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雑誌記事「築地小劇場・五郎と澤正」(1927)

築地小劇場他1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號の記事より「築地小劇場・五郎と澤正」です。写真上と中右が築地小劇場のチェホフ作「櫻の園」(小山内薫演出)です。中左は五郎こと曾我廻家五郎さんの邦樂座公演「金!金!金!」、下は帝国劇場公演「白野辯十郎」に主演している澤田正二郎さんの楽屋を訪れた砂田駒子さんです。
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雑誌グラビア「森 静子 嬢」(1927)

森静子1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號のグラビア記事より「時代劇の花形・森静子嬢」です。時期的に阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画「狂乱星月夜」(悪麗之助監督)の頃でしょうか。

雑誌記事「日活映畫新作」(1927)

日活映画1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號の記事より日活映畫新作紹介です。右上は「彼をめぐる五人の女」(阿部豊監督)の岡田時彦さんと徳川良子さん、左上は「忠次旅日記」(伊藤大輔監督)の市川市丸さんと木下千代子さん、中は「椿姫」(村田実監督)の岡田嘉子さん(JMDBでは夏川静江さんが主役となっています)。右下は「獅子吼(JMDBでは『鬼傑の叫び』)」(若山治監督)の河部五郎さん、左下は「奔馬」(若山治監督)の伊藤みはるさんと大久保謙治さんです。

雑誌グラビア「グロリア・スワンスン嬢"Gloria Swanson"」(1927)

グロリア・スワンソン1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號のグラビア記事より「グロリア・スワンスン嬢」です。この写真は「サンヤ/五つの魂を持つ女"The Love of Sunya"」(Albert Parker監督)の一場面です。グロリア・スワンソン"Gloria Swanson"(1899-1983)さんは米国シカゴ生まれ。学校を卒業後デパート店員をしていましたが1914(大正3)年から映画のエキストラをするようになり、1916(大正5)年にロサンゼルスに移り、マックセネットコメディに出演、1919(大正8)年にパラマウント映画に移籍してセシル・B・デミル監督に見出されスターとなりました。

雑誌記事「松竹映畫新作」(1927)

松竹映画1927apr
 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號の記事より松竹映畫新作紹介です。右上は「小松嵐馬子のお時」(吉野二郎監督)(JMDBでは「馬子のお時」)の川田芳子さんと藤野秀夫さん、左上は「女」(島津保次郎監督)の筑波雪子さんと小村新一郎さん、中は「昭和時代」(牛原虚彦監督)の鈴木伝明さん、下右は「深窓の美女」(大久保忠素監督)(JMDBでは「やきもち」)の横尾天海(泥海男)さん、下左は「艶魔」(重宗務監督)の柳咲子(さく子)さんです。

雑誌グラビア「原 光代 嬢」(1927)

原光代1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號のグラビア記事より「原光代嬢」です。原光代(1902-?)さんは1923(大正12)年に小笠原プロダクションから映画デビューし、その後日活大将軍撮影所に移りましたが、1928(昭和3)年以降の消息はわかりません。

雑誌グラビア「トルストイ翁の原作『復活』」(1927)

復活1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號のグラビア記事より「トルストイ翁の原作『復活』」(Edwin Carewe監督)です。写真は主演のドロレス・デル・リオ"Dolores del Río"(1905-1983)さんとロッド・ラ・ロック"Rod La Rocque"(1898-1969)さんです。なお、溝口健二監督の「愛怨峡」はこのトルストイ作「復活」の翻案です。

雑誌グラビア「リリアン・ギッシュ嬢"Lillian Gish"」(1927)

リリアン・ギッシュ1927apr

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画"The Play & Movie"」(國際情報社刊)四月號のグラビア記事より「リリアン・ギッシュ嬢」です。リリアン・ギッシュ"Lillian Gish"(1893-1993)さんは米国オハイオ州生まれ、母親が女優で自身も5歳から舞台に立っていました。1915(大正4)年にグリフィス監督に見い出されて映画にデビューし、サイレント時代を代表する女優となりました。その後も90歳位まで膨大な作品に出演しました。

雑誌「劇と映画"The Play & Movie" 四月號」(1927)

劇と映画昭和二年四月號1927apr

 1927(昭和2)年発行の雑誌「劇と映画」"The Play & Movie" 四月號(国際情報社)です。表紙は豊原国周(1835-1900)画「梅幸百種の内黒手組助六」です。

雑誌グラビア「尾上榮三郎の『道成寺』」(1927)

道成寺1927feb

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画」(國際情報社刊)二月號のグラビア記事より「青年俳優寫眞紹繪/尾上榮三郎の『道成寺』」です。(七代目)尾上榮三郎(1900-1926)さんは六代目尾上梅幸さんの長男として生まれ、五台目尾上丑之助を経て父の名を襲いましたが、この本の前年に早世しました。

雑誌記事「築地小劇場・邦樂座」(1927)

築地小劇場1927feb

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画」(國際情報社刊)二月號の記事より「築地小劇場・邦樂座」の舞台写真です。上段は築地小劇場のゴーゴリ作「検察官」、中段は築地小劇場のカイザー作「平行」、下段は今の有楽町マリオン辺りにあった邦楽座の岸田國士作「屋上庭園」の澤正こと澤田正二郎さんと山路千枝子さんです。

雑誌記事「日活映畫新作紹介」(1927)

日活映画1927feb

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画」(國際情報社刊)二月號の記事より松竹映画の新作紹介です。右上は「心なき都」(徳永フランク監督)の對島ルイ子さん、砂田駒子さん、東勇治(勇路)さんです。左上と中は「新日本島」(ジャック・阿部豊監督)上が中野英治さんと高木永二さん、中が梅村蓉子さんと岡田時彦さんです。右下が「大前田英五郎」(高橋寿康監督)の大河内伝次郎さん、澤村春子さん、尾上松葉(子役)さんです。左下が「修羅王」(池田富保監督)の河部五郎さんです。

雑誌グラビア「伊藤みはる嬢」(1927)

伊藤みはる嬢1927feb

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画」(國際情報社刊)二月號のグラビア記事より「咲きでた名花・伊藤みはる嬢」です。伊藤みはる(1902-?)さんは山口県長府町生まれ、曾根崎高等女学校を卒業。1925(大正14)年に東邦映画「煙」で映画デビューし、1926(大正15)年に映画監督の伊藤大輔(1898-1981)さんと結婚しますがその後離婚します。1929(昭和4)年公開の松竹映画「斬人斬馬剣」出演後の詳細はわかりません。

雑誌記事「松竹映畫新作紹介」(1927)

松竹映画1927feb

 1927(昭和2)年に発行された雑誌「劇と映画」(國際情報社刊)二月號の記事より松竹映画の新作紹介です。右上は「東京夜話緋沙子の話」(池田義信監督)の三田英児さんと石河薫さん。左上と中は「九官鳥」(野村芳亭監督)の水谷八重子さんと渡邊篤さん。右下は「侠妓美彌吉」(重宗務監督)の柳咲子(さく子)さん。左下は「地下室」(蔦見丈夫監督)の諸口十九さんと松井千枝子さんです。

雑誌「劇と映画"The Play & Movie" 二月號」(1927)

劇と映画昭和二年二月號1927feb

 1927(昭和2)年発行の雑誌「劇と映画」"The Play & Movie" 二月號(国際情報社)です。表紙は豊原国周(1835-1900)画「河原崎権之助の阿部宗任」です。この雑誌は裏表紙がハリウッドスターになっていて、右綴じで見ると劇が、左綴じで見ると映画がメインになる様にリバーシブルな編集になっています。

広告「七ふく・ひゑくすり」(1928)

ひえくすり1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の広告より「七ふく・ひゑくすり」(七ふくや伊藤長兵衛)です。便通を良くすれば万病が治るという思想で江戸時代から家庭常備薬となりました。現在も七ふく製薬株式会社として同じ場所に存続しています。

広告「カガシクリーム」(1928)

カガシクリーム1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の広告より「カガシクリーム」(カガシ化粧品本舗)です。カガシ化粧品は丸善化粧品部と提携していたらしく、丸善ブランドでも供給していたか、丸善の製品をカガシブランドで供給していたかと思われます。会社名「ホルモン」としている資料もあり詳細は不明です。この流麗なフォントは商業デザイナーとして有名で当時社員として在籍していた藤原太一さんの作品でしょうか。

雑誌記事「日活ジヤズバンド」(1928)

日活ジャズバンド1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の記事より、「日活ジヤズバンド」です。メンバーは日活所属の俳優や監督で中野英治さん、伊藤隆世さん、島耕二(1901-1986)さん、沖悦二さん、千松實さん、川又堅太郎さん、東郷幸夫さん、谷幹一さんです。手前のダンサーはやはり日活所属女優の星ヘタヤ(星ヘヤタ表記あり)さんです。

雑誌記事「『道呂久博士』『霊の審判』」(1928)

道呂久博士&霊の審判1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の記事より、上は松竹蒲田映画「道呂久博士」(野村芳亭監督)の井上正夫さん、八雲恵美子さん、押本映二さんです。下は何と阪妻が大学生役をやった、阪妻プロ「霊の審判」(枝正義郎監督)の阪東妻三郎さんと森静子さんです。この映画は残念ながら完成せずお蔵入りになったようです。阪東妻三郎(1901-1953)さんは1916(大正5)年に高等小学校を卒業後歌舞伎界に弟子入りしました。1919(大正8)年に映画デビューしますが全く売れず旅回りの芝居一座などもやっていました。1923(大正12)年にマキノプロダクションに入社すると一気に人気スターになりました。その後阪妻プロを立ち上げて松竹と提携し、阪妻プロ解散後は日活、大映、松竹と渡り歩きました。1953(昭和28)年に撮影中に倒れ、51歳の若さで亡くなりました。

雑誌記事「日活映畫新作」(1928)

日活映画1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の記事より日活映画の新作紹介です。右上は「出世二人小僧」(伊奈精一監督)の伏見信子さん。左上は「花嫁花婿再婚記」(阿部豊監督)の伏見直江さんと岡田時彦さん。中が「幸運」(木藤茂監督)の北原夏江さん。下が「無鐵砲」(田坂具隆監督)の夏川静江さんと中野英治さんです(JMDBのタイトルは「無鉄砲時代」)。

雑誌記事「松竹蒲田映畫新作紹介」(1928)

松竹蒲田映画2_1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の記事より松竹蒲田映画の新作紹介(その2)です。上は「故郷の空」(大久保忠素監督)の高尾光子さん。中右は「活動狂時代」(斎藤寅次郎監督)の渡邊篤さんと久米順子さん(JMDBでは「活動狂」というタイトル)。中左は「不滅の愛」(重宗務監督)の田中絹代さん、川田芳子さん、岩田祐吉さん。下は「弱き者」(島津保次郎監督)の瀧田静枝さんと若葉信子(稲垣きくの)(1906-1987)さんです(JMDBでは「弱き人々」というタイトル)。

雑誌記事「松竹蒲田映畫『感激時代』『チンドン屋』」(1928)

松竹蒲田新作1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の記事より松竹蒲田映画の新作紹介です。上段は「感激時代」(牛原虚彦監督)で鈴木伝明さんと田中絹代さんと松井千枝子さんです。下段は「チンドン屋」(斎藤寅二郎監督)で後の上原謙さんの奥様で加山雄三さんのお母様となる小桜葉子さんと小藤田正一さんです。

雑誌グラビア「松竹蒲田映畫『海に叫ぶ女』(柳さく子)」(1928)

柳さく子1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號のグラビア記事より、松竹蒲田映畫「海に叫ぶ女」(清水宏監督)です。写真はお濱役の柳さく子さんです。

雑誌グラビア「櫻木梅子」(1928)

桜木梅子1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號のグラビア記事より「紅雪乱舞・櫻木梅子」です。写真は日活映画「紅雪乱舞」(清瀬英治郎監督)の侠客の娘お夏役の櫻木梅子さんです。桜木梅子(1908-?)さんは横浜市生まれで、高等女学校を中退後、1925(大正14)年に松竹蒲田に入社、同年日活に移籍し、映画デビューしました。1928(昭和3)年に共演俳優の桂武男(1906-?)さんと結婚し日活を退社、谷崎プロを経てマキノプロダクションに移り1931(昭和6)年の解散時まで在籍しました。その後は赤沢映画、阪妻プロ、日活と1937(昭和12)年までは映画出演を続けていましたが、その後の消息は不明です。

広告「朝日乾電池」(1928)

朝日乾電池1928mar

 1928(昭和3)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)三月號の広告より、「朝日乾電池」(松本乾電池製造所)です。松本乾電池製造所は発明家の松本亀太郎さんが1914(大正3)年に設立しましたが、昭和の恐慌で経営が行き詰まり、救済の形で1929(昭和4)年に松下電器の傘下に入ります。その後戦時統制のため1942(昭和17)年に完全に合併されました。

雑誌グラビア「高島愛子」(1926)

高島愛子1926apr

 1926(大正15)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)四月號のグラビア記事より、「高島愛子」さんです。日活京都第二からアヅマプロダクションに移籍した直後のお姿になります。

雑誌記事「栗島すみ子・岩田祐吉」(1926)

栗島すみ子1926apr

 1926(大正15)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)四月號の記事より「栗島すみ子・岩田祐吉」です。右は松竹映画「死の子守唄」(池田義信監督)の栗島すみ子さん。左は松竹映画「廣瀬中佐」(蔦見丈夫監督)の岩田祐吉(1887-1980)さんです。岩田さんは岐阜県大垣市の呉服屋の息子として生まれますが中学卒業後に店が倒産、中国にわたりますがその後東京俳優学校に入学し1911(明治44)年に卒業後、新派劇に出演するようになります。1920(大正9)年に松竹キネマ設立と同時に入社して映画俳優になり、人気スターとなります。

雑誌グラビア「夏川静江」(1926)

夏川静江1926apr

 1926(大正15)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)四月號のグラビア記事より、「夏川静江」さんです。日活映画「日輪」の舞台衣装での写真です。

雑誌記事「映畫新作紹介」(1926)

日活映画1926apr

 1926(大正15)年に発行された雑誌「芝居とキネマ」(大阪毎日新聞社刊)四月號の記事より「映畫新作紹介」です。上右が日活映畫「美しき犠牲」(JMDBでは「黎明の唄」(楠山律監督))の岡田時彦さんと徳川良子さん、その左が帝キネ「悲しき秀勇」(松本英一監督)の澤蘭子さん、真中が日活映畫「探偵令嬢」(楠山律監督)の浦辺粂子さんと谷幹一さん、下左が東亜等持院「歸つて來た英雄」(仁科熊彦監督)の高木新平さんです。
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