELL)です。16mmフィルムの半分づつを使うダブル8は戦前に普及しました。ベル&ハウエル社は1907年に設立されたアメリカのカメラメーカーで現在は主にカメラ以外の分野で活動しています。

広告「江口隆哉・宮操子群舞大公演」(1937)

江口隆哉・宮操子1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の広告より「江口隆哉・宮操子群舞大公演」です。江口隆哉(1900-1977)さんと宮操子(1907-2009)さんは夫婦で1931(昭和6)年にドイツに留学し、モダンダンスの嚆矢であるノイエタンツを学んで帰国し、日本のモダンダンスの礎となりました。

雑誌記事「朱と緑・マグノリア・世界の歌姫」(1937)

朱と緑・マグノリア・世界の歌姫1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の記事より「朱と緑・マグノリア・世界の歌姫」です。記事は右上が松竹映画「朱と緑」(島津保次郎監督)です。主演は上原謙さんと高杉早苗さんです。左上は寳塚三月月組公演の「マグノリア」より左が小夜福子(1909-1989)さん、右が櫻町公子(1918-2005)さんです。下はRKO映画「世界の歌姫"That Girl From Paris"」(Leigh Jason監督)で、主演はリリー・ポンス"Lily Pons"(1898-1976)さんです。

雑誌記事「觀光日本大繪巻」(1937)

觀光日本大繪巻1937mar

 1937(昭和12)年3月発行の雑誌「週刊朝日・三月二十一日號」(朝日新聞社)の記事より「觀光日本大繪巻」(原弘構成)です。これは1937(昭和12)年のパリ万国博覧会日本館に展示された写真壁画で、高さ2.35m横幅18mと大変巨大な物でした。写真家として原弘(1903-1986)さんの他に木村伊兵衛(1901-1974)さん小石清(1908-1957)さん渡辺義雄(1907-2000)さんらが参加し、原弘さんが全体の構成を行いました。日本館の建物は坂倉準三(1901-1969)さんの設計と戦後も活躍する芸術家が多く関わりました。

広告「一力」(1936)

一力1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「一力」です。現在もふぐ料理の店として大阪に存在しますが、この「本家」かどうかはわかりません。

広告「白き榮養・森永牛乳」(1936)

森永牛乳1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「白き榮養・森永牛乳」(森永牛乳株式會社)です。森永牛乳株式会社は森永煉乳株式會社の子会社と思われますが、詳細は判りません。

雑誌記事「若奥様向のお上品な髪」(1936)

若奥様向のお上品な髪1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の記事より家庭のページ「若奥様向のお上品な髪」です。「上品な髪」型の紹介です。芝山みよさんとは、おそらく現在も存在する「芝山みよか」美容室の社長だった芝山みよかさんではないかと思います。

雑誌記事「秋・婦人服の傾向」(1936)

家庭のページ1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の記事より家庭のページ「秋・婦人服の傾向」です。松阪屋専属デザイナーのマダム・エレヌが秋のフランスの流行を紹介しています。

雑誌記事「死のワルツ」(1936)

死のワルツ1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の記事より「死のワルツ」です。タイトルが全てですが、「享楽にたゞれた無軌道愛慾の清算/由緒深き伏見・寺田屋の娘/想出の旅を終へて心中(未遂)」だそうです。この寺田屋の娘さんは京阪沿線淀にあったダンスホールでダンサーをしており、そこで出会った年下の大学出たての陶器工場経営者の三男坊と心中未遂事件を起こしたのですが、彼女の出自のために坂本龍馬に関する記事の方が長かったです。

雑誌挿絵「岩田專太郎 畫」(1936)

岩田専太郎1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の連載小説「半島の藝術家たち」(金聖珉作)の挿絵です。作者は岩田專太郎(1901-1974)さんです。岩田さんは東京浅草生まれ、尋常小学校卒業後伊東深水画伯等に師事し、1919(大正8)年に挿絵画家としてデビューした後、数々の雑誌や単行本に挿絵を描く人気画家となりました。

雑誌記事「パラマウント映画『姫君海を渡る』」(1936)

姫君海を渡る1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の記事よりパラマウント映画「姫君海を渡る」"The Princess Comes Across"(William K. Howard監督)の紹介です。主役はキャロル・ロンバート"Carole Lombard"さんと、フレッド・マクマレイ"Fred MacMurray"(1908-1991)さんです。

広告「入山煎餅・他」(1936)

広告集1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「入山煎餅・他」です。入山煎餅は今も浅草の名物です。隣の蒲焼屋は最近ミシュランで星を取った江戸川橋の「石ばし」だと思われます。北澤洋行本店は「天津」甘栗を取り扱った商社のようです。

広告「ダイアネットカメラ・ウェハー距離計」(1936)

ダイアネットカメラ1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「ダイアネットカメラ・ウェハー距離計」(山本寫眞機店)です。ダイアネットカメラは東京にあった富士光学器械製作所が製造していたカメラで、関東ではピオネットというブランドで販売されていました。

雑誌記事「サーヴィス・ガール七題」(1936)

サーヴィス・ガール七題1936sept

 1936(昭和11)年9月発行の雑誌「サンデー毎日・九月十三日號」(大阪毎日新聞社)の記事より「サーヴィス・ガール七題」です。大阪で働くサーヴィス・ガールの写真ルポです。上右が観光船のガイド、右中がデパートの食堂のウェイトレス、右下がデパートの化粧品売り場、中上が書店、中下が地下鉄のエスカレータガイド、左上が理容店、左下が心斎橋のガイドです。

広告「砂川へ(阪和電鉄)」(1936)

阪和電鐵1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「砂川へ」(阪和電鉄)です。阪和電気鉄道は現在のJR西日本の阪和線です。1926(大正15)年に開通し、既存の南海電鉄と熾烈な競争をしましたが、1940(昭和15)年に経済統制によって南海と統合、その後1944(昭和19)年に戦時買収によって鉄道省に買い上げられ、国鉄を経て現在に至っています。和泉砂川は関西私鉄各社にな倣い阪和電鉄も沿線に遊園地などテーマパークを展開した場所でした。

広告「さくらフヰルム(六櫻社)」(1936)

さくらフィルム1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「さくらフヰルム」(六櫻社)です。当時はまだ白黒フィルムのみですが、感光する光の波長の性質によって製品グレードが分れています。

雑誌記事「ジンジヤ・ロジャースは本誌と日本がお好き」(1936)

ジンジヤ・ロジャース1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の記事より「ジンジヤ・ロジャースは本誌と日本がお好き」です。毎日新聞のニューヨーク支局を訪問したジンジャー・ロジャース"Ginger Rogers"さんとダグラス・フェアバンクス・ジュニア"Douglas Fairbanks, Jr."さんです。応対しているのは当時の支局長の栗山長次郎(1896-1971)さんです。栗山さんは東京生まれ、1917(大正6)年に青山師範学校卒業後、米国ユタ大学に留学し1923(大正12)年に卒業、ハーバード大学の院で政治、経済学を学んだ後、東京日日新聞に入社しました。戦後は自由党から立候補し1946(昭和21)年から1953(昭和28)年まで衆議院議員を勤めました。

広告「日本電話建物株式會社」(1936)

日本電話建物1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「家の月拂:家賃位の掛金で五年で自分の家!」(日本電話建物株式會社)です。当時珍しい住宅ローンの広告です。都市部に月給制のサラリーマンが増えて月賦が扱い易くなったのでしょう。事例の平屋建てが月36円の60ヶ月払いなので2160円となり、今の物価指数からすると400万円弱程度で、土地代は含んでいないとすると妥当でしょうか。

雑誌記事「樹氷を縫って…」(1936)

樹氷を縫って…1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の記事より「樹氷を縫って…」です。写真は兵庫・鳥取県境にある氷ノ山(ひょうのせん)山頂付近の樹氷の横を山スキーで滑る山形美代子さんと中辻幹子さんです。

雑誌記事「No.1女流選手『西園寺美代子嬢』」(1936)

西園寺美代子嬢1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の記事より「No.1女流選手『西園寺美代子嬢』」です。女子のボート競技の選手紹介で、西園寺美代子(1915-)さんは陶庵公ことかの最後の元老西園寺公望(1849-1940)公爵の孫にあたります。西園寺公爵は正妻を持ちませんでしたが、妾腹の娘に毛利家から婿養子をとった後継ぎの西園寺八郎(1881-1946)氏の三女になります。聖心女子学院を卒業後、経済学者の阿部一蔵氏に嫁ぎました。

雑誌記事「松竹映畫『家族会議』(島津保次郎監督)」(1936)

家族会議1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の記事より松竹大船映畫「家族会議」(島津保次郎監督)です。写真は右上が桑野通子さんと高田浩吉さん、その下が桑野通子さんと佐分利信さん、その下が高杉早苗さんと及川道子さん、中が桑野通子さん、左上が高杉早苗さんと及川道子さん、その下が高杉早苗さんと佐分利信さんと松竹オールスターキャストです。

広告「アクメ家庭太陽燈(島津製作所)」(1936)

アクメ家庭太陽燈1936mar

 1936(昭和11)年3月発行の雑誌「サンデー毎日・三月二十二日號」(大阪毎日新聞社)の広告より「アクメ家庭太陽燈」(島津製作所)です。島津製作所は1875(明治8)年に設立され蓄電池やX線医療機器などを製造販売し、現在でも分析機器での世界的なメーカーです。太陽灯は当時医療機器として栄養不良によるくる病などを予防・治療するために使用されていました。

広告「廿世紀フオツクス映畫『紅の翼』」(1939)

紅の翼1939dec

 1939(昭和14)年12月発行の雑誌「週刊朝日・新春映画號」(朝日新聞社)の広告より廿世紀フオツクス映畫「紅の翼」"Tail Spin"(Roy Del Ruth監督)です。主演は アリス・フェイ"Alice Faye"さん、ナンシー・ケリー"Nancy Kelly"さん、コンスタンス・ベネット"Constance Bennett"(1904-1965)さんです。プロデューサーは20世紀フォックス社の設立者の一人であるダリル・F・ザナック"Darryl Francis Zanuck"(1902-1979)さんです。

広告「丹頂チック(金鶴香水株式會社)」(1939)

丹頂チック1939dec

 1939(昭和14)年12月発行の雑誌「週刊朝日・新春映画號」(朝日新聞社)の広告より「丹頂チック」(金鶴香水株式會社)です。これは整髪用の固形油ですが、当時は男も女も髪を油で固めるのが作法でした。

広告「大日本麦酒株式會社」(1939)

大日本麦酒株式會社1939dec

 1939(昭和14)年12月発行の雑誌「週刊朝日・新春映画號」(朝日新聞社)の広告より「大日本麦酒株式會社」(1939)です。アサヒビール・ヱビスビール・サッポロビールの三大ブランドの他に特製ユニオンビールというブランドがありますが、これは1933(昭和8)年に合併した三ツ矢サイダーの製造元である日本麦酒鑛泉のブランドで、戦後はアサヒビールが受け継ぎましたが今はありません。

雑誌挿絵「情熱の和蘭人(霜野二一彦畫)」(1939)

霜野二一彦1939dec

 1939(昭和14)年12月発行の雑誌「週刊朝日・新春映画號」(朝日新聞社)の小説挿絵より「情熱の和蘭人」(霜野二一彦畫)です。作者は当時人気のあったフランスの大衆小説作家モーリス・デコブラ"Maurice Dekobra"(1888-1970)さんで、翻訳は黒沼健(1902-1985)さん、挿絵は霜野二一彦(1913-1980)さんです。
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