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雑誌記事「山中貞雄・小津安二郎」(1937)

山中貞雄・小津安二郎1937sep

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號内の記事より、「我れ等のホープ!」です。写っているのは既にヒットメーカーである、山中貞雄監督と小津安二郎監督です。山中貞雄(1909-1938)さんは京都生まれ、京都一商を卒業後、先輩のマキノ正博さんを頼って1927(昭和2)年にマキノ御室に入社、翌年嵐寛寿郎プロに移籍し監督として人気を博しました。寛プロ解散後東亜キネマを経て1932(昭和7)年に日活に移籍しました。1937(昭和12)年に陸軍に召集され。翌年赤痢により戦病死しました。小津安二郎(1903-1963)さんは東京市深川区生まれ、旧制三重四中卒業後受験に失敗、代用教員を経て1923(大正12)年に松竹蒲田に入社し、戦前戦後を通して今も人気のある作品を沢山監督しました。
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雑誌記事「川崎弘子・竹久千恵子」(1937)

川崎弘子・竹久千恵子1937sep

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號内の記事より、川崎弘子さんと竹久千恵子さんです。薄幸の役が似合う川崎弘子さんのこのような満足げな笑顔の写真は珍しいかもしれません。

雑誌記事「入江たか子・高峰三枝子」(1937)

入江たか子・高峰三枝子1937sep

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號内の記事より、入江たか子さんと高峰三枝子さんです。入江さんがお持ちの二眼レフカメラはZeissIkon製のContaflexで、破格の2250円という価格がネタにされています。インフレで相対的に安くなったとは言え、現在の400万円くらいの価値になるのでしょうか。

広告「アイデアルコールドクリーム」(1937)

アイデアルコールドクリーム1937sep

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號内の広告より「アイデアルコールドクリーム」(高橋東洋堂製)です。「海でコールドなしとは あられもない」そうです。

広告「大帝の密使"Michael Strogoff"」(1937)

大帝の密使1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號の裏表紙裏広告より「大帝の密使"Michael Strogoff"」(ジョージ・ニコルズ・ジュニア監督)です。写っているのは「たそがれの維納」のアドルフ・ウォールブリュクさんとエリザベス・アランさんです。

広告「花の女王の粧ひ!レート白粉」(1937)

レート白粉1937sep

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號の表紙裏広告より「花の女王の粧ひ!レート白粉」(平尾賛平商店)です。「秋は美の収穫時です!爽やかな涼風にお化粧もお心のまゝ… 貴女の美しさもレート白粉で輝かせせう。」

広告「眼科藥スマイル」(1937)

スマイル1937sep

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」九月號の裏表紙広告より「スマイル」(株式會社玉置商店)です。玉置合名が株式会社化しています。「装置は 山と海/配光は 灼熱の太陽/スマイルの化粧が出来たら 夏の舞臺へ踊り出さうよ!」

雑誌「映画之友(昭和十二年九月號)」(1937)

映画の友(昭和12年9月号)

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號です。表紙は「ダニエル・ダリュー」さんです。ダニエル・ダリュー"Danielle Darrieux"(1917-)さんはフランス生まれで、14才のときに映画デビュー。1936(昭和11)年にシャルル・ボワイエさんと共演した「うたかたの恋」で国際的なスターとなりました。

雑誌グラビア「桑野通子」(1937)

桑野通子1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號のグラビア記事より「桑野通子」さんです。現在でも人気の高い彼女、22才の御姿です。

雑誌グラビア「霧立のぼる・花井蘭子」(1937)

霧立のぼる・花井蘭子1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號のグラビア記事より「霧立のぼる花井蘭子」です。その頃の映画雑誌では夏場に女優の水着姿が必須でした。

雑誌記事「白い花、青い花、赤い花」(1937)

田中絹代、江戸川蘭子1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號のグラビア記事より「白い花、青い花、赤い花」です。写真は田中絹代さん、江戸川蘭子(1913-1990)さんです。江戸川蘭子さんは日劇音楽舞踊学校を卒業後、多摩川京王閣を経て、1932(昭和7)年に松竹歌劇団(SKD)に入団、1936(昭和11)年に退団後、歌手としても活躍しながら、PCL(後の東宝)から映画デビューし、戦後まで歌手と女優として活躍しました。

雑誌グラビア「轟 夕起子」(1937)

轟夕起子1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號のグラビア記事より「轟 夕起子」さんです。寳塚少女歌劇団を退団して映画デビューしたばかりの、まだ二十歳の初々しいお姿です。

広告「資生堂の香水・七色粉白粉」(1937)

資生堂1937aug

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號内の広告より、「資生堂の香水/資生堂 七色粉白粉」です。「海にたゝ"よふかほりのリズム/若きあなたへの慕はしき香水」。花椿のマークや社名のロゴの字体も既に現在と同じデザインになっており、初代社長の福原信三さんの現代でも通用するセンスには恐れ入ります。

広告「レートクレーム"Creme de Lait"」(1937)

レートクレーム1937aug

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號の表紙裏広告より「レートクレーム」(平尾賛平商店)です。「陽焦けを防ぎお肌を美化する!」いつの時代でも美肌は女性の関心事です。

広告「踊らん哉"Shall We Dance"」(1937)

広告「踊らん哉

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號の裏表紙裏広告より「踊らん哉"Shall We Dance"」(マーク・サンドリッチ監督)です。この年に全米公開されたばかりのフレッド・アステア(1899-1987)さんとジンジャー・ロジャースさんのコンビによる七作目のミュージカル映画です。日本におけるアステア人気は戦前でも高く、浅草のレビューなどでまねをするダンサーが沢山いました。

広告「森永ミルクチョコレート」(1937)

森永ミルクチョコレート1937aug

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號の裏表紙広告より「森永ミルクチョコレート」です。「耳に海の響き!日に味の歡び!」

雑誌「映画之友(昭和十二年八月號)」(1937)

映画之友昭和十二年八月號(1937)

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」八月號です。表紙は「ジンジャー・ロジャース"Ginger Rogers"」さんです。このころの映画之友誌は洋画記事がメインで日本映画の記事は1/3程度です。

広告「丹頂チック」(1937)

丹頂チック1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號内の広告より「丹頂チック」(金鶴香水株式會社)です。以前に取り上げた広告の2年前になります。昔の男性はチックやポマードで完全に髪を固めていました。

広告「アダリン錠 (バイエル製)」(1937)

広告「アダリン錠(バイエル)」(1937)

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號内の広告より「アダリン錠」(独國バイエル製)です。ドイツのバイエル社の催眠鎮静剤とあります。作家の太宰治さんや芥川龍之介さんが常用していた事で有名です。青バス(都バスの前身)の裏面広告を広告にするという入れ子構造になっています。

雑誌記事「春はよぶ!」(1937)

春は呼ぶ1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の記事より「春はよぶ!」です。モデルは上から梅園龍子さん、堤真佐子さん、江戸川蘭子さん、山縣直代さんです。

広告「美と健康肌を創る!レートクレーム」(1937)

レートクレーム1937apr

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の表紙裏広告より「美と健康肌を創る!レートクレーム」(平尾賛平商店)です。「春の生命を……/お肌に甦らせて!/そして街や、野を/歩きましょう/レートクレームの/魅力の肌で………」

雑誌記事「ライカに描く撮影所スナップ」(1937)

ライカに描く撮影所スナップ1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の記事より「ライカに描く撮影所スナップ」です。内容は(1)「朱と緑」を監督する島津保次郎さん、(2)「愛怨峡」のリハーサル中の溝口健二監督、(3)「淑女は何を忘れたか」で特徴的なローアングルキャメラポジションを決めている小津安二郎監督、(4)「からゆきさん」ロケ中の入江たか子さん、(5)「淑女は何を忘れたか」で休憩中にサインをしている桑野通子さん、(6)「森の石松」監督中の山中貞雄さん、と錚々たるメンバーです。

雑誌グラビア「グレタ・ガルボ」(1937)

グレタ・ガルボ1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號のグラビア記事より「グレタ・ガルボ」"Greta Garbo"(1905-1990)さんです。彼女はスウェーデン生まれ、小学校卒業後、貧しい家計を助けるために働き始め、デパートの店員をしている時にそのデパートの宣伝映画に出演したところをスカウトされ、スウェーデンの映画界にデビュー、その後ハリウッドに進出して伝説的な人気を博しました。1941(昭和16)年に映画界を引退した後は公の場所に一切現れず、亡くなるまで隠遁生活を続けました。

広告「のどのお化粧にボンクーパー」(1937)

ボンクーパー1937apr

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の裏表紙裏広告より「のどのお化粧にボンクーパー」(久能木本店)です。「春ひらく/地上の微笑み/緑の交響樂!/人は樂しい/聲は朗らか/召せボンクーパー」

雑誌附録「キャロル・ロンバード」(1937)

Carole Lombard(1937)

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の折り込み附録カレンダーです。モデルはキャロル・ロンバード"Carole Lombard"(1908-1942)さんです。彼女は米国インディアナ州の生まれ、12才のときに映画デビューし、その後「スクリューポールコメディの女王」と言われました。二度目の結婚でクラーク・ゲイブルと夫婦になりますが、1942(昭和17)年に戦債募集キャンペーン中の飛行機事故で亡くなりました。落胆したゲイブルは俳優をやめて軍隊に入ってしまったそうです。

雑誌記事「桑野通子・高野由美」(1937)

桑野通子・高野由美1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の記事より「ブラック・エンド・ホワイト」です。上から桑野通子さん、高野由美(1918-)さんです。高野由美さんは東京生まれ、1936(昭和11)年に新興キネマから映画デビューし、戦後は日活で活躍しました。

広告「森永ミルクチョコレート」(1937)

森永ミルクチョコレート1937

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號の裏表紙広告より「森永ミルクチョコレート」です。森永ミルクチョコレートは1918(大正7)年に発売開始され、現在も販売されている商品です。パッケージのデザインも踏襲されています。

雑誌「映画之友(昭和十二年四月號)」(1937)

映画之友昭和十二年四月號(1937)

 1937(昭和12)年発行の雑誌「映画之友」四月號です。表紙は「オリヴィア・デ・ハヴィランド」さんです。オリヴィア・デ・ハヴィランド"Olivia De Havilland"(1916-)さんは東京生まれで二才のときにカリフォルニアに帰国しました。1935(昭和10)年にハリウッドより映画デビューし、戦後まで活躍しました。現在はフランス在住だそうです。

広告「護れ咽喉!ボンクーパー」(1936)

ボンクーパー1936dec

 1936(昭和11)年発行の雑誌「映画之友」十二月號の裏表紙裏広告より「護れ咽喉!ボンクーパー」(久能木本店)です。

広告「レート白粉」(1936)

レート白粉1936

 1936(昭和11)年発行の雑誌「映画之友」十二月號の表紙裏広告より「レート白粉」(平尾賛平商店)です。「白粉」と書いて「おしろい」と読みます。当時の日本で庶民がイブニングドレスを着る機会などあり得ないとは思うのですが。
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