雑誌「映画之友(昭和十四年十一月號)」(1939)

映画之友昭和十四年十一月號

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」十一月號です。表紙は「シモーヌ・シモン"Simone Simon"」さんです。
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広告「ロイドのエヂプト博士」(1939)

ロイドのエヂプト博士1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の映画広告より「ロイドのエヂプト博士"Professor Beware"」(E. Nugent監督)です。主演はもちろんハロルド・ロイド"Harold Lloyd"さんです。「エヂプト考古學に熱中したロイドの超脱線ぶり!!これは世界最新最高の、新春唯一の初笑ひ映画!!」

雑誌記事「邦画新作」(1939)

雑誌記事「邦画新作」(1939)

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の記事より「邦画新作」です。右上から日活京都映画「弥次喜多道中記」(マキノ正博監督)より杉狂児さんと片岡千恵蔵さん、東宝映画「胡椒息子」(藤田潤一監督)より徳川夢声さん、松竹映画「長期頑張り娘」(野村浩将監督)より佐分利信さんと高杉早苗さん、松竹映画「日本人」(島津保次郎監督)より高杉早苗さんです。

広告「中将湯」(1939)

中将湯1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の広告より「中将湯」(津村順天堂)です。モデルは山田五十鈴さんです。「寒ければ寒いほど目立って効く」

広告「さくらシネフヰルム」(1939)

さくらシネフィルム1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の広告より「さくらシネフヰルム」(小西六)です。すでに8ミリフィルムが売り出されています。1932(昭和7)年にコダックが売り出したダブル8規格のものと思われます。

雑誌記事「花井蘭子・高野由美」(1939)

花井蘭子・高野由美1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「花井蘭子高野由美」です。お正月号という事で、晴れ着のスナップショットです。

雑誌「映画之友(昭和十四年一月號)中表紙」(1939)

映画之友昭和十四年一月號中表紙1939

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の中表紙です。無署名のイラストが書かれています。「日比谷公園から日比谷映画劇場を望む」とあります。

雑誌記事「花柳小菊・高杉早苗」(1939)

花柳小菊/高杉早苗1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「花柳小菊・高杉早苗」です。花柳小菊(1921-2011)さんは東京市京橋区生まれ。尋常小学校を卒業後、芸者になるべく神楽坂で半玉になったところをマキノ正博さんにスカウトされ、日活多摩川に入社しました。戦前戦後を通して主に時代劇で活躍しました。

雑誌記事「『爆音』信州ロケを見る(その2)」(1939)

田坂具隆監督1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「『爆音』信州ロケを見る」です。手前が小杉勇(1904-1983)さん、その後ろが田坂具隆(1902-1974)さんです。小杉勇さんは石巻商業学校卒業後、日本橋白木屋デパートに就職しますが、1923(大正12)年に日本俳優学校設立とともに入学し、1925(大正14)年に日活京都に入社しスターとなります。戦後は映画監督に転身しました。田坂具隆さんは広島県の生まれ、京都の旧制第三高校を経済的事情のため中退した後、新聞記者を経て1924(大正13)年、日活大将軍撮影所に助監督として入社しました。昭和13(1938)年には「五人の斥候兵」で、昭和14(1939)年には「土と兵隊」でヴェネツィア国際映画祭で連続受賞しました。終戦直前召集された広島で原爆に遭い、その経験が戦後の作品に影響を与えたと言われています。

雑誌記事「『爆音』信州ロケを見る」(1939)

爆音1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「『爆音』信州ロケを見る」です。この年公開の日活映画「爆音」(田坂具隆監督)のロケ風景です。「柿をパクつく轟。」だそうです。

広告「日東紅茶」(1939)

日東紅茶1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の広告より「日東紅茶」(三井物産株式會社/日東拓殖農林株式會社)です。社名が日東拓殖農林に変わっています。「先づ世界市場で名を擧げた日本最良紅茶です!」

雑誌記事「横光利一氏を訪ねて」(1939)

横光利一1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「文藝映画に感あり・横光利一氏を訪ねて」です。横光利一(1898-1947)さんは昭和初期に川端康成さん等とともに「新感覚派」で活躍した小説家です。三重県第三中学から早稲田大学に進学するも経済的理由で中退しますが、師事した菊池寛さんの後押しもあって文壇デビューし人気作家となりました。

雑誌グラビア「古川登美」(1939)

古川登美1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「古川登美」さんです。新興キネマで1936〜1941年にかけて多くの映画に出演しています。

広告「丹頂チック」(1939)

丹頂チック1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の広告より「芽出たくて縁起のよい・丹頂チック」(金鶴香水株式会社)です。「今年も!丹頂の整髪で若く!溌剌と!」「國産最高基準品パリー製に優る」

雑誌グラビア「轟夕起子」(1939)

轟夕起子1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の雑誌記事より「轟夕起子」さんです。戦後は丸くふくよかになられますが、此の頃はまだスリムです。

広告「資生堂・新發賣」(1939)

資生堂1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の広告より「資生堂・新發賣」です。それぞれスキンクリーム、スキンローション、ウェーブローションです。

広告「新しいせき止め藥・ボンクーパー」(1939)

ボンクーパー1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の裏表紙裏広告より「ボンクーパー」(久能木本店)です。モデルは映画「オーケストラの少女」で一躍人気スターとなったディアナ・ダービン"Deanna Durbin"(1921- )さんです。

広告「ヘチマコロン」(1939)

ヘチマコロン1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の表紙裏広告より「ヘチマコロン」(近源商店)です。近源商店は天野源七商店が改名したものです。モデルは小町トシ子(1921-1946)さんです。東京神田に生まれ、長唄の名取であった父や兄から手ほどきを受け、1937(昭和12)年より日活多摩川に入社し、翌年まで3本ほどの映画に出演しましたが、12代目片岡仁左衛門(1882-1946)さんと結婚し引退しました。1946(昭和21)年に住み込みの門人によって夫や息子や女中達とともに斧で殺害されました。

広告「スマイル」(1939)

スマイル1939jan

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號の裏表紙広告より「スマイル」(株式會社玉置商店)です。モデルは高峰秀子さんです。「スキーだ・紫外線だ・スマイルだ」「お忘れなく此の一瓶を!」

雑誌「映画之友(昭和十四年一月號)」(1939)

映画之友昭和十四年一月號

 1939(昭和14)年発行の雑誌「映画之友」一月號です。表紙は「ドロシー・ラムーア "Dorothy Lamour"」さんです。中身の記事はまだまだハリウッドメインです。

広告「ナルビー・口紅・頬紅」(1938)

ナルビー口紅頬紅1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の広告より「ナルビー・口紅・頬紅」(鈴木福次郎商店)です。製造元はCastelle Co.と書いてありますが、詳細はわかりません。

広告「銀座屋ア・ラ・モード」(1938)

流行の店・銀座屋1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の広告より「流行界の王者/銀座屋ア・ラ・モード」です。装飾品や小物の通販広告です。銀座8丁目のお店なので現在で言えばコリドー街になるのでしょうか。

広告「井筒ポマード」(1938)

井筒ポマード1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の広告より「井筒ポマード」(井筒藥粧)です。広告主の人形町にあった井善さんは江戸時代から続く油問屋でした。

広告「綴方教室(高峰秀子)」(1938)

綴り方教室1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の広告より東宝映画「綴方教室」(山本嘉次郎監督)です。写っているのは主演の高峰秀子さんです。既に人気子役ではありましたが、この作品などにより大人の女優としても認められていくことになります。

雑誌記事「三味線やくざ・愛情一路・あゝ故郷・彼女は何を覺へたか」(1938)

1938年夏の日本映画

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の記事より「三味線やくざ・愛情一路・あゝ故郷・彼女は何を覺へたか」です。日活京都映画の「三味線やくざ」(衣笠十四三監督)は尾上菊太郎さんと近松里子さん、東宝映画の「愛情一路」(渡邊邦男監督)は岡譲二さんと霧立のぼるさん、新興映画の「あゝ故郷」(溝口健二監督)は河津清三郎さんと山路ふみ子さん、松竹映画の「彼女は何を覺へたか」(野村浩将監督)は佐野周二さんと高杉早苗さんがそれぞれ写っています。

広告「婦人良藥・中将湯」(1938)

中将湯1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の広告より「中将湯」(津村順天堂)です。モデルは高峰三枝子さんです。「これから寝冷え水冷えに御注意下さい」

雑誌記事「夏・帽子・女」(1938)

夏帽子女1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の記事より「夏・帽子・女」です。モデルは高杉早苗さん、村田知栄子さん、原節子さんです。

広告「純國産・日東紅茶」(1938)

日東紅茶1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號の広告より「純國産・日東紅茶」(三井物産株式會社/日本拓殖農林株式會社)です。「海 行かば/怒濤の人気/山 行かば/絶賛の嵐/日東紅茶!」だそうです。

雑誌記事「眞夏のパイロツト(その2)」(1938)

眞夏のパイロツト1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號のグラビア記事より「眞夏のパイロツト(その2)」です。モデルは豊島園のプールで戯れる高野由美さんと美鳩まりさん、海沿いに座る椿澄枝さん、縄跳びをする森川まさみ(1918-)さんです。森川まさみさんは三重県生まれ、1935(昭和10)年に桑名高女を卒業後、新派の舞台に立ち、1936(昭和11)年に松竹に入社して戦後まで活躍しました。

雑誌グラビア「永井荷風」(1938)

永井荷風1938aug

 1938(昭和13)年発行の雑誌「映画之友」八月號のグラビア記事より「フォトインタビュー:永井荷風氏を訪ねて」です。浅草の劇場「オペラ館」の楽屋にいた永井荷風さんを訪ねてインタビューしています。当時既に人気作家であった永井荷風さんですが、この劇場で上演されるオペレッタの台本なども書いていました。
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