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雑誌記事「扮装図解(山路ふみ子)」(1941)

扮装図解1941jul

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)七月特輯號の記事より「扮装図解」です。モデルは山路ふみ子さんです。記事の説明によると、上右が水芸人、その左が女芸人の旅姿、下右が芸妓、その左がさらし踊りの舞台姿です。
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広告「RKO映画『邂逅』"Love Affair"」(1941)

邂逅1941jul

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)七月特輯號の広告よりRKO映画「邂逅」"Love Affair"です。この作品は1939年に全米公開されていますが、1941年の7月というかなり差し迫った状況下でもハリウッド映画が日本に輸入公開されています。主演はアイリーン・ダン"Irene Dunne"(1898-1990)さんとシャルル・ボワイエ"Charles Boyer"(1899-1978)さんです。李香蘭さんが推薦文を書いています。

雑誌記事「李香蘭・佐野周二」(1941)

李香蘭・佐野周二1941jul

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)七月特輯號の記事より「李香蘭・佐野周二」です。当時大人気だった李香蘭こと山口淑子(1920-)さんを主役に据えて松竹映画「蘇州の夜」(野村浩将監督)の撮影に入るお二人です。

広告「資生堂『スキンローション』」(1941)

資生堂スキンローション1941jul

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)七月特輯號の広告より資生堂「スキンローション」です。戦争の影を感じさせない爽やかな広告ですが、定価が公定価格となっており、戦時統制経済が進行しています。公定価格制は戦後も一部残り、米価などは特に長く政府の決めた価格で売買されました。

雑誌記事「特写場面(闘魚・姿なき復讐)」(1941)

特写場面1941jul

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)七月特輯號の記事より「特写場面」です。上より東宝映画「闘魚」(島津保次郎監督)の里見藍子さんと池辺良さんです。下は日活映画「姿なき復讐」(松田定次監督)の鈴木伝明さんと月宮乙女さんです。

広告「南旺映画『結婚の生態』」(1941)

結婚の生態1941jul

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)七月特輯號の広告より南旺映画(東宝提供)「結婚の生態」(今井正監督)です。主演は原節子さんです。原作は石川達三(1905-1985)さんの同名人気小説で「百萬人を唸らせた」とあります。

雑誌「映画之友(昭和十六年七月特輯號)」(1941)

映画之友昭和十六年七月特輯號

 1941(昭和16)年発行の雑誌「映画之友」七月特輯號です。表紙は高峰秀子さんです。東宝映画「阿波の踊子」(マキノ正博監督)出演中のお姿です。

雑誌記事「新作日本映画」(1941)

日本映画新作1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より「新作日本映画」です。上から松竹映画「元氣で行かうよ」(野村浩将監督)の佐野周二さんと桑野通子さん、中は東宝映画「人生は六十一から」(斎藤寅次郎監督)のエンタツ・アチャコ、下右は松竹映画「振袖御殿」(大曾根辰夫監督)の三浦光子さん、下左は日活映画「剣光櫻吹雪」(菅沼完二監督)です。

広告「日活映画『明暗二街道』」(1941)

明暗二街道1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の広告より日活映画「明暗二街道」(田口哲監督)です。「スパイ戦線を衝く!明暗二街道/日活多摩川非常時下に贈る警官戰陣訓」スパイと戦う警察物のようです。田口哲(1903-1984)さんは岩手県出身。1932(昭和7)年に監督デビューし、1961(昭和36)年まで映画製作に関わっています。

雑誌記事「カメラに描く・セツトの中で」(1941)

カメラに描く1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より「カメラに描く・セツトの中で」です。映画撮影風景のスナップショット紹介で、それぞれ(1)松竹「花は偽らず」(大庭秀雄監督)(2)松竹「元氣で行かうよ」(野村浩将監督)(3)日活「剣光櫻吹雪」(菅沼完二監督)(4)日活「明暗二街道」(田口哲監督)(5)新興「鐵の花嫁」(田中重雄監督)です。

雑誌記事「わしが国さ・俳優出生地図」(1941)

わしが国さ1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より「わしが国さ・俳優出生地図(北海道・奥羽地方の巻)」です。俳優の出生県に従って記入されています。面白いのは高峰秀子さんや佐分利信さんのような北海道出身者が大変多い事です。

広告「コロムビア映画『明日への戰ひ』"The Howards of Virginia"」(1941)

明日への戦ひ1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の広告よりコロムビア映画「明日への戰ひ」"The Howards of Virginia"(フランク・ロイド監督)です。主演はケーリー・グラントさんで助演はマーサ・スコットさんです。アカデミー賞にもノミネートした1940年米国公開の大作映画ですが、日米関係が悪化した昭和16年になってもハリウッド映画はまだ公開されています。

雑誌記事「陽春を彩どる」(1941)

陽春を彩る1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より「陽春を彩どる」です。写真上は松竹映画「元気で行かうよ」(野村浩将監督)出演中の桑野通子さん、写真下は東宝映画「上海の月」(成瀬巳喜男監督)出演中の山田五十鈴さんです。

雑誌記事「獨伊へ映画の使節(田中絹代)」(1941)

独伊へ映画の使節1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より「獨伊へ映画の使節」です。田中絹代さんが文化使節として1941(昭和16)年8月にドイツとイタリアを訪問する事が決まった、とあります。しかしこの記事の翌月に独ソ戦が始まり、それどころではなくなったようです。

雑誌附録「桑野通子」(1941)

桑野通子1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の折り込み附録カレンダーです。モデルは桑野通子さんです。時節柄「仰げ忠靈捧げよ誠」と標語が掲げてあります。カレンダーを見るとゴールデンウィークがありません。四月三日が神武天皇祭(即位記念日)、二十九日が天長節(昭和天皇誕生日)となっています。

広告「資生堂『スフリン』」(1941)

スフリン1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の広告より資生堂「スフリン」です。この製品は再生繊維(レーヨン)=人造絹糸(人絹)の布地を強化するためのコーティング液のようです。当時スフ(ステープルファイバーの略)と呼ばれたレーヨンは強度に問題があり、その対策品のようで、「電線病に朗報」だそうです。開発元の商工省繊維工業試験所は現在の産業技術総合研究所になります。

雑誌記事「美鳩まり、木暮實千代、北見禮子」(1941)

美鳩まり木暮実千代北見礼子1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より、上が新興キネマ「鐵の花嫁」(田中重雄監督)の美鳩まりさん、下が松竹映画「女の宿」(犬塚稔監督)出演中の左が木暮實千代さん、右が北見禮子さんです。

雑誌記事「戰場から歸つてきた俳優」(1941)

戦場から帰って来た俳優1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の記事より「戰場から歸つてきた俳優」です。写真右が帰還した俳優の佐野周二さん、左は監督の野村浩将さんです。佐野周二さんはこの後終戦までさらに二度召集されますが、その間をぬって多くの映画に出演しています。

広告「東宝映画『上海の月』」(1941)

上海の月1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の裏表紙裏広告より東宝映画「上海の月」(成瀬巳喜男監督)です。写真は上から山田五十鈴さん、大日方伝さん、里見藍子さん、汪洋さんです。当時上海に設立された国策会社「中華電影公司」との共同製作です。

広告「松竹映画『花は偽らず』」(1941)

花は偽らず1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の表紙裏広告より松竹映画「花は偽らず」(大庭秀雄監督)です。写っているのは大ヒット映画「暖流」の主演トリオ、佐分利信さん、高峰三枝子さん、水戸光子さんです。

広告「パピリオ”Papilio”」(1941)

パピリオ1941may

 1941(昭和16)年に発行された雑誌「映画之友」(映画日本社刊)五月特輯號の裏表紙広告より「パピリオ」(伊東胡蝶園)です。伊東胡蝶園は1904(明治37)年創業で化粧品業界における明治の四大覇者(他の三社はライオン、レート、クラブ)となりました。戦後買収され、帝人、アサヒペン、ツムラと点々と売却されましたが、結局1997年に清算されました。この裏表紙に「代返」と落書きがあります。新刊で最初に買った持ち主は学生だったのでしょうか。

雑誌「映画之友(昭和十六年五月特輯號)」(1941)

映画之友昭和十六年五月特別號

 1941(昭和16)年発行の雑誌「映画之友」五月特輯號です。表紙は原節子さんです。この時期になるとさすがにハリウッド映画は公開できなくなり、表紙は日本映画の女優になります。外国映画も公開されていますがドイツを始めとする欧州映画です。この時点ではフランスもドイツ占領下にありますので、フランス映画も公開されています。発行元が「映画日本社」となっており、それまでの「映畫世界社」とは異なっています。戦時統制経済の影響で映画雑誌は統合され1940(昭和15)年12月に「映画之友」「映画ファン」「キネマ」「新映画」「スタア」の五雑誌が統合されて「新映画」「映画之友」の二雑誌に統合されました。

雑誌グラビア「ドロシー・セバスチアン嬢"Dorothy Sebastian"」(1927)

ドロシー・セバスチャン1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號のグラビア記事より「涼風に憩ふ踊り子:ドロシー・セバスチアン嬢」です。ドロシー・セバスチャン"Dorothy Sebastian"(1903-1957)さんは米国アラバマ州生まれ、15歳で女優になりたくて両親の反対を押し切りニューヨークに家出、その後ハリウッドにスカウトされて人気女優となりました。

雑誌記事「松竹映畫」(1927)

松竹映画1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號の記事より松竹映画の新作紹介です。右上は「悲願千人斬」(吉野二郎監督)の藤野秀夫さんと田中絹代さん、左上は「からくり娘」(五所平之助監督)の八雲恵美子さんと二葉かほるさんと小藤田正一さん、中は「春の雨」(清水宏監督)の松井千枝子さんと三田英児さん、下右は「白虎隊」(野村芳亭監督)の柳さく子さん等、下左は「むさゝびの三吉」(重宗務監督)の横尾泥海男さんらです。

雑誌グラビア「岡本綺堂作『水野十郎左衛門』」(1927)

水野十郎左衛門1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號のグラビア記事より岡本綺堂作「水野十郎左衛門」(歌舞伎座)です。写真は市川左團次(二代目)(1880-1940)さん、市川松蔦 (二代目)(1886-1940)さん、市川寿美蔵(六代目)(1886-1971)さんです。作者の岡本綺堂(1873-1939)さんは東京高輪生まれ、東京府尋常中学(現在の日比谷高校)を卒業後、1890(明治33年)東京日日新聞(源氏の毎日新聞)に記者として入社します。1891(明治34)年に最初の小説を東京日日新聞に発表し小説家デビューしますが、新聞記者は1913(大正2)年まで続けています。新歌舞伎の脚本家としても成功していましたが、シャーロックホームズのような探偵小説を書きたいと、1916(大正5)年に日本最初の十手物である「半七捕物帳」を発表し大人気となりました。

雑誌記事「日活映畫」(1927)

日活映画1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號の記事より日活映画の新作紹介です。右上は「落城の秋」(吉本清濤監督)の澤村春子さんと尾上松葉さんです。左上は「漕艇王」(内田吐夢監督)の廣瀬恒美さんら、中は「慈悲心鳥」(溝口健二監督)の夏川静江さんと中野英治さん、下右は「流轉」(伊藤大輔監督)の大河内伝次郎さんと伊藤みはるさん、下左は「落ち武者」(中山呑海監督)の尾上多見太郎さんと隼秀人さんです。

雑誌グラビア「アンナ・メイオン嬢"Anna May Wong"」(1927)

アンナ・メイ・ウォン1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號のグラビア記事より「アンナ・メイオン嬢」です。アンナ・メイ・ウォン"Anna May Wong"(1905-1961)さんは中国系アメリカ人としてロサンゼルスに生まれ、1919(大正8)年から映画のエキストラに参加し、1922(大正11)年には主演もこなし、中国系初のハリウッド女優と言われています。ただハリウッドでは人種的にステレオタイプな役柄しか与えられず、ヨーロッパに渡り成功します。しかし戦争でアメリカに戻っても役はなく1942(昭和17)年に映画界を引退します。

雑誌記事「築地小劇場」(1927)

築地小劇場1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號の記事より「築地小劇場」です。写真上と中左は武者小路実篤氏作の「愛慾」で、主演は友田恭助(1899-1937)さんと田村秋子(1905-1983)さんで、お二人は実の夫婦です。中右と下はユージン・オニール作(北村喜八氏訳)の「毛猿」です。

雑誌裏表紙「マリオン・デヴィス嬢"Marion Davies"」(1927)

マリオン・デヴィス嬢1927jul

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)七月號の裏表紙より、「マリオン・デヴィス嬢」です。マリオン・デイヴィス"Marion Davies"(1897-1961)さんは米国ニューヨーク市ブルックリン生まれ。小さい頃から女優に憧れ1916(大正5)年に舞台デビュー、ブロードウェイに出演中に新聞王ハースト氏の目に留まり愛人となり、映画界に入ります。愛人の資金によって多くの映画に主演しましたが、その多くが不評だったようです。1937(昭和12)年にハースト氏の事業破綻に伴い映画界を引退します。

雑誌「劇と映画"The Play & Movie" 七月號」(1927)

劇と映画昭和二年七月號1927jul

 1927(昭和2)年発行の雑誌「劇と映画」"The Play & Movie" 七月號(国際情報社)です。表紙は豊原国周(1835-1900)画「坂東三津五郎の團七島のお梶」です。
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