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雑誌グラビア「ヘレンとアフロディツト」(1927)

ヘレンとアフロディツト1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「ヘレンとアフロデイツト」です。これは米国ファーストナショナル映画「トロイものがたり"The Private Life of Helen of Troy"」(Alexander Korda監督)よりヘレン役のマリア・コルダ"María Corda"(1898-1976)さんと、アフロディテ役のアリス・アデーア"Alice Adair"(1909-1978)さんです。
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雑誌記事「松竹映畫十二月新作」(1927)

松竹映画1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「松竹映畫」新作紹介です。上右は「濡衣」(蔦見丈夫監督)の 酒井啓之助さんと松井潤子さん、上左は「悲戀劍闘」(斎藤寅次郎監督)の吾妻三郎さんと東榮子さんと阪本武さん、中と下左が「人生の涙」(清水宏監督)の武田春郎さんと八雲恵美子さんと子役の藤田陽子さんと小藤田正一さん、下右は「戀模様三人娘(JMDBでは二人娘)」(重宗務監督)の柳さく子さんです。

雑誌グラビア「ローラ・ラ・プラント"Laura La Plante"」(1927)

ローラ・ラ・プラント1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「ローラ・ラ・プラント"Laura La Plante"」さんです。ローラ・ラ・プランテ"Laura La Plante"(1904-1996)さんは米国ミズーリ州セントルイス生まれ、15歳のときに映画デビューし、サイレント時代の人気女優になり、1930年代半ばまで活躍しました。

雑誌グラビア「柏 美枝」(1927)

柏美枝1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「柏 美枝」さんです。「伝説のモダンガール」女優ですが現在見る事の出来るものは松竹映画「海浜の女王」(牛原虚彦監督)のみとのことです。

雑誌グラビア「いたづら好きの瞳」(1927)

ドロシー・ギッシュ1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「いたづら好きの瞳」です。写真はイギリス映画「ティップトース"Tiptoes"」(Herbert Wilcox監督)のドロシー・ギッシュ"Dorothy Gish"(1898-1968)さんです。彼女は米国オハイオ州生まれ、リリアン・ギッシュさんの妹で、友人のメアリー・ピックフォードさんからグリフィス監督を紹介され、映画界に入りました。トーキー時代に入ると英国に活動場所を移しました。

雑誌記事「松竹座・金色夜叉」(1927)

松竹座・金色夜叉1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號の記事より「松竹座・金色夜叉」です。中は貫一役の花柳章太郎さん、下右はお宮役の川田芳子さんと荒尾謙介役の小堀誠さん、下左は女金貸し役の石河薫さんです。

雑誌グラビア「メリー・ブライアン"Mary Brian"」(1927)

メリー・ブライアン1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「メリー・ブライアン"Mary Brian"」(1906-2002)さんです。彼女は米国テキサス州生まれ、16歳の時に地元の美人コンテストに出場したところをスカウトされ、1924(大正13)年に映画界に入り、その後スターとなりました。

雑誌記事「巴里の日本劇」(1927)

巴里の日本劇1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號の記事より「巴里の日本劇」です。岡本綺堂氏作の「修善寺物語」をパリのコメディーシャンゼリゼ座においてフランス人俳優で公演した舞台の紹介です。右上のプログラムは当時パリ在住の藤田嗣治氏作です。中左はオデオン座の座主フィルメニ・ジェミエ"Firmin Gémier"(1869-1933)さんです。

雑誌グラビア「橋畔の秘語」(1927)

橋畔の秘語1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「橋畔の秘語」です。写真は松竹映画「蝙蝠草紙」(山崎藤江監督)より千早晶子さんと後に東宝に移籍して長谷川一夫さんとなる前の林長二郎さんです。

雑誌グラビア「本郷座・坊ちゃん」(1927)

本郷座・坊ちゃん1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「本郷座・坊ちゃん」です。夏目漱石作の人気小説を本郷座で舞台化しました。主演の坊ちゃんは写真の(二代目)市川猿之助(1888-1963)さんです。

雑誌グラビア「クリスマスのよろこび」(1927)

メアリー・ピックフォード1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「クリスマスのよろこび/メアリー・ピツクフオード」です。メアリー・ピックフォード"Mary Pickford"(1892-1979)さんはカナダ生まれ、7歳から子役として舞台に立っていましたが、15歳のときにグリフィス監督に見出され映画デビューしました。1933(昭和8)年に引退するまで多くの映画で主役を務め大スターとなりました。

雑誌グラビア「市川小太夫の清水一角」(1927)

市川小太夫の清水一角1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號のグラビア記事より「青年俳優寫眞錦繪/市川小太夫の清水一角」です。(二代目)市川小太夫(1902-1976)さんは二代目市川猿之助さんの四男で、新劇などで活躍しました。初世琴吹千草名で舞踊・琴吹流を創始しています。

雑誌裏表紙「クララ・ボウ"Clara Bow"」(1927)

クララ・ボウ嬢1927dec

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十二月號の裏表紙より、「クララ・ボウ"Clara Bow"」さんです。この年、当時の流行語「イット」の元となった同名の映画で世界的スターになりました。

雑誌「劇と映画"The Play & Movie" 十二月號」(1927)

劇と映画昭和二年十二月號1927dec

 1927(昭和2)年発行の雑誌「劇と映画」"The Play & Movie" 十二月號(国際情報社)です。表紙は豊原国周(1835-1900)画「澤村宗十郎の藤屋伊佐衛門」(1873)です。藤屋伊佐衛門は歌舞伎「廓文章」の主人公で廓通いで身代を潰した若旦那です。

雑誌記事「東亞映畫・阪妻映畫十一月新作」(1927)

東亞映画と阪妻映画1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號の記事より「東亞映畫・阪妻映畫」新作紹介です。上は東亞キネマ「英雄」(西本武二監督)の團徳麿(1902-1987)さんと都さくらさん、中右が阪妻プロ「妖炎魔刃」(枝正義郎監督)の志賀靖郎さん、中左が東亞キネマ「王政復古」(長尾史録監督)の片岡時次郎さんと三井榮子さん、下が阪妻プロ「鮮血秘史」(安田憲邦監督)の草間実さんと泉春子(1905-?)さんです。

雑誌記事「マキノと帝キネ映畫十一月新作」(1927)

マキノと帝キネ1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號の記事より「マキノと帝キネ映畫」新作紹介です。上は帝キネ映画「曾我」(山下秀一監督)の松本田三郎(1896-1939)さんと明石緑郎(1899-1934)さん、中右が帝キネ映画「茜屋半七」(佐藤樹一郎監督)の尾上紋十郎(1890-1934)さんと千草香子(1900-?)さん、中左が帝キネ映画「魔刃」(渡辺新太郎監督)の松本田三郎さんと林誠太郎(1896-?)さん、下がマキノ映画「黒怪流星」(富沢進郎監督)の私立探偵久保田雄三役の東郷久義(1898-?)さんと、その妻夏子役の大林梅子(1907-1995)さんです。

雑誌グラビア「チウインガムの戯れ」(1927)

チウインガムの戯れ1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「チウインガムの戯れ」です。写真は1925年米国公開されたMGM映画「The Big Parade」(King Vidor監督)よりジョン・ギルバート"John Gilbert"(1897-1936)さんと、ルネ・アドレー"Renée Adorée"(1898-1933)さんです。

雑誌グラビア「グロリア・スウオンスン"Gloria Swanson"」(1927)

グロリア・スワンソン1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「グロリア・スウオンスン"Gloria Swanson"」さんです。この写真の頃はド・ラ・ファレーズ侯爵と三度目の結婚をしていましたが、同時にケネディ大統領の父親のJ.P.ケネディ氏と不倫関係にあったと自伝で明かしています。

雑誌グラビア「ホセとカルメン」(1927)

ホセとカルメン1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「ホセとカルメン」です。この写真は米国フォックス社映画「カルメン"Loves of Carmen"」(Raoul Walsh監督)の一場面で、カルメンのドロレス・デル・リオ"Dolores Del Rio"(1905-1983)さんとドン・ホセのドン・アルヴァレド"Don Alvarado"(1904-1967)さんです。

雑誌グラビア「酒井米子」(1927)

酒井米子1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「酒井米子」さんです。この頃は京都の日活大将軍撮影所に所属し、時代劇スターでした。

雑誌グラビア「ラモン・ノヴァロ"Ramon Novarro"」(1927)

ラモン・ノヴァロ氏1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「ラモン・ノヴァロ」です。ラモン・ノヴァロ"Ramón Novarro"(1899-1968)さんはメキシコ生まれ、1913(大正2)年にメキシコ革命を逃れてアメリカに移住、1917(大正6)年に端役として映画デビュー、その後サイレント時代を代表する剣戟俳優となりました。トーキー化以降はあまり大きな役は貰えませんでしたがスター時代の稼ぎを投資しており、豊かな晩年を過ごしました。しかしその最期は強盗に殺されるというものでした。

雑誌記事「日活映畫十一月新作」(1927)

日活映画1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號の記事より「日活映畫」新作紹介です。上右はイプセン原作の「人形の家」(阿部豊監督)の浦邊粂子さんと岡田時彦さん、上左は「下郎」(伊藤大輔監督)の澤村春子さんと河部五郎さん、中は「神文」(辻吉郎監督)の松平鶴之助さん、下右は「赤城の夕映え」(三枝源次郎監督)の徳川良子さんと谷幹一さん、下左は「鐵路の狼」(東坊城恭長監督)の原光代さんと山内光さんです。

雑誌記事「松竹映畫十一月新作」(1927)

松竹映画1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號の記事より「松竹映畫」新作紹介です。上右は「懐かしの母」(佐々木恒次郎監督)の高尾光子さんと藤田陽子(1919-?)さんです。上左は「珠を抛つ(JMDBでは「玉を抛つ」)」(池田義信監督)の栗島すみ子さんと島田嘉七(1895-?)さんです。中は「炎の空」(清水宏監督)の佐々木清野さん、八雲恵美子さん、柏美枝さんです。下右は「海の勇者」(島津保次郎監督)の押本映治さん、鈴木伝明さん、龍田静枝さんです。下左は「懺悔の刃」(小津安二郎監督)の渥美映子さんと吾妻三郎さんで、この作品は小津安二郎さんの監督第一作目になります。

雑誌グラビア「帝国劇場『弁天娘女男白浪』」(1927)

弁天娘女男白浪1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より帝國劇場「弁天娘女男白浪」より、弁天小僧菊之助の澤村宗十郎(1875-1949)さんと南郷力丸の守田勘彌さんです。

雑誌グラビア「おはねさんのむれ」(1927)

乱暴ローシー1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「おはねさんのむれ」です。写真はパラマウント映画「乱暴ローシー"Rough House Rosie"」(Frank Strayer監督)より当時の最新モードを着こなしたクララ・ボウ"Clara Bow"さん達です。「おはねさん」とは、お跳ね=お転婆、の意味です。

雑誌グラビア「井筒屋太郎の川田芳子」(1927)

川田芳子1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「花街おぼえ帳・松竹新劇団/井筒屋太郎・川田芳子」です。これは時代劇のようですが、現代劇です。写真は太郎が東京の日本橋倶楽部で「藤娘」を踊る場面です。

雑誌グラビア「リア・ドウ・プッチ"Lya De Putti"」(1927)

リア・デ・プッティ1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「リア・ドウ・プッチ"Lya de Putti"」です。リア・デ・プッティ"Lya De Putti"(1897-1931)さんはハンガリーで生まれ、バレリーナとなりハンガリーでのキャリアを積んだ後、ベルリンの舞台に移り1918(大正7)年に映画デビュー、1924(大正13)年にはヴィンターガルテンの主演バレリーナとなりました。ドイツで多くの映画に出演した後、1926(大正15)年にアメリカに渡りハリウッドデビューします。ヴァンプ女優として人気を博しましたが、ハンガリー訛りが抜けずトーキー化に乗り遅れ、その後怪我から感染症となって34歳で亡くなりました。

雑誌グラビア「澤村訥升の皆鶴姫」(1927)

澤村訥升1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號のグラビア記事より「青年俳優寫眞錦繪/澤村訥升の皆鶴姫」です。澤村訥升(4代目)とは澤村宋十郎(8代目)(1908-1975)さんのことです。皆鶴姫は源義経との悲恋伝説のヒロインです。

雑誌裏表紙「オリーヴ・ボーデン"Olive Borden"」(1927)

オリーブ・ボーデン1927nov

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)十一月號の裏表紙より、「オリーヴ・ボーデン」さんです。サイレント時代は人気でしたがトーキー化で南部訛りが抜けず、映画界を去りました。

雑誌「劇と映画"The Play & Movie" 十一月號」(1927)

劇と映画昭和二年十一月號1927nov

 1927(昭和2)年発行の雑誌「劇と映画」"The Play & Movie" 十一月號(国際情報社)です。表紙は豊原国周(1835-1900)画「市村家橘の志のゝ女實は小狐禮三」です。この絵の市村家橘(8代目)とは尾上菊五郎(5代目)(1844-1903)さんのことです。
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