広告「さくらフヰルム」(1939)
雑誌「アサヒカメラ4月號」(1939)
広告「CREME DE LAIT (レートクレーム)」(1937)
雑誌「サンデー毎日秋の映画號」(1937)
広告「さくらフヰルム」(1938)
雑誌「アサヒカメラ6月號」(1938)
雑誌折込「フラツパーの傲り」(1931)
広告「青春図會、怪盗X團」(1931)
雑誌「映画と演藝 "The Screen and Stage" 九月號」(1931)
雑誌記事「コロムビア宣傳陳列室」(1934)
雑誌「コロムビアニュース昭和9年第4號」(1934)
雑誌「アサヒグラフ臨時増刊帝展號」(1929)
広告「シュヴァリエの流行児」(1937)
雑誌「スタア 八月下旬号」(1937)
広告「ナショナル受信機」(1938)
雑誌「サンデー毎日・昭和13年10月16日號」(1938)
広告「マヅルカ"Mazurka"」(1936)

1936(昭和11)年に発行された雑誌「スタア 五月下旬號」(スタア社)の裏表紙の映画広告「マヅルカ」(W.Forst監督)です。1935(昭和10)年にドイツで製作され、東和商事配給です。絵は主演のポーラ・ネグリ"Pola Negri"(1897-1987)さんです。フォルスト監督は「未完成交響楽」、「たそがれの維納」に続く作品です。ポーラ・ネグリさんはポーランド生まれでワルシャワで人気女優となり、ベルリンで映画デビュー、ハリウッドから招聘されて1920年代のサイレント時代に妖艶な悪女(ヴァンプ)女優として一世を風靡しました。トーキー時代になるとヨーロッパに戻りドイツ映画に数多く出演しました。戦争中はハリウッドに戻りいくつかの作品に出演しています。その後アメリカの市民権を経てアメリカで亡くなりました。
雑誌「スタア 五月下旬號」(1936)
広告「脱毛剤エワ”クレーム」(1933)
広告「森永コーラス」(1928)
雑誌「映画と演藝 "The Screen and Stage" 四月號」(1928)
広告「ビタオール煉ポマード」(1937)
雑誌「週刊朝日・昭和12年三月二十一日號」(1937)
広告「ツバメ印ニットーレコード臨時賣出し」(1926)
雑誌「映画と演藝 "The Screen and Stage" 一月號」(1926)

1926(大正15)年発行の月刊雑誌「映画と演藝 "The Screen and Stage"」一月號です。これはアサヒグラフの定期増刊ですので朝日新聞社発行です。表紙は映画女優の砂田駒子(1900-?)さんです。砂田駒子さんは岡山県出身ですが、4歳で渡米しシアトルで育ちました。その後ハリウッドでエキストラになり、MGMの俳優フランク徳永と結婚し、1923(大正12)年に夫婦で帰国、東亜キネマ甲陽に入社して映画デビューしました。1924(大正13)年に日活京都に移籍し、「街の手品師」(村田実監督)に出演して注目され、その後マキノプロ、帝キネと移りましたが1931(昭和6)年に引退し、その後の消息は不明です。