広告「女の教室」(1939)

女の教室1939sep

 1939(昭和14)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)九月號の表紙裏広告より東宝映画「女の教室」(阿部豊監督)です。中央が主演の原節子さんです。原作は当時少女小説家として絶大な人気があった吉屋信子さんです。
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広告「地中海"Nitchevo"」(1939)

地中海1939sep

 1939(昭和14)年に発行された雑誌「新映画」(新映畫社刊)九月號の裏表紙広告より「地中海"Nitchevo"」(ジャック・ド・バロンセリ監督)です。1936(昭和11)年に公開されたフランス映画でアリ・ボール、マルセル・シャンタル、リゼット・ランヴァン、ジョルジュ・リゴーの四スターが主演する映画です。

広告「眞人間"You and Me"」(1939)

真人間1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號のパラマウント映画広告より「眞人間"You and Me"」(フリッツ・ラング監督)です。フリッツ・ラング"Friedrich Christian Anton 'Fritz' Lang"(1890-1976)監督はオーストリア生まれであの「メトロポリス」(1927)の監督でもあります。ユダヤ系のラング監督はナチスが政権を取った後、フランスを経由してアメリカに亡命し、ハリウッドに迎えられました。

雑誌グラビア「マーナ・ロイ"Myrna Loy"」(1939)

マーナ・ロイ1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號のグラビア記事より「マーナ・ロイ」さんです。マーナ・ロイ"Myrna Loy"(1905-1993)さんは米国モンタナ州生まれ。父親がスペイン風邪で急逝したためロサンゼルスに移住し、ハイスクール卒業後ダンス教師として自活していましたところをスカウトされ、1925(大正14)年に映画デビューしました。最初は妖婦役が多かったのですが、その後良妻賢母役が中心となり戦前の日本でも大変人気がありました。

広告「カッピー純精蜂蜜クリーム」(1939)

カッピクリーム1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「國産カッピー純精蜂蜜クリーム」(田端豊香園)です。「はつあき心うるむこの頃愉しきはカツピーの香り。」

雑誌グラビア「ナンシー・ケリー"Nancy Kelly"」(1939)

ナンシー・ケリー1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號のグラビア記事より「ナンシー・ケリー」さんです。女優のナンシー・ケリー"Nancy Kelly"(1921-1995)さんは米国マサチューセッツ州ローウェル生まれ。5才の時から子役としてデビューし、戦前戦後多くの映画や舞台に出演しトニー賞やアカデミー主演女優賞ノミネートを受けています。

広告「ナルビー・水白粉・粉白粉」(1939)

ナルビー水白粉粉白粉1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「ナルビー・水白粉・粉白粉」(鈴木福次郎商店)です。モデルは映画「オーケストラの少女」で一躍人気スターとなったディアナ・ダービン"Deanna Durbin"(1921- )さんです。

雑誌記事「フランク・キャプラ監督」(1939)

フランク・キャプラ監督1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より「ちよいとテれました・・・」です。写っているのはフランク・キャプラ"Frank Capra"監督(1897-1991)です。彼はイタリアのシチリア島の生まれで6才のときに家族でアメリカに移住、苦学してカリフォルニア工科大学から陸軍に入りますが1918(大正7)年にスペイン風邪にかかり除隊。その後シナリオ学校から独立系の映画会社に入社、作品が認められ1928(昭和3)年にコロムビア映画に招かれました。そこでアカデミー賞を幾つも獲得し、この写真は「スミス都へ行く」の監督中です。その後ワーナーブラザースに移籍、戦争中は陸軍で働き、戦後は独立系の映画スタジオをおこしますが。あまり上手く行かず1964(昭和39)年に引退します。

広告「ヘチマコロン」(1939)

ヘチマコロン1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の表紙裏広告より「ヘチマコロン」(近源商店)です。「コロンは純國産品 日本人の肌に一番適ひ効用効果萬能、一家に一瓶の必需品です!」とうたっていますが、イラストは?

広告「テルミーウェーブセットローション」(1939)

テルミーウェーブセットローション1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「テルミーウェーブセットローション」です。販売元のテルミー本舗と製造元のテルミー化粧品は1930(昭和5)年に設立されて、現在も大阪地区で美容院チェーンとして存続しています。

雑誌記事「邦画新作(その2)」(1939)

邦画新作2(1939)nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より「邦画新作」です。上から東宝映画「白蘭の歌」(渡辺邦男監督)の長谷川一夫さんと李香蘭さん、松竹映画「残菊物語」(溝口健二監督)の花柳章太郎さん、東宝映画「その前夜」(萩原遼監督)の高峰秀子さんと河原崎長十郎さん、松竹映画「波濤」(原研吉監督)の桑野通子さんと木暮実千代さんです

広告「光と影」(1939)

光と影1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の東宝映画広告より「光と影」(島津保次郎監督)です。1940(昭和15)年1月に公開された島津保次郎監督の東宝移籍第一回作品となります。

雑誌記事「馬上に楽しき秋」(1939)

馬上に楽しき秋1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より「馬上に楽しき秋」です。モデルは槇芙佐子さんです。乗馬用ズボンと長靴で四十円、乗馬クラブの会費は月十五円だそうです。

広告「東京の女性」(1939)

東京の女性1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の東宝映画広告より「東京の女性」(伏見修監督)です。原作は丹羽文雄(1904-2005)さんの同名小説です。主演の原節子さんが自動車を颯爽と乗り回すセールスレディを演じています。

雑誌記事「邦画新作」(1939)

邦画新作1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より「邦画新作」です。上から日活多摩川映画「土と兵隊」(田坂具隆監督)の小杉勇さん、井染四郎さん、菊池良一さん、右下は東宝映画「東京の女性」(伏見修監督)の原節子さん、立松晃さん、左下は松竹映画「姉の秘密」(大庭秀雄監督)の三浦光子さん、森川あさみさんです。

広告「婦人良藥・中将湯」(1939)

中将湯1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「中将湯」(津村順天堂)です。「強く美しく/そのために服むべき中将湯!」

広告「土と兵隊」(1939)

土と兵隊1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の日活映画広告より「土と兵隊」(田坂具隆監督)です。原作の火野葦平(1907-1960)さんは福岡県生まれ、早稲田大学中退後応召、除隊後書いた小説が1937(昭和12)年度の芥川賞を受賞しますが、授賞式が再召集された戦地で行われて話題になりました。その後兵隊作家として有名になり、除隊後も従軍作家として活躍しました。戦後は一時期公職追放になりましたが、多くのベストセラーを執筆しました。

雑誌記事「内田百間氏を訪ねて」(1939)

内田百閒1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「内田百間氏を訪ねて」です。内田百間(戦後、百閒と改名)(1889-1971)氏は岡山市生まれ、岡山中学から第六高校を経て東京帝国大学に入学し、1914(大正3)年に文学部独文科を卒業、陸軍士官学校や海軍機関学校のドイツ語教師、後に法政大学の教授も歴任します。1933(昭和8)年から文筆業に専念し、1939(昭和14)年から日本郵船の嘱託となります。写真は日本郵船社内の仕事場です。

雑誌記事「高野由美・素描」(1939)

高野由美・素描1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「高野由美・素描」です。高野さん22才のお姿です。

広告「香り豊かな季節の寵児・日東紅茶」(1939)

日東紅茶1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「香り豊かな季節の寵児・日東紅茶」(三井物産株式會社/日東拓殖農林株式會社)です。モデルは三浦光子さんです。

雑誌記事「秋闌けて」(1939)

秋闌けて1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「秋闌けて」です。モデルは水戸光子さん、三浦光子さん、高峰秀子さんです。「闌ける」は現在「長ける」と表記する方が多いようです。秋たけなわという意味でしょうか。

雑誌記事「中里恒子女史を訪ねて」(1939)

中里恒子女史を訪ねて1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「中里恒子女史を訪ねて」です。小説家の中里恒子(1909-1987)さんは。神奈川県藤沢市生まれ、横浜の山手紅蘭女学校(現在の横浜雙葉学院)を震災の影響で転校して川崎実科女学校を卒業、横光利一氏に師事、1928(昭和3)年に結婚した後、主婦作家としてデビューしました。1939(昭和14)年に「乗合馬車」で第八回芥川賞を(女流としては初)受賞しました。

広告「井筒香油」(1939)

井筒香油1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「井筒香油」(井筒藥粧)です。モデルは山田五十鈴さんです。

雑誌記事「三宅邦子」(1939)

三宅邦子1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「三宅邦子」さんです。「松竹入社當時の彼女は、その特異な容貌のため、撮影所の誰彼から黙殺されて一瞥さへ與へられなかつた。その頃から、城戸所長は彼女の今日あるを見越してゐたと云ふ。「兄とその妹」邊りから彼女の演技は一段と圓熟してきた。」

雑誌記事「伊東深水畫伯を訪ねて」(1939)

伊東深水畫伯を訪ねて1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「伊東深水畫伯を訪ねて」です。池上本門寺近くの伊東画伯の御自宅兼アトリエを訪ねてのインタビュー記事です。伊東深水(1898-1972)さんは東京深川生まれ、小学校在学中に看板屋に奉公に出、1908(明治41)年に深川にあった東京印刷株式會社の活字工となります。その頃、日本画家の中山秋湖氏に日本画を習い、1911(明治44)年に鏑木清方画伯に入門、その後数々の展覧会に入賞し、1914(大正3)年に東京印刷を退社し、日本画家となります。本妻の好子さんをモデルとした美人画で一躍人気となりました。ちなみに料亭「勝田」の女将、勝田麻起子さんとの間にもうけた娘が女優の朝丘雪路(1935-)さんです。

広告「丹頂チック(福本泰子)」(1939)

丹頂チック1939nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の広告より「丹頂チック」(金鶴香水株式會社)です。モデルは日劇ダンシングチームの福本泰子さんです。

雑誌記事「バイクにはずむ(その3)」(1939)

バイクにはずむ3(1939)nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「バイクにはずむ(その3)」です。モデルは引き続き東宝所属の堤真佐子さん、梅園龍子さん、戸川弓子さん、菊川郁子さんです。

雑誌記事「バイクにはずむ(その2)」(1939)

バイクにはずむ2(1939)nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「バイクにはずむ(その2)」です。モデルは引き続き東宝所属の堤真佐子さん、梅園龍子さん、戸川弓子さん、菊川郁子さんです。

雑誌記事「バイクにはずむ」(1939)

バイクにはずむ(1939)nov

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「バイクにはずむ」です。モデルは東宝所属の堤真佐子さん、梅園龍子さん、戸川弓子さん、菊川郁子さんです。

雑誌記事「内田吐夢・轟夕起子・小津安二郎」(1939)

雑誌記事「内田吐夢・轟夕起子・小津安二郎」(1939)

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號の記事より、「内田吐夢・轟夕起子小津安二郎」です。兵役が明けた小津安二郎さんが日活撮影所を訪れて内田監督と轟夕起子さんとスナップ写真を撮っています。内田吐夢(1898-1970)さんは岡山生まれ、尋常小学校在学中に横浜に奉公に出、1920(大正9)年に大正活映に入社、その後牧野教育映画、旅回りの役者などを経て1926(大正15)年に日活京都大将軍に入社。翌年には監督に昇進し人気作品を生み出していきます。新興キネマから日活多摩川を経て満州映画協会で終戦を迎え戦後まで中国に抑留、1954(昭和29)年に復員して東映に入社し時代劇大作を多く監督しました。
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