雑誌「映画情報"The Movie Pictorial"新年號」(1929)

映画情報1929年1月号龍田静枝

 1929(昭和4)年一月発行の雑誌「映画情報」(國際情報社)の表紙です。写真は龍田静枝(1903-1962)さんです。龍田さんは松竹のスターとしてサイレント時代のモダンガールを多く演じました。國際情報社は化学工業新聞社を創業した石原俊明(1888-1973)氏によって創立された出版社です。
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雑誌記事「夏來にけらし(2)」(1937)

夏來にけらし1937_2

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)の雑誌記事より「夏來にけらし」(その2)です。右上は日活の摩耶まり江さんですが、データベースには第一映画の「ある駅の出来事」(石本統吉監督)一作のみしか出演作がありませんでした。左上はPCLの三澤蘭子さんとありますが、出演作はヒットしませんでした。左下は日活の岡野初美さんです。戦後もいくつかの東映作品に出演しています。

雑誌記事「夏來にけらし(1)」(1937)

夏來にけらし1937_1

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)の雑誌記事より「夏來にけらし」(その1)です。右上は松竹の新人で中井戸雅子さんとありますが、1938(昭和13)年公開の「按摩と女」(清水宏監督)一作のみにクレジットされています。右下は高田せい子舞踊団の踊り娘とあります。高田せい子(1895-1977)さんは浅草オペラを支えた舞踊家で、その後も創作舞踊の大家として戦後まで活躍しました。左下で蓄音器に耳を傾けているのはPCLの新人の佐々木信子さんです。1937-1939年の6作品のみにクレジットがあります。

雑誌記事「あ・ら・もうど 1937年初夏のファッション(2)」(1937)

1937年のあらもうど2

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)の雑誌記事より「あ・ら・もうど 1937年初夏のファッション」(その2)です。松坂屋提供の最新ファッションの紹介です。モデルは東京松竹少女歌劇部(TSSK)の右上から對馬洋子さん、田村淑子(10期生=千代田幸子)さん、天草美登里(1932年にOSSKより移籍)さん、朝霧鏡子(後の映画スター)さんです。

雑誌記事「あ・ら・もうど 1937年初夏のファッション(1)」(1937)

1937年のあらもうど1

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)の雑誌記事より「あ・ら・もうど 1937年初夏のファッション」です。松坂屋提供の最新ファッションの紹介です。モデルは東京松竹少女歌劇部(TSSK)の柳綾子(7期生)さんと宮川孝子(9期生)さんです。

雑誌グラビア「南里枝」(1937)

南里枝1937

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)のグラビアページより南里枝さんです。南里枝さんは戦前戦後期を通して松竹少女歌劇団のスターでした。

雑誌グラビア「小牧和子・東山光子」(1937)

小牧和子と東山光子1937

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)のグラビアページより小牧和子さんと東山光子さんです。小牧和子さんは1935(昭和10)年から1937(昭和12)年にかけて松竹映画にいくつか出演しており、当時の映画雑誌や広告などでも良く見かけます。東山光子(1918-)さんは1931(昭和6)年に松竹少女歌劇に入団し、水之江滝子さん全盛時代にレビューなどに出演、その後1935(昭和10)年に松竹映画部に移り多くの映画に出演し、1940(昭和15)年に退社、作家の那須国男(1917-)さんと結婚しました。

広告「レートクレーム」(1937)

レートクレーム1937

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)の裏表紙広告より「レートクレーム」"Creme de Lait"(平尾賛平商店)です。これは日焼け止めクリームの広告のようです。

雑誌「映画と演藝7月號」(1937)

映画と演藝:昭和12年7月

 1937(昭和12)年発行の月刊雑誌「映画と演藝」7月夏の特輯號(朝日新聞社)です。表紙はジョーン・ブロンデル"Joan Blondell"(1906-1979)さんです。1930年代にハリウッドで大変活躍し、1951年にはアカデミー助演女優賞を受賞しました。

雑誌記事「貧乏画家」(1940)

貧乏画家1940

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)の記事より、同年公開の映画「貧乏画家」(柏原勝監督)です。写真は上から羽田登貴子さんと日守新一(1907-1959)さん、中は三原純さん、下は木暮實千代さんと三原純さんです。

雑誌記事「坊やと遊ぼう」(1940)

坊やと遊ぼう1940

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)の記事より、「坊やと遊ぼう」です。上は三宅邦子さんが当時結婚引退していた高杉早苗さんを訪問した写真で、高杉さんが抱いているお子さんは二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)(1939-)さんです。中の写真は高田浩吉(1911-1998)さんと玉城健吉(1927-1955)さん、下の写真は木暮實千代さんと突貫小僧こと青木富夫さんの弟の青木富博さんです。

雑誌グラビア「槇芙佐子」(1940)

槙芙佐子1940

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)のグラビア記事より「槇芙佐子」さんです。この頃は丁度「暖流」(吉村公三郎監督)で笹島(徳大寺伸)の愛人の堤ひで子役を演じています。

雑誌グラビア「木暮實千代」(1940)

木暮実千代1940

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)のグラビア記事より「木暮實千代」さんです。この頃まだデビュー2年の木暮実千代さんは以前紹介した通り、妖艶な「ヴァンプ」女優として人気を博していました。

雑誌グラビア「三宅邦子」(1940)

三宅邦子1940

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)のカラーグラビアより「三宅邦子」さんです。以前にもご紹介しましたが戦後の小津映画常連の女優さんで、この当時も既にスターです。田中絹代さんなど主演女優の妹役が多い感じでしょうか。

広告「クロバー口紅」(1940)

クロバー口紅(1940)

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)の裏表紙広告「クロバー口紅」(三葉商會)です。モデルは三浦光子さんでしょうか。

雑誌「オール松竹」(1940)

オール松竹昭和十五年五月特別號

 1940(昭和15)年に発行された雑誌「オール松竹」五月特別號(映畫世界社)です。表紙は川崎弘子さんです。この雑誌は雑誌統制強化による用紙割当減少により、この年の10月に廃刊してしまいます。

広告「中将湯」(1939)

中将湯1939

 1939(昭和14)年8月の「寳塚少女歌劇脚本集」(花組公演)内の広告「中将湯」(株式會社津村順天堂)です。津村順天堂は1893(明治26)年に漢方薬局として創業し、「中将湯」は創業当時から生産販売しています。1936(昭和11)年に株式会社化し、1988(昭和63)年に社名を株式会社ツムラに変更して現在に至っています。「中将湯」は現在も生産販売されているロングセラー商品です。

広告「さくらフヰルム」(1939)

さくらフィルム1939

 1939(昭和14)年8月の「寳塚少女歌劇脚本集」(花組公演)内の広告「さくらフヰルム」(株式會社小西六)です。軽快でモダンな洋服の女性がカメラを構えています。「カメラを手に/清明な大氣に浸りませう/健康と明朗とは/寫眞文化の副産物です」。

広告「クラブ乳液」(1939)

クラブ乳液1939

 1939(昭和14)年8月の「寳塚少女歌劇脚本集」(花組公演)の裏表紙広告「クラブ乳液」(株式會社中山太陽堂)です。モデルは日劇ダンシングチームの中村よし子さんです。この時期専属契約を結んでいたのか、他の雑誌広告でも中山さんがモデルをしています。

「寳塚少女歌劇脚本集:目次」昭和十四年八月花組公演(1939)

宝塚少女歌劇脚本集昭和14年8月花組公演目次

 1939(昭和14)年8月の「寳塚少女歌劇脚本集」(花組公演)の目次です。演目の最初は法律で義務づけられていたニュース映画の上映で、オペレット「科學者ベル」、グランドショウ「レッド・ホット・アンド・ブルー」と続いています。当時の花組のトップスターは春日野八千代さんと久美京子さんでしたが、アメリカ公演中のため不在です。

「寳塚少女歌劇脚本集」昭和十四年八月花組公演(1939)

宝塚少女歌劇脚本集昭和14年8月花組公演

 1939(昭和14)年8月の「寳塚少女歌劇脚本集」(花組公演)の表紙です。この頃、寳塚少女歌劇団は大規模な米国公演を行っており、スター不在での公演のようです。

雑誌グラビア「槇芙佐子」(1939)

槇芙佐子1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)のグラビア記事「槙芙佐子」さんです。槙芙佐子(1919- )さんは東京市出身で大森高等女学校を卒業後、1937(昭和12)年度の松竹の新人募集に合格し、松竹大船に入社しました。1957(昭和32)年まで多くの松竹作品に出演しました。

雑誌グラビア「竹久千恵子」(1939)

竹久千恵子1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)のグラビア記事「竹久千恵子」さんです。竹久千恵子(1912-2006)さんは秋田県出身で上京後、小松川高等女学校を中退して1930(昭和5)年にエノケン一座のカジノフォーリーに参加、1933(昭和8)年にPCLに入社して映画デビューしました。その後日系米国人と結婚し、戦後は映画界を引退してハワイに住んでいました。

雑誌グラビア「淡島みどり」(1939)

淡島みどり1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)のグラビア記事「淡島みどり」さんです。淡島みどり(1917- )さんは堺愛泉高等女学校(現在の堺女子高)を卒業後1937(昭和12)年に新興キネマに入社して映画デビューし、スターになりました。1942(昭和17)年に大映に移籍し、1944(昭和19)年に退社して映画界を引退しました。

雑誌グラビア「村田知英子」(1939)

村田知栄子1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)のグラビア記事「村田知英子」さんです。村田知英子(1915-1995)さんは芸名を村田智栄子→千栄子→千英子と変えており、いろいろな表記が存在します。神戸の松蔭高等女学校卒業後、1933(昭和8)年に日活太秦に入社し、映画デビューしました。1936(昭和11)年に日活多摩川に移籍し、映画に多数出演しています。戦後も脇役、老け役として多くの作品に出演しました。

雑誌グラビア「カーネーション・田中絹代」(1939)

カーネーション1939田中絹代

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)のグラビア記事「カーネーション・田中絹代」です。この頃は丁度大ヒットした映画「愛染かつら」の続編が公開されており、田中絹代さんは既に押しも押されもせぬ大女優です。

雑誌グラビア「黒田記代」(1939)

黒田記代1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)内のグラビア写真より「黒田記代」さんです。黒田記代(1916- )さんは札幌の女学校を中退して上京し、1934(昭和9)年に松竹に入社して映画デビューしました。しかしすぐに日活に移籍して多くの映画に出演しました。この記事の載った後、1939(昭和14)年に新興キネマに移籍、その後そのまま大映に改組され1943(昭和18)年には退社しました。その舞台や映画など戦後もしばらく活躍しましたが、その後の消息はわかりませんでした。

雑誌記事「高峰三枝子は元気です」(1939)

高峰三枝子は元気です1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)内の記事より「高峰三枝子は元気です」です。高峰三枝子さんは同年3月に公開された松竹映画「愛情部隊」(佐々木康監督)のロケ先の赤倉スキー場で転倒して足を骨折してしまったという記事です。以前紹介したブロマイドではスキーウェア姿でしたが実はこんな怪我をなさっていたのですね。

雑誌グラビア「椿・市川春代」(1939)

椿1939市川春代

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)のグラビア記事「椿・市川春代」です。市川春代さんは以前もご紹介しましたが、この頃は東京発声から日活京都に移籍した直後で、多くの日活作品に主演しています。この年末に「鴛鴦歌合戦」も公開されます。

広告「森永ベルベット」(1939)

森永ベルベット1939

 1939(昭和14)年5月発行の雑誌「映画ファン五月特別號」(映画世界社)中の広告「森永ベルベット」(森永製菓株式会社)です。森永ベルベットは1913(大正2)年に発売が開始され、つい最近まで販売されていたキャンディーです。林芙美子さんの小説にも登場しているそうです。
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