雑誌記事「清水宏の新作」(1942)

清水宏の新作1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より「清水宏の新作」です。これは同年公開された松竹映画「兄妹会議」(清水宏監督)です。写っているのは三浦光子さんと、佐野周二さんです。
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広告「藥用ダイナークリーム」(1942)

ダイナークリーム1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の広告より、「藥用ダイナークリーム」(ダイナー本舗)です。この会社の詳細はわかりません。

雑誌記事「男の意氣(その2)」(1942)

男の意気(その2)1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より松竹映画「男の意氣(その2)」(中村登監督)です。写っているのは川崎弘子さんと、上原謙さんと、徳大寺伸さんです。

雑誌記事「男の意氣(その1)」(1942)

男の意気(その1)1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より松竹映画「男の意氣(その1)」(中村登監督)です。写っているのは主演の木暮実千代さんです。廻船問屋の女番頭という役所で、右上は姉役の川崎弘子さんと一緒です。

広告「アミノ洗粉/アイデアル・スキンコロン」(1942)

アミノ洗粉/アイデアル1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の広告より、「薬用アミノ洗粉」(寳製藥株式會社)と「アイデアル・スキンコロン」(高橋東洋堂)です。宝製薬は1935(昭和10)年に味の素株式会社の子会社として設立され、現在も味の素ヘルシーサプライ株式会社として存続しています。

雑誌記事「多摩川便り」(1942)

多摩川便り1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より「多摩川便り」です。多摩川というのは大映の多摩川撮影所の事です。上は五所平之助監督の「新雪」撮影風景です。上の写真は右より石黒達也さん、國分みさをさん、五所監督、美鳩まりさん、千明明子さん、光川京子さんです。下は「海猫の港」(千葉泰樹監督)で姫美谷接子さんです。

雑誌記事「南の風(その2)」(1942)

南の風(その2)1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より松竹映画「南の風」(吉村公三郎監督)(その2)です。写っているのは右上が佐分利信さん、左上が水戸光子さんです。下二枚は「暖流」でデビューした文谷千代子(1922-)さんで、戦後も小津映画を始めとした多くの映画に出演しました。

雑誌記事「南の風(その1)」(1942)

南の風(その1)1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より松竹映画「南の風」(吉村公三郎監督)です。写っているのは佐分利信さんと高峰三枝子さんです。左上は笠智衆さんです。

雑誌記事「慰問袋(その2)高峰秀子・マキノ正博」(1942)

慰問袋2_1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より「慰問袋」(その2)です。東宝映画「婦系図」撮影中の高峰秀子さんとマキノ正博監督です。

雑誌記事「慰問袋(その1)高峰秀子」(1942)

慰問袋1_1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より「慰問袋」(その1)です。撮影所での高峰秀子さんのスナップです。

雑誌記事「思ひ出の記」(1942)

思ひ出の記1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より大映「思ひ出の記」(小崎政房監督)です。写真は琴糸路さんと逢初夢子さんです。この映画は徳富蘆花さんの同名小説の映画化です。琴糸路(1911-1956)さんは東京本郷生まれ、小さい頃から踊りを習い、浅草の舞台で踊っていました。1928(昭和3)年に河合プロダクション(後の大映)にスカウトされて映画デビュー、一躍悲劇女優としてスターになりました。1944(昭和19)年に映画界を引退しました。

雑誌記事「南の風」(1942)

記事「南の風」1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の記事より松竹映画「南の風」(吉村公三郎監督)の一場面です。演じているのはお金持ちのお坊ちゃん役の佐分利信さんとおでん屋の女将を演じている高峰三枝子さんです。

広告「ヘチマコロン・スマイル」(1942)

ヘチマコロン・スマイル1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の広告より「ヘチマコロン」(近源商店)「スマイル」(玉置商店)です。太平洋開戦後半年以上経っていますが、まだ広告などはのんびりしています。

広告「南の風」(1942)

南の風1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號の裏表紙広告より松竹映画「南の風」(吉村公三郎監督)です。写っているのは主演の佐分利信さんと高峰三枝子さんです。原作の獅子文六(1893-1969)さんは横浜の絹織物商の息子に生まれ、慶応大学に進学するも中退し、フランスに留学して演劇を学びました。留学先でフランス人と結婚し、帰国後娘をもうけますが妻は病死し、日本人と再婚しました。演出家、小説家として有名になり1937(昭和12)年には文学座の設立に携わり、戦後も人気作家として活躍し、1969(昭和44)年には文化勲章を受章しました。

雑誌「新映画7月號」(1942)

新映画1942jul

 1942(昭和17)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)7月號です。表紙は森雅之さんと原節子さんです。森雅之(1911-1973)さんは作家の有島武郎(1878-1923)さんの息子として札幌で生まれ、成城高校在学中1930(昭和5)年に築地小劇場で舞台デビューし、1931(昭和6)年に京都帝国大学に入学しますが、中退します。胸部カリエスで闘病後、1937(昭和12)年に本格的に俳優となり、1942(昭和17)年には映画にもデビューしました。戦後は黒澤明監督作品に多く出演しました。

広告「眼科藥スマイル」(1940)

スマイル1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の広告より「眼科藥スマイル」(株式會社玉置商店)です。記事内の隅に置かれるカット広告二点です。

広告「ビオフェルミン」(1940)

ビオフェルミン1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の広告より「ビオフェルミン」(武田長兵衛商店)です。1781(天明元)年に薬種問屋の近江屋が現在の大阪市中央区に出店し、1925(大正14)年に株式會社武田長兵衛商店を設立、1943(昭和18)年に武田薬品工業株式會社に商号を変えて現在に至ります。

雑誌記事「春の大船」(1940)

春の大船1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の記事より、松竹大船撮影所の新作紹介「春の大船」です。上二枚が水戸光子さん佐分利信さん主演の「花の雷雨」(佐々木啓祐監督)、下の写真が田中絹代さん夏川大二郎さん主演の「暁に祈る」(佐々木康監督)です。右端は田中絹代さんの妹役の汀陽子さんです。伊東久男さんの歌うこの映画の同名の主題歌は大ヒットしました。

広告「ローヤルデークリーム」(1940)

ローヤルデークリーム1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の広告より「ローヤルデークリーム」(株式會社佐々木商店)です。記事中の1/4広告です。良く見ると女の子の髪型が、ある国民的マンガのずぼらな主人公と同じです。

雑誌記事「カツスル夫妻」(1940)

アステア&ロジャース1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の記事より、RKO映画「カッスル夫妻"The Story of Vernon and Irene Castle"」より主演のフレッド・アステアさんとジンジャー・ロジャースさんです。二人はこの映画を最後にコンビを解消します。昭和15年になってもまだ米国映画は封切られています。下半分は松坂屋名古屋店の広告です。広告のお店の内、コロンバンと虎屋は現在も出店しています。残りの佃煮の有明家と昆布の松前屋も現在存続しています。

雑誌記事「原節子、宮城千賀子」(1940)

原節子1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の記事より、「原節子、宮城千賀子」です。上は原節子さん、下は日活映画「宮本武蔵」の打ち合わせ中の片岡千恵蔵さん、稲垣浩監督、宮城千賀子さんです。

雑誌記事「入江たか子、原節子、日暮里子」(1940)

入江たか子1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の記事より、「入江たか子、原節子、日暮里子」です。上が東宝の撮影所の入江たか子さん、右下が「嫁ぐ日まで」の原節子さん、下中が「妻の場合」の入江たか子さん、下左が「女は泣かず」の日暮里子さんです。

雑誌グラビア「マデリーン・キャロール"Madeleine Carrol"」(1940)

マデリーン・キャロル1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號のグラビア記事より「マデリーン・キャロール」さんです。マデリーン・キャロル"Madeleine Carrol"(1906-1987)さんはイギリスのウェスト・ブロムウィッチ生まれ、バーミンガム大学を卒業後、演劇界へ。1931(昭和6)年に結婚のため一時引退するも1933(昭和8)年にカムバックし、1935(昭和10)年にヒッチコック監督の「三十九夜」でスターになり、1936(昭和11)年以降はハリウッドで活躍しますが、1940(昭和15)年に妹を亡くしてからはヨーロッパで看護婦となり、レジオンドヌール勲章を授与されました。戦後もラジオやテレビで活躍しました。

広告「妻の場合」(1940)

妻の場合1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の表紙裏広告より東宝映画「妻の場合」(佐藤武監督)です。主演は入江たか子さん、高田稔さんです。監督の佐藤武(1903-1978)さんは東京目黒生まれ、1932(昭和7)年に松竹に入社して映画界に入り、1938(昭和13)年に東宝に移籍し監督に昇進しました。戦後は新東宝で活躍しています。

広告「オリムピア」(1940)

オリムピア1940mar

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號の裏表紙広告より「オリムピア」(レーニ・リーフェンシュタール監督)です。ベルリンオリンピックの記録映画として有名な作品です。「民族の祭典」と「春の祭典」の二部構成になっています。

雑誌「新映画4月號」(1940)

新映画1940apr

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)4月號です。表紙は「ベティ・デイヴィス"Bette Davis"」さんです。

雑誌記事「マリーネ・デイトリツヒ/マーナ・ロイ」(1940)

マレーネ・ディートリッヒ&マーナ・ロイ1940mar

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)3月特別號のグラビア記事より「マリーネ・デイトリツヒ/マーナ・ロイ」さんです。マレーネ・ディートリッヒ"Marlene Dietrich"(1901-1992)さんはドイツのベルリン生まれ、父を早くに亡くし生活のために酒場で歌ったりしていた。バイオリニストを目して音楽学校に入学するも手首を痛めて挫折し、演劇学校に入り直します。その後演劇・映画界に入り、1930(昭和5)年「嘆きの天使」で一躍スターになります。同年ハリウッド進出し、1939(昭和14)年にナチスを嫌ってアメリカ市民権を得ます。

雑誌記事「新作邦画紹介」(1940)

新作邦画紹介1940mar

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)3月特別號の記事より「新作邦画紹介」です。右半分二枚は東宝映画「化粧雪」(石田民三監督)です。主演は山田五十鈴さん、上で一緒にいるのは清川虹子(1912-2002)さんです。左上は松竹映画「私には夫がある」(清水宏監督)の貫禄たっぷりの清水宏(1903-1966)さんと田中絹代さんです。左下は東宝映画「お轉婆社長」(藤田潤一監督)の江戸川蘭子さんです。
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